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 紋章の色

紋章に使用される色は厳しく制限されています。同じ図形が描かれていても、色が違えばそれらは別の紋章であるとみなされます。紋章学では、色のことをtincture[ティンクチャ]と言います。ティンクチャは大別して以下の三つに分類されます。
metals[メトゥルズ]金属色
colours[カラーズ]原色
furs[ファーズ]毛皮模様
以下、順番に見ていきましょう。


METALS[メトゥルズ]金属色

金属色には金色と銀色があります。

or[オー]金色
argent[アージャント]銀色
本来、紋章が盾そのものであった時代には、(必ずしも本物の金や銀ではないにしろ)まさに金属むき出しの金色や銀色をしたものでした。後の時代になって、紋章の絵印刷等で金色や銀色の表現が困難な場合、それぞれ黄色と白色で代用される様になります。従って、紋章の世界には黄色と白色はありません。紋章で黄色や白色を見たら、本当は金色や銀色を表わしているのだと思って下さい。

かつては、紋章の絵に実際に金箔等を貼って金属色を表現していたこともありました。しかし現代では黄色と白色を使うのが一般的です。例えば、本物の金属だと変色しやすく年月が経つと、金は赤っぽく、銀は黒っぽくなります。このため、昔の紋章資料を見て、本当は銀色なのに黒色であると誤解されてしまうこともあるのです。


COLOURS[カラーズ]原色

いわゆる普通の色です。時代や地域や文献によって多少の増減はありますが以下が最も一般的です。

gules[ギュールズ]赤色
azure[アジャー]青色
sable[セイブル]黒色
vert[ヴァート]緑色
purpure[パーピュア]紫色
gold, silver, red, blue, black, green, purpleと言わないところがいかにも紋章学的なところです。これは、これらの用語が(昔の)フランス語から来ているからです。
11世紀に制服王ウィリアム(William the Conqueror)に率いられたノルマン人がイギリスに侵入しました。これをノルマン・コンクェスト(Norman Conquest)と言います。ノルマン人はゲルマン系の民族でしたが、今のフランスの地域へ侵入し定着した後はフランス語を話す様になっていました。その結果、英語には様々なフランス語起源の言葉が入り込むことになりました。ノルマン人は支配階級だったので、英語に導入されたフランス語系の単語も、主に王室、宮廷、貴族制度、政治制度等に関する語が多かったのです。更に当時の文化的先進国として学問に関する用語(ラテン語起源)、グルメの国らしく食べ物に関する言葉も沢山英語に入り込みました。英語で、牛はcow, bull, ox. . ./牛肉はbeef、豚はpig/豚肉はpork、羊はsheep, ram. . ./羊肉はmutton
という具合に、家畜を生きた状態と屠殺され食肉になった状態とで、別の単語を用いますが、これらの「〜肉」を表わす単語はみなフランス語が起源です。英国人たちが家畜として育てた動物たちを、支配者であるノルマン人たちがご馳走になる、というわけです。
更に以下の色も含められることがあります。

murrey, sanguine[マリ、サングウィン]暗赤褐色、深紅色、暗血色
orange, tenny[オリンジ、テニー]黄褐色、橙々色、茶色
あまり一般的ではないので呼び名も固定していません。文献によって色彩に含めたり、あるいは色彩として認めなかったりします。マリ/サングウィンはギュールズ(赤)とパーピュア(紫)の中間とも言える色で、つまりは赤紫です。血の色とも言われます。画面上ではうまい色が出ないかもしれません。オリンジ/テニーは大体、橙々色から茶色までの色を言います。


FURS[ファーズ]毛皮模様

これは文字通り動物の毛皮を図案化したもので、紋章学ではこれらも色彩の内に分類されます。

左:ermine[アーミン]テン
右:vair[ヴェア]リス
テンは、冬には毛が白くなりますが、尻尾の先は黒くなっています。アーミンは、テンの白い毛皮に尻尾が付いている様子を図案化したものです。よくおとぎ話に出てくる王様が、赤いビロードにこの裏地の付いた服を着ているのを見かけることでしょう。ヴェアの方はリスの一種で、背中は青灰色、腹側は白色のものを沢山縫いつなげて、やはり服の裏地等に使ったそうです。この小さなパターンが連続する様子を図案化したものです。青色の部分はどちらかと言うと水色に近い色が使われますが、これもアジャー(青)とみなされます。

毛皮模様にはこの他にもいくつかのヴァリエーションがあります。アーミンの白色(銀色)と黒色が逆になったものがermines[アーミンズ]、銀色が金色になったものがerminois[アーミノワ]、アーミノワの金色と黒色が逆になったものがpean[ピーン]です。ヴェアにはもっと沢山のヴァリエーションがありますが、ここでは省略させてもらいます。


その他の色

紋章に使用される色彩は、原則として以上に述べたものだけです。しかし、縦型図形の上に添えられるヘルメット(helmets)には鉄色も使用されます。また、例外として人間の顔や体が肌色に彩色されることがあり、この場合その色はproper[プロパー]自然色と表現されます。

ここで、英語以外での色の表現を紹介しておきましょう。まだ空欄のある不完全な表ですが、いづれは完成させたいです。

英語での用語は、緑色以外はフランス語とそっくりなことが分かるでしょう。フランス語でも普通の色は赤はrouge、青はbleu、黒はnoir、緑はvert、等と言いますので、やはり紋章用語では特別な言い方になるのが分かります。また、ここに揚げたのはあくまで色名であり、例えば「何色の何々」という様に修飾語になる場合は各語の文法規則に従って多少形が変わります。これはまた別の機会に述べることにします。


色彩の規則

紋章に使用出来る色は制限されているわけですが、では赤ならばある一つの赤色が決められていて、それより明るくても暗くてもいけないのかというと、そういうわけでもありません。印刷技術も染色技術も、現代より未熟であった中世ヨーロッパでそんなに厳密に色を規定することは出来ませんし、それほど意味のあることではありません。実際にはその逆で、明るかろうが暗かろうが、赤っぽい色は全てギュールズ(赤色)と認識されるのです。

さて、ここで紋章の色彩に関して一つの鉄則があります。それは、

metal on metal(金属色上の金属色)
colour on colour(原色上の原色)
は決して許されない、というものです。どういうことかと言うと、例えば、銀地に金色の図案を重ねたり、赤地に黒色の図案を重ねたものは、紋章として認めるわけにはいかない、ということです。技術が進み知識が増え、様々な明度、彩度の色を扱える様になった現代ではその様な色の組み合わせも可能でしょうが、中世の昔では当然そんなことは出来ません。紋章のそもそもの起源は、戦場で各個人を識別するために盾に描かれたマークであり、遠くから見たり、兜の細い覗き穴から見た場合、上記の様な色の組み合わせは非常に識別しにくいのです。

この規則は非常に厳しいもので、この様な色彩のものは紋章とは認められません。とは言いながら、どんな規則にも例外はあるもので、現実にはその様な色彩違反の「紋章」がいくつか存在します。


左:エルサレム王の紋章
右:オランダのアムステルダム市の紋章
色彩違反の紋章で最も有名なものは、エルサレム王のものです。どの文献を見ても必ずと言ってよいほど登場します。銀地に金色の図案が描かれていて、metal on metalになっています。これは、この規則が成立する以前につくられたものであるという理由で認められています。しかし、英国国内では規則制定以前の古いものでも違反紋章として摘発の対象となっているそうです。

アムステルダム市のものも、赤地に黒い帯(pale sable)が描かれてあり、colour on colourの違反です。しかし、黒い帯のなかに白いバツ印(saltire argent)があることで、どうにか識別性があるとして、この規則からのがれています。

本当は規則違反であるにもかかわらず、どの様な規則にも抜け道があって、それがまかり通ってしまうというのがこの世の常なのでしょうか。実際、紋章学には様々な厳しい規則があるのですが、そのどれにも例外が存在します。


ペトラ・サンクタの方法

紋章の色は厳しく制限されています。たとえ図案が同じでも色が違えば別の紋章とみなされます。では、彩色の出来ない一色刷りの場合はどうでしょうか。また、石碑やコイン等の彫刻ではどうでしょうか。

この様な、実際に色を塗ることが出来ない場合に、紋章の色を表現するために、様々な方法が考案されました。一番簡単に思い付くのは、ここは赤色、あそこは青色...という具合に言葉で表わす方法です。そのために以下の様な略語が用いられます。

金色:O., or.
銀色:A., ar., arg.
赤色:G., gu.
青色:Az., B.
黒色:S., sa.
緑色:Vt.
紫色:Purp.
青色のB.はBlueから来たもので、銀色のA.と混同しない様に便宜上用いられるものです。

1638年にイエズス会の神父シルヴェスター・ペトラ・サンクタという人が点と線で色を表わす方法を考案し、その他にも同様の方法はありましたが、これが現代まで最もよく使われています。これをペトラ・サンクタの方法(System of Petra Sancta)といいます。

毛皮模様もこれに準じます。つまり、ヴェアの水色(青色)の部分は横線で表現します。これらの点と線を見たら、頭の中で直ぐに各色に変換出来る様になりましょう。(別にそれが出来たからといって紋章学以外では役に立ちませんけど...)最後に以上の方式での色彩表現の例を示して終わりにします。

左:言葉(文字)による表現
中:実際の色彩
右:ペトラ・サンクタの方法

ご賢読有難うございました。  コウブチ紋章資料館へ戻る
第一版 平成八年一月十三日
第二版 平成八年二月二十日
第三版 平成八年十月二十日
東京都板橋区
河渕慎一郎(こうぶち しんいちろう)