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救援運動の今後の方針

篠原 道夫

1 死後再審について

冨山常喜さんが、昨年の九月三日に八十六歳で獄死してから、半年が過ぎてしまいました。

九月二十七日の追悼集会の時、私は弔辞の結びで「冨山さんの無念を晴らしたい」と述べました。そして、集会出席者の殆どが、冨山さんの無念を晴らすために死後再審を考えたものと思います。

したがって、追悼集会後の十月と十二月に弁護士さんと救援会の事務局的な人々が集まって弁護団会議をやった際、やはり中心議題は死後再審をどうするかが話し合われました。この他に死因の追求とその補償請求の問題も出ました。

いずれにしても家族の承諾が絶対条件であるということであり、家族との話し合いを進めようということになりました。そして、現在、話し合いを始めています。

又一方、再審の勝ち負けに拘らないで、波崎事件の真相を知らせることも大切ではないかとの意見も出ました。

次に、追悼集会の模様を速やかにニュースを発行して支援者に知らせようと決めました。

2 波崎事件の核心について

ところで、冨山さんの生前の最後に面会した(二〇〇三年八月二十三日)人間として、ひと言感想を述べますと、この事件の本質を世間に言っておく必要があると思います。

物証が全くない(他の冤罪事件は物証の評価をめぐっての争いが多い)のに有罪(しかも極刑の死刑)を認定されたという史上稀な残酷なデッチ上げ事件だったということです。たとえば、有罪の決め手は被害者の妻の間接証言で、「夫は冨山に薬を飲まされたと言っていた」ということです。これは、苦悶の中で喋ったという客観的状況から考えて、妻の聞き違えということや本当に苦悶の中で喋ったのかという疑問が出てくるわけです。これらを合理的には全く裏づけていません。青酸反応が出たという物証らしいことを言っているが、これは完全にごまかしです。なぜなら、誰が(本人の自殺も含め)飲ませたかの前提が解明されていないのに、「青酸反応が出た、これは冨山が飲ませたためだ」に結びつけるのは暴論です。

では、どうして、こんな「無茶」が通ってしまったのだろうか。

第一は裁判が公平に行われなかったためです。第二は、こんな「無茶」を法廷に持ち込んだ人権軽視の検察・警察が、「逆らう(自白しない)者は罰せよ」の反動思想の持主だったからです。

冨山さんは事件発生地では外者(よそもの)であり、被害者家族を含めて封建色の強い地域が一体となって、外者冨山さんの排除に回り、冨山さんに不利な証言が圧倒的に出てきたのです。

しかも、本来的に保守・体制的な警察は「アカ」嫌いであるため、この地域の動きに便乗して、アカの冨山をやっつけろということで冨山犯人説を強行しました。因みに冨山さんはいわゆるシベリア帰りのアカであったわけです。しかし、冨山さんは反権力的意識をもってはいたが、いわゆるコミュニストではなかったのです。

冨山さんから聞き取れた最後の言葉「アメリカは・・・」は、深奥の冨山さんの反権力的思想から出た、現代のアメリカを批判する言葉ではなかったか。(二〇〇四年二月末記す)


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