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再審制度の欠陥

内藤 武

刑事事件の構成要素で最も重要な動機に関して、波崎事件一審判決での事実認定は「経済的困窮度」、二審判決は「物欲からでた計画的犯行」とし経済的理由を否定、第二次再審棄却決定は「経済的にあまり余裕のない生活をしている」と、第一審の経済的困窮度に戻っています。判決が依拠する重要な事実認定をこのように変えることは死刑判決に対する自信のなさを証明しています。と同時に、裁判官の自由裁量で、事実審理(事実調べや証人尋問等)なしに事実認定を変更できること自体が再審制度の理念(無辜の救済)に抵触していると考えます。

波崎事件と同年(一九六三年)に起こった狭山事件に対し、東京高裁は二〇〇二年一月に第二次再審請求の異議申立てを棄却しました。この狭山事件でも裁判官の裁量で、事実審理なしに確定判決が依拠する重要な事実認定(殺害方法・筆跡の相違等)が変えられています。

再審開始決定に至る手続きで、事実審理を行うかどうかの決定権が裁判官の自由裁量にかかっている今の制度では、弱い立場におかれている再審請求人・弁護団の主張が一方的に切り捨てられることになり、とても公平のものといえません。

亡くなったIさんが事件当夜冨山さん宅を何時に車で出発したかを知ることは事件解明上決定的に重要なことです。事件当夜、冨山さん宅から目と鼻の先にあり、深夜でも明るく見通しのよい銚子大橋料金所で働いていた公団職員がいました。不思議なことに、冨山さん宅前に駐車していた車に関する公団職員の目撃証言や料金所の交通記録が一切証拠開示されていません。過去の冤罪事件(松川事件、免田事件、財田川事件、松山事件、徳島事件等)では、検察庁保管の証拠が裁判所の命令によって開示されたことで再審決定に至り、無罪が確定しました。

冤罪を防ぐためにカナダ・イギリスでは誤審の例から学び、証拠の全面開示を既に法制化しています。日本が誤審から学んだことは、人権を守る世界の流れとは逆行して、証拠開示の門を固く閉ざしたことです。再審の理念を裁判所自らが否定しているのです。

先に挙げた狭山事件で検察側は「重ねると2、3メートルの未開示の証拠がある」と言明しているのにもかかわらず、弁護側開示要求に対して「関係者のプライバシーの問題」を理由に開示を拒んできています。裁判とは法廷で証拠を資料に真実を明らかにしていく場です。検察庁が持っている全証拠を法廷に開示してこそ真実解明の条件が整います。関係者のプライバシーが優先され真実が解明できないのは本末転倒です。現行制度では検察庁に証拠開示勧告するのも裁判官の自由裁量任されている点公平ではありません。

一審段階からの全証拠開示の法制化を早急に実現していく必要があります。波崎事件でも一審段階で全証拠が開示されていれば事件の真相が明らかになり、その時点で冨山さんの冤罪が晴らされ”自由”が獲得できていたと確信します。


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