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「波崎事件・無実の冨山さんの獄死に抗議し、追悼する会」集会 声明

東京拘置所長 田中常弘 殿
中央更正保護審議会長 殿

無実を叫び続けた最高齢の死刑囚冨山常喜さんの獄死に抗議する

四〇年間獄中から無実を訴え続けてきた波崎事件の冨山常喜死刑囚が遂に力尽き二〇〇三年九月三日(水)午前一時四八分、東京拘置所で息を引きとりました。享年八六歳でした。

拘置所当局は死因を慢性心不全と言っていますが、清水陽一医師(新葛飾病院長)は、「慢性腎不全となるのは、人工透析療法を受けていなかった場合においてのみである。人工透析を受けていた冨山さんの死にあたっては、心不全・感染症など他の原因があるはずである」と指摘されています。死因解明のために私たちは司法解剖を要求しましたが、法務省は「司法解剖は必要ない」との返答でした。このような形で事実隠匿を図った法務省に私達は抗議します。

ほんの三ケ月前の六月一〇日の面会時、波崎事件対策連絡会議の篠原道夫さんに「人間は自由がいいね」と語った冨山さん、四〇年間その自由を獲得するために、無実であることをバネに不屈の闘志と精神で戦い続けてきた冨山さんの気持ちを考えると無念でなりません。と同時に冨山さんに公正・公平な裁判を受けさせず、特に、二〇〇〇年三月の第二次再審棄却への異議申立に対する結論を三年以上も引き延ばし、緩やかな死刑執行(獄死)を意図し、遂に断行した司法当局(東京高等裁判所)に対し断固抗議します。

波崎裁判は無くなったIYさんの妻(保険金の受取人でもあった)の証言「夫はなくなる前に箱屋(冨山常喜さん)に薬を飲まされたと言った」のみを警察・検察が一〇〇%根拠なしに信じたところから出発しています。さらに、物証のない状況証拠のみで起訴した点、最初から公平・公正でない裁判です。警察・検察は「毒入りカプセルを利用した自動車事故死偽装殺人」と想像でストーリーを考え、この筋書きに合う状況証拠のみを集め、物証のないの冨山さんが完全犯罪を計画したからだと、予断と偏見で無実の冨山さんに全責任を押し付けました。判決文では「青酸化合物の入手経路、その所持の事実、これらを証かすべき証人、これを与えたとの目撃者等のいずれもが不明であるが、それでも被告人を有罪とするのを妨げない」と信じられない論理で死刑判決を下しています。これは最早裁判ではありません。刑事訴訟法に違反してまでして、権力を持って死刑判決を下した裁判官達は明らかに殺人罪を犯したのです。裁かれるべきはこの事件に関わった警察・検事・裁判官です! しかも、第二次再審請求中、最高裁で死刑判決を下した団藤重光元判事が「・・・法廷で裁判長が上告棄却の宣告をして、我々が退廷しかけたときに、傍聴席から『人殺しっ』という罵声を浴びたのです。やはり本当は無実だったのかもしれない。私には一抹の不安があっただけに、この罵声は胸に突き刺さりました。私はこの瞬間に決定的な死刑廃止論者になったのです・・・」と、自ら下した判決に新聞紙上(一九九二年七月二九日 毎日)で苦渋の思いを吐露されています。元裁判官でさえこのように表明しているにもかかわらず、第二次再審は不当にも棄却されたのです。絶対に許すことはできません。

第二次再審棄却決定直後から体の調子を崩し始めた冨山さんは、二〇〇二年夏頃から容態が急変しました。命を最優先する立場から、一二月六日に「恩赦出願」を提出すると共に、東京弁護士会を通して東京拘置所長宛に「病状及び治療の照会」をしました。一方、保坂展人議員が衆議院法務委員会で森山法務大臣に「冨山さんに対する緊急救済措置」を強く要請しました。やっと届いた「データ付き病状に関する回答」と病名が一致していない誤診があり、治療が間違っている等の意見書を東京拘置所長に提出、同時に拘置所内医療体制では治療の限界があるとの判断から、本年二月七日に監獄法四三条に基づき「拘置所外病院移送」の申請をしました。さらに、三月以降の治療経過データ開示を請求したところ、冨山さんのプライバシーに関わるので開示できないと、理由にならない返答が返ってきました。「恩赦出願」にしても「病院移送願い」にしても当局は何の結論も出さず無視し続けてきました。

この間の経過を振り返ってみれば、冨山さんの病気悪化は拘置所側の人権軽視の対応による人為的なものと断言できます。東京拘置所は東京弁護士会・国会議員・医者等の外部の強力な働きかけがあってはじめて、責任追及を恐れ、真剣に治療に取り組むポーズを見せました。その結果一時病状は安定したかに見えましたが、八月末より容態は悪化し獄死しました。

冨山さんは無実でありながら死刑判決を受けたばかりでなく、拘置所内では人間として扱われず、人権軽視の医療、しかも間違った診断による間違った治療しか受けられず、命を奪われたといっても過言ではありません。人間として冨山さんを処していれば、まだまだ充分長く生きられ、再審開始を迎えられる可能性はあったのです。法務省はこの可能性を意図的に摘み取ったのです。「人間は自由がいいね」と語り、遂にその自由を生きて勝ちとれなかった冨山さんの無念さは計りしれません。

@獄死の危機に基づく「恩赦請求(特赦もしくは減刑、または刑の執行停止)」を無視したこと
A当所病状と病名が一致しない誤診及びその後の治療もほとんど回復に役立たなかったこと
監獄法四三条に基づく専門の施設及び体制の整った外部への移送を拒否したこと 以上二点に強く抗議します。

二〇〇三年一〇月八日

二〇〇三年九月二七日「無実の冨山さんの獄死に抗議し、追悼する会」参加者一同
波崎事件対策連絡会議代表   篠原道夫
波崎事件の再審を考える会代表 大佛照子
波崎事件再審弁護団      佐竹俊之
               内田雅敏
               佃 克彦
               三島浩司
              安部井 上


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