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「さまざまな表現を山盛りにして」

たじま よしお(長野より)

 波崎事件についてその概観を人様に説明することは大変むつかしい。三里塚の集会で篠原さんが、そして篠原さんが参加できない時は私が発言したりしていた。五分とか三分の限られた時間で、聴く者にどう印象づけるか、そのつど切り口を工夫してコンパクトにまとめて表現してきたつもりなのだが、さてどう受けとめられたかについては正直なところわからない。

 篠原さんの語り口というのは、あまり表現に工夫が感じられず、野球で言うなら直球のみでゆく姿勢というふうに思える。その度に私は手に汗を握り、あれでは聴く人には分からないだろうなあと、思ったりしたものである。しかし遠く離れてみるとその語り口が懐かしく思えてくるのと、いろいろ工夫するのもいいけれども、やはり直球が本道であろうという風に考え直している。

 先月内藤さんから「波崎事件[獄中から40年、無実の叫び!]危機的状況にある冨山常喜死刑囚と恩赦請求」(注:新しくつくるパンフレット草稿、以下「波崎事件」と略)の文章を戴いて読ませてもらったが、これがしみじみと心にしみる。私が書くと段々と気持ちが昂ぶって来て、糾弾調になってしまう。自分を押さえても押さえても知らず知らずのうちにそうなってしまう。内藤さんのそれは怒りを内包させているが、それをじっと抑制して起承転結をつけている。

 そして弁護士による弁論にもさまざまな個性があって、その連携プレイでもって、(I)N証言の矛盾を衝いている場面もあって、どれが正しいというふうにも言えないのかなあと思えてくる。運動というのはときにはスタンドプレイの場面も許されるが、相対的にはさまざまな楽器による合奏みたいなものでなくては、大衆をも裁判所をも衝き動かすことはできないと思う。

 東京にいたときはハンセン病裁判は欠かさず傍聴に行ったものであるが、原告の訴えに肩を震わせハンカチを目にあてる裁判官、あくまでも表情を見せない裁判官とさまざまである。後者は悩んでいないのだろうか。私の高校の同級生に裁判官がいて、人柄としては後者に属すると思うのだが、毎晩浴びるほど酒を飲んでいるという。「どうせろくな判決文を書いていねえんだろう」とからかったところ「そのとうり」と肩を落としていた。

 運動する側の主体も多種多様な表現を山盛りにして迫れば、裁判官も元はといえば人間なんだから自ずと表情が変わってくるのではないだろうか。

 私は「裁判所というところは□○であるから、弁論もその□○に合わせるべきだ」という主張には承服しがたいものを感じる。それは法曹界のルールに沿ッテいるのではなくて、自ら屈伏している姿に見えるからである。今回の内藤さんによる「波崎事件」の文章の保険金に関わる事項などはかって一度争点になった経緯があるから意味がないとするなら、それは向こう側のルールに沿った論という他ないと思うのだが。権利証についても初動捜査のミスの中に偏見があることを衝いている訳で、それを「新証拠」と呼ぶか否かは別として「ミス」そのものは「決定的」であると思うのだがどうだろうか。

 (I)Yさんが冨山さん宅を退去した時の物事の運びには、毒物を与えて飲ます光景は含み得ない。(I)Mさんが寝ていた四畳半との間の襖は六五センチ開いていた。それを閉めたのは(I)Mさんである。「毒物を与えるつもりだったら、自分で閉めろ」と言いたい。

 検察は当初からI(Y)家の当時の資産状況を把握していた、裁判官も然りである。それらの事も過去の事であり争点として成立しないとするならば、それは結果として国家犯罪を擁護してしまうことになる。法曹界のルールがどうであれそういうことになりはしないのか。

 百花斎放百家争鳴を夢見て、公判記録を十部揃えたのは二次再審に至るまでの運動の総括でもあったと思うのだが、それがここに内藤さんの筆による「波崎事件」の一文となっている。私は自分勝手に挫折感の中に浸ってしまっており、それを人様のせいにして愚痴を漏らしているという、誠に情けない状態なのだが、冨山さんの健康状態と併せて、これは許されるものではない。

 東京のほうの取り組みの状況が伝わってくるにつけ、なにかしなくてはという気持に駆られている今日この頃である。 (二・四)

※WEB掲載にあたって人名を一部イニシャル表記にしました。


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