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E(H)証言の行間を読む
安斎 夘平

 波崎事件の第二次審査請求書提出の前後から第三次の準備行動が開始されていた.

 第三次再審請求の目玉に挙げられたのは,足立東(故人)が疑問を投げかけたIYの「家屋敷」の権利書の行方であった.

 波崎事件判決の示す時間構造は,1963年8月26日零時15分頃,冨山宅を辞去したIYは,そこから乗用車を運転して1300メートルの自宅まで5分で帰着し間もなく(2・3分)苦しみだしたとしている.

 ところが,被告人冨山は当時も今もIYが辞去した時刻は11時42・3分から11時45分頃と一貫して主張している.この主張が正しければ,判決の挙示するIYの冨山宅辞去時刻とは30分もの差があることになり判決の時間構造に疑いが生じることとなる.

 判決はIYが冨山方を辞去する状況を次のように設定した.(注・要点のみを摘記した.()内は筆者の注)

 「翌(8月)26日午前零時15分頃,被告人方から辞去するに際し(中略)同人((I)Y)が今夜は興奮して眠れない等と云い出したので,将に好機至れりとして,(中略)かねての計画どおり(I)Yを毒殺して多額の生命保険金を不法に利得しようと決意し,被告人方土間において(中略)青酸化合物を致死量を超えた分量でカプセルに入れたものを,(I)Yに交付し,これを正常な鎮静剤であると誤信した同人が,即座に右土間に設けられてある水道から水を出して(中略)右カプセル入りの青酸化合物を飲み下し,(中略)同日午前零時20分頃,前記同人((I)Y)の自宅に帰着し部屋に上って就寝せんとしたところ,間もなく,青酸中毒の症状を起こし」(以下略)死亡したとしている.

 青酸化合物を入れたカプセルを飲んだことが事実とすれば,カプセルは人によっては1分か2分で溶けはじめるから,判決の示唆する通り途中でどこかに立ち寄る時間はない.とすれば,その夜,(I)Yが所持していた「家屋敷」の権利書が,(I)Yの所持品の中に残っていなければならないのだが,(I)Yの死後,書類らしきものは一切なかった.

 (I)Yは死亡する5時間30分前,つまり25日の午後8時頃,冨山宅から銚子市のE(H)宅に行き,借金の担保に預けておいた「家屋敷」の権利書を借りだしてから,冨山方で待っていたT(S)と一緒に八日市場の金融業者宅に行き,午後11時30分頃に冨山宅に戻った.この往復の間,(I)Yはどこにも立ち寄っていない.そして判決は(I)Yの冨山宅辞去時刻を26日零時15分頃と決めつけ,被告人は25日午後11時45分頃と主張した.もし一,二審の裁判中に権利書の疑問に気づいたとしたら,波崎事件の重大な争点になったであろう.

 事件発生から30年を過ぎたとしても,この疑問を投げかけた故,足立東の功績は大きい.

 救援者の一部ではこの疑問の解明のウラづけとして第20回公判のEHの証言と,事件から八ヶ月目の1964年5月1日にE(H)が弁護人にした供述などから疑問の権利書は,(I)Yが富山宅を最後に辞去してから一旦銚子市のR宅に行き,そこで権利書を預けてから自宅に戻った.その権利書が事件後にRからE(H)の手に移ったとする推理に傾き,ついには「I(Y)は富山さん宅を出てからRさんのところへ寄ったという経路はわかったわけです」と断定するまでになった.

 ここで参考までに同じ資料を摘記して検討してみる.

第20回公判 EHの証言(抜粋)

Yが言うのには(Rに)権利書を置いて来たと言ったから,借りたと思ったね.
(弁)いくら,
(EH)十万とか十五万とか(注・ここは事件前のことを言っている)
(弁)それで,Rさんという人は,Yさんが死んだあとで,Yさんから預かっていた権利書をE(H)さんのところにもってきて
(EH)それは,私が持ってきたんだから,うるさいこと言ってると困るから.Rのところから,俺のところへ権利書を持ってきたんだ,俺が,大騒ぎさせまいと思ってね.

昭和39年5月1日佐川弁護士にしたEHの供述(抜粋)

今,飯岡にいるRKという人から地所を担保にYは15万円借りたこともあります.RさんはYの死後,地所の権利証を私のところに持ってきて,IN(Yの妻)さんから貸金を取立ててくれといっておいて行きましたので,その権利証を現在私が保管しております.Rさんは,どうせE(H)さんも貸金があるんだろうから一緒にとってくれ,ということでした.

 さて,E(H)の証言・供述から類推できる問題点は,
1.事件前にRには地所の権利証が預けてあった.
2.事件当夜,IYが遠藤から借り出した家屋敷の権利書は,EHが(I)Yに対する債権者としての担保であったから,その権利書をもってRが大騒ぎするとは考えにくい.
3.また,E(H)さんも貸金があるんだろうから一緒にとってくれというRの言い分をE(H)が素直に引き受けたのも不自然であるし,Rの方も,E(H)の債権の担保を持ってきて一緒にとってくれと言うのもおかしい.
4.Rが大騒ぎする,一緒にとってくれという表現には,Rには大騒ぎする権利,一緒に取り立ててもらえる権利を主張できる担保の権利証が存在していた可能性を示している.
5.E(H)の(事件前)Rに権利書を置いてきたと言ってたから,借りた(金を)と思ったね,という証言からは,すでにRには家屋敷とは別の権利書が渡っていたと推察できる証言である.
6.だからこそ,E(H)の側からは「大騒ぎさせまい」となり,Rの立場からは「一緒に取り立ててくれ」となり,E(H)の方も素直に預かることになった,とみられるのが自然の成り行きである.
7.E(H)証言は家屋敷と地所の権利書と明確に使い分けているのも見逃せない.
8.冨山証言の中で(I)Yの借金はE(H)に50万,Rに15万とある部分からは,家屋敷と地所の権利書が50万の債権を持つE(H)と15万の債権者であるRのどちらにどの権利書が傾くのかを分析するのに役立つであろう.


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