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波崎事件の別件 ハワイヤ事件について
土浦市 安斎 夘平

 映画監督の山際永三さんが、しばしば冤罪事件にまつわる「別件」について触れている。本号に寄稿された同氏の「死刑再審、最近の動き」(5頁参照)の文中にも記されているので、その一部を引用する。

 「冤罪事件では、いわゆる別件が重要なネックになっていることが多い。「別件逮捕」で被疑者は徹底的に悪い人間と決めつけられ、その後同じ論理で「本件」も押しつけられる。動機や状況が似ているというわけだ。波崎事件でも、いわゆるハワイヤ事件があって、本件があった。幸いにしてハワイヤ事件は二審で無罪となったのであり、本来その延長に本件の無罪もあるべきだった。ここで、再度ハワイヤ事件も研究し直す必要があるように思える。」

 波崎事件ではハワイヤ事件を併合罪として、死刑を宣告した。二審ではハワイヤ事件を無罪としたが、波崎事件には死刑を科した。

◆ハワイヤ事件とは?

 1963年(昭和38年)8月26日、波崎事件の4年前、1959年(昭和34年)6月3日ハワイヤ事件発生(一審では午後8時30分頃から9時頃と認定、二審は午後9時15分頃以降と認定)冨山宅から3.3km離れた波崎町荒波に住むハワイ帰りのIK(当時65歳)同妻IT(当時59歳)さんが何者かに棍棒で襲われ、夫婦とも全治2週間の怪我を負った。

 当時、F某と冨山さんに嫌疑がかけられたが、捜査を担当した波崎派出所では選挙の取り締まりに追われて捜査を放棄していた。

 さて4年後、波崎事件の被疑者にされた冨山さんに、4年前のハワイヤ事件も被せられ、一審判決はハワイヤ事件も含めて有罪の心証を形成していた。

 二審判決は波崎事件に死刑を科したものの、ハワイヤ事件を有罪とした一審判決の粗雑な証拠構造と証拠評価を指摘せざるを得なかった。

 しかし、こうなると本件の波崎事件の証拠評価にも影響を与える筈だと考えるのだが、この点は専門家に任せるほかない。

 以下は二審のハワイヤ事件の判文を摘記して参考に供するが、その判文も6200字に達するので、紙数の許す限度で摘記することにした。

(二審判決書10丁目末尾から)

 「本件が発生した時刻も、午前9時15分頃以降と認められるのであって、原判決が午後8時30分頃から9時頃までと認定したことは、正確性を欠くものといわなければならない。そして、被告人の当夜の帰宅時刻については、原審証人IMの供述によると、午後9時10分ないし15分頃というのであり、その証拠として、同証人は、「スリラー劇場を聞き終わり、タバコを一服つけて帰ろうと思ったところへ冨山が帰って来た。と述べており」(中略)「原判決が、被告人の帰宅時刻に関する同証人の供述は、午後9時30分頃ということに固まっていると認められる、としたのは、証拠の評価を誤ったものといわざるを得ない」(中略)「結局、本件の発生した時刻と被告人の帰宅した時刻との関係から、被告人のアリバイの成立する余地があることになり、被告人のアリバイを否定した原判決判断は、合理的とはいえない。

 さらに、当審証人AKの供述によると、同人は、事件当夜、シャツの背中に血をつけた男が自転車に乗って、本新町から浜新田の方へ通ずる道路を浜新田の方に向かって行くのを見た、というものであって、その進路が被告人方とは異なる方向であることから、これは、当夜被告人のほかに、シャツに血をつけ、自転車に乗った男が存在していたことを窺わせるのである」(中略)「被告人を犯人であると疑わせるいくつもの情況証拠が存在するにもかかわらず、被告人を犯人と断定するには、なお疑いが残るのであって、この疑いは、いわゆる合理的な疑いに該当するといわざるを得ない」

(以下略)

 さて、二審はこうしてハワイヤ事件に「合理的な疑い」をだしたが、有罪とした波崎事件は、物的証拠も本人の自白もなく、情況証拠のみで死刑を科したのである。


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