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◆河野義行氏講演会報告

 ● 去る2月14日(土)午後1時より土浦市民会館小ホールにて「2・14人権問題と冤罪を考える集い」松本サリン事件の犯人にされた私・河野義行氏講演会が開催された。主催はネットワーク500,後援は土浦市,つくば市,波崎事件を考える会,水戸事件を支える会・つくば,新聞労連・茨城新聞労働組合。約300の座席は満席で,立ち見が出るほどの熱気あふれる講演会であった。各後援会からの報告(当会からは,代表の大佛照子氏)の後,ハッピーローズによる心に響く歌声を堪能し,講演会へと進められた。

 河野義行さんは,94年6月27日に起きた松本サリン事件によって,家族5人中ご自身を含め,4名が入院(妻は現在も入院中)するという被害に見舞われたばかりでなく,捜査当初より犯人としての容疑がかけれた報道被害にも遭われた。このとき,報道と警察がどのようにして犯人像を作り上げていったか,そしてご自身がどのように対処していったか,その経過を淡々と時にはユーモアも交えながらお話いただいた。

 ● マスコミについて: 当初新聞やテレビでは河野さんが救急隊員に「薬品の調合を間違えた」と言ったと報道されたが,これは事実ではなかった。報道機関は十分な裏付けがとれなかったにも関わらず,この情報を流した。さらに複数の報道機関も追従して流した。また,ある報道機関はこの発言が事実無根であることを後日知ったにもかかわらず,訂正しなかった。このようにマスコミは犯人としての証拠をいち早く報道し,証拠を固めようとするあまり,裏付けのない報道を行う体制があった。また,マスコミ報道を信じた人たちからも無言電話などの嫌がらせが相次いだ。マスコミや警察の不当な扱いに,訴訟を起こそうと弁護士を依頼すると,次はその弁護士までが抗議の手紙などを受けた。このようにマスコミの報道によって法の裁きを受ける前に社会的な制裁を受けた。

 ● 警察について: 事件発生から,33日間入院し,7月30日に退院した当日,警察から任意の事情聴取を受けた。ポリグラフにかけられ,自分が犯人であるかのような反応が出たと言われた。翌日は「お前が犯人だ」とやくざ風の刑事に延々と怒鳴られ,自白を強要された。「こんな失礼な事情聴取に応じるわけにはいかない」と言うと別の刑事がやってきて「あなたの疑惑はあなたが晴らす必要がある」と言われた。その場では納得したが,その必要はないし,何もないということを証明することはできないと思い直した。翌日も来るように言われた。しかし,このまま事情聴取に応じていれば,いずれ虚偽の自白をしてしまうかもしれない恐れと事情聴取を拒否すれば逮捕されるのではないかという恐れに悩んだが,逮捕を覚悟して事情聴取を拒否することを選択した。もし,逮捕されたなら,家や土地を手離してでも戦おうと決意した。それからは逮捕に対する牽制としてマスコミに冷静な報道をしてもらう,大学の先生にサリンが自宅で作れるものか否かを検証してもらう,市民集会を行うなど考えつく限りの行動を行った。

 翌年,上九一色村でのサリン残留物の発見などの報道がありながら,周辺への警察の聞き込み調査は続いていた。3月20日にマスコミの初期報道に対する人権侵害について提訴を行った旨の記者会見中に奇しくも地下鉄サリン事件が発生の報告が入り,疑いが晴れた。警察は市民の財産を守り,無実をはらすこところではなく,犯人を作るところである。マスコミ各社より謝罪を受けたが,長野県警からは未だに謝罪を受けていない。

 ● 最後に;:家族や親しい友人が自分の支えになってくれたことが救いであった。報道には操作があることを多くの人に知って欲しい。自分が冤罪に遭うかもしれないし,また逆にその加担者になるかもしれないということも知って欲しいと結ばれた。

 参考文献;河野義行著:「疑惑」は晴れようとも,文芸春秋刊


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