■ WEB担当Bより (2003/09/04) もどる

2003年9月3日、冨山さんが亡くなられました。86歳でした。救援団体の代表者からの声明もあると思いますが、ここでは私見を述べたいと思います。

私は法律の専門家でもありませんし、知っている事例も少ないのですが、再審の壁は厚すぎました。

死刑が確定した事件の再審を請求するためには、刑事訴訟法四三五条六号によれば「明らかな証拠をあらたに発見」しなければなりません。

なにもしていないという証拠を見つけるのは難しいことです。事件直後の捜査においてすら直接的な証拠はありませんでした。他の可能性を十分に検討しないまま「犯人は被告人以外の者であるとはどうしても考えられない」と消去法で罪が与えられました。それにもかかわらず、無罪を証明する新しい証拠 ‐ 再審請求が却下されたように我々の考えるよりもはるかに「明らか」な証拠 ‐ を見つけなければなりません。刑訴法四三五条は司法の力があまりにも強く設定されています。

原審と同じ証拠と同じ法律にもとづいて、いま裁判をしたら同じ結果になるとは思えないのですが、これは思いこみでしょうか? 刑訴法四三五条に再審請求のための別の理由が加えられるべきです。

刑訴法三一八条には「証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねる」とあります。これは自由心証主義と呼ばれていますが、「証明力」と「自由」の定義を誰にでも理解できるように条文を修正するべきです。証拠は、それが真実かどうかが問題なのであって、証明力という、程度の問題で比較したり、自由に選択すべきものではありません。状況証拠のなかから有罪寄りの情報をばかりを集めることは難しくありません。

情報が真実であるかどうか判断するのは難しいことです。この事件の判決文を読む限り ‐ むかし大学の図書館で読んだ他の事件の判決文も含めて ‐ 裁判官は判決が被告人にどれほど重大なことであるか、社会の秩序と引き換えに自分と同じ人間を殺すということを十分に認識して、真実を見極めようとしているとは感じられません。この事件にかかわった裁判官のなかには、退官後、死刑廃止など本を書かれている方もいらっしゃいますが、状況を変えられる立場にいるときに「自由」を使うべきでした。

死刑確定から二十数年、刑は執行されませんでした。なぜ、これほど長いあいだ大臣は印を押さなかったのでしょう。判決に疑問があったからでしょうか。ところが刑を執行しないという消極的な態度以上の行動はありませんでした。積極的に何かを変えようとするよりも動かずに現状を維持するほうが失敗も挫折も無いでしょうし批判を受けることも少ないでしょう。平穏無事に毎日が過ごせればそれはすばらしいことですし保守的であるのは悪いことではありません。しかし、その平穏無事の底にあるものを想像する能力はだれにでも備わっているはずです。

事件は1963年のことでしたから、40年になります。あなたの40年前を思い出してみてください。あなたが40歳になっていなければ40年後を思い描いてみてください。

2003年9月3日、冨山さんは亡くなられました。助け出すことができませんでした。ご冥福をお祈りします。


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