■ 波崎事件のあらまし もどる

波崎事件とは、茨城県鹿島郡波崎町で起きた「毒殺事件」といわれるものである。今から40年前の1963年という年は「吉展ちゃん事件」に続き「狭山事件」が発生した年だった。吉展ちゃん事件のあいつぐ捜査ミスによって、警察に対する世論の非難は高まっていた。あせった警察はメンツにかけても「犯人」をあげなければならなかった。5月には狭山事件で石川一雄さんが逮捕され、デッチ上げられていった。こうしたなかで波崎事件も発生する。

8月25日夜、冨山常喜さんの内妻のいとこIYさんが冨山さん宅から帰宅後しばらくしてから急に苦しみだし、波崎済生会病院へ運びこまれ、同26日午前1時30分頃死亡した。

病院の医師は「急性左心室不全のため当院に於て死亡した」と診断した。しかし、IYさんの妻INさんは、夫が死に際に「薬を飲まされた。箱屋(冨山さんの通称)だ。薬はな、2つ、あと1つ飲まされた」と言ったと騒ぎ、たまたま同夜、同病院に入院していた警察官がこの騒ぎを聞きつけ、警察はINさんの言葉に基づき捜査にのりだした。

冨山さんと「事件」を結びつける物的証拠がないまま、警察はそれから59日後の10月23日、「私文書偽造、同行使」の容疑で冨山さんを別件逮捕した。取調べでは、冨山さんに対し、IYさん毒殺の自白強要が行なわれていった。冨山さんは、別件については事実を認めたが殺人容疑に関しては巌として否認し続けた。あせった警察は11月9日、冨山さんを一たん釈放するが、署から出たとたん、IYさん毒殺容疑で再逮捕した。冨山さんはそれにも屈せず無実を叫び続けた。そして、検事拘置期限の切れる11月31日、事件から97日後、別件逮捕から39日目にして証拠もないまま起訴されたのである。

1966年、12月24日情況証拠のみで水戸地裁で死刑判決、1973年7月6日東京高裁でも死刑が言い渡された。そして3年後の1976年4月1日、最高裁第一小法廷で、藤林益三裁判長(後の5月に最高裁判所長官となる)によって上告棄却=死刑判決が確定した。

現在冨山さんは、第二次再審請求棄却、異議申立中である。高齢と病気悪化のため、健康の回復が危ぶまれている。しかし、冨山さんの人間としての誇りはかわることがない。


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