■ 第二次再審請求棄却(2000/03/13) もどる

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昭和六二年(お)第一号 

    決  定
本籍 茨城県那珂湊市釈迦町五七一九番地
在居 東京拘置所在監中
       元不動産売買仲介業
       請求人 冨山常喜
      大正六年四月二六日生

 右請求人に対する殺人、私文書偽造、同行使被告事件の有罪の確定判決に対する再審請求について、当裁判書は、次のとおり決定する。

    主  文
 本件再審請求を却下する。

    理  由
 本件再審請求の趣意は、弁護人庄司宏作成名義の再審請求書及び「検察官意見書


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に対する反論」と題する書面、弁護人三島浩司、同佐竹俊之、同安部井上ほか一名作成名義の再審請求補充書並びに請求人作成名義の意見書に、これに対する検察官に意見は、検察官松宮崇作成名義の意見書及び補充書意見書並びに検察官大八木治夫作成名義の意見書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一 本件再審請求の理由
所論は、本件には、以下一、二のとおり、刑訴法四三五条六号所定の再審事由があると主張する。
一 本件確定判決後、以下@からPまでの各証拠が新たに発見された。
@ 「過去七年間の車両事故調査についての運輸省レヴィウ」中の「乗車の障害度とバリア換算速度」の部分及びその掲載文献の表紙(抜粋)(再審請求書記載の甲第一号証の一、二)
A 「自動車事故傷害におけるAIS(簡易化人体傷害スケール)コード区分の


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変遷」表(甲第二号証の一)
B 緒方宏泰作成の鑑定書写し(再審請求補充書記載の補弁第一号証)
C 平瀬文子作成の鑑定意見書写し(補弁第二号証)
D 増子功二作成の弁護士会紹介回答書写し(補弁第三号証)
E 財団法人茨城県薬剤師会公衆衛生検査センター作成の試験検査成績書写し(補弁第四号証)
F 足立東作成の「カプセル製造会社に聴く」と題する聞き取りメモ写し(補弁第五号証)
G 高橋利男作成の「証明書」と題する書面写し(補弁第六号証)
H 黛宣正作成の弁護士会紹介回答書写し(補弁第七号証)
I 黒川陽介、土屋雅勇、岩崎由雄共著「硬カプセル剤の薬剤学的検討」(病院薬学一二巻六号抜粋)(補弁第八号証の一)
J 沢村良二、鈴木康男編「裁判科学 薬物分析と毒理―その応用」(廣川書店)


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九五、九六頁(抜粋)(補弁第八号証の二)
K 平瀬文子著「青酸塩中毒死に関する知見補遺」(日本法医学雑誌三巻三号抜粋)(補弁第八号証の三)
L 富田功一著「法律家のための法医学」(第一学習者)五六三頁から五六七まで(抜粋)(補弁第八号証の四)
M 狐塚寛著「犯罪を追って」(現代科学一九七三年一〇月号抜粋)(補弁第八号証の五)
N 上野正吉著「新法医学」(南山堂)二九二頁から二九五頁まで(抜粋)(補弁第八号証の六)
O 足立達、伊藤敞敏共著「乳とその加工」(建帛社)八四頁、九一頁(抜粋)(補弁第八号証の七) 
P 第7改正日本薬局方のカプセルの崩壊試験法に関する部分(抜粋)(補弁第八号証の八)


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二 前記@からPまでの各証拠(以下では、これらの証拠について、例えば「証拠@」のようにいうことがある。)は、以下1から4までの項で各証拠ごとに個別に主張するように、本件確定判決で有罪とされたIY(以下、この事件を指して「本件殺人事件」ともいう。)に関して、請求人に無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たる。
1 証拠@及びAについて
 確定判決は、請求人がカプセルに入れた青酸化合物を薬品と偽って(I)Yに渡し、その旨誤信した(I)Yにこれを飲み下させたという事実を誤認しているが、その際の請求人の意図について、第一審判決は、請求人は(I)Yが自動車の運転を過って交通事故を起こしたために死亡したように装おうと企てたという事実を認定している。すなわち、第一審判決は、請求人は、(I)Yが自動車に乗り込む直前に「青酸化合物をカプセルに入れたものを同人に正常な薬品と詐って服用させるならば、カプセルが溶解するまでには多少の時間を要す


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るところから、同人はその場で即死せず、自動車運転中、間もなくカプセルの溶解と共に、青酸中毒を起こし、苦悶の末死亡し、而も外面上の観察からして、同人が自動や運転中操作を過って交通事故を起こし、それによって死亡したものと簡単に処理され、従って青酸中毒による他殺であることは到底看過されないものと思惟し」、ひそかに好機を狙っていたところ、本件殺人事件の当夜、(I)Yが請求人方から一人で自動車を運転して帰宅することになり、しかもひどく興奮して眠れないなどといっているのを見て、まさに好機至ったと考え、鎮静剤やこれと同様の効力のあるアスピリンを飲めばよく眠れるなどと(I)Yに申し向け、正常な薬品のように装って、致死量を超えた分量の青酸化合物をカプセルに入れたものを(I)Yに渡し、正常な鎮静剤と誤信した(I)Yをしてこれを飲み下させたという事実を認定し、確定判決もまた第一審判決のこの認定を是認している。(なお、後記のとおり、本件では、第一審判決を破棄して自判した控訴審判決が確定判決に当たるが、右確定判決


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は、本件殺人事件の認定については、同事件について請求人を有罪と認めた第一審判決の認定を、一部の点を除き、おおむねすべて是認していることが明らかであり、以下には、右第一審判決の認定、説示を確定判決の認定として引用することがある。)。
 しかし、当時の状況に照らすと、(I)Yはごく低速で走行して帰宅することが想定され、ここで想定される程度の速度では、(I)Yが交通事故によって死亡するなどということはあり得ないから、確定判決は、まさにあり得ないことを内容とする動機、計画を認定しているものというべきである。
 すなわち、請求人方と(I)Y方との距離は約一・三キロメートルであり、また確定判決の認定によると、(I)Yは昭和三八年八月二六日午前零時十五分ころに請求人方を出、午前零時二〇分ころに(I)Y方に戻ったというのであるから、(I)Yは約五分をかけて約一・三キロメートルを走行したことになり、その走行速度は、時速約一五・六キロメートルないし約一五・七キロメートル


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にすぎなかったということになる。請求人方と(I)Y方との間の狭隘な道路状況等にかんがみても、このような道路状況の下で短時間短距離を走行するに過ぎない(I)Yが、右の程度の低速で走行するのは自然であり、時速三〇キロメートルを超えるような速度で走行することなどは考えられないし、このことは、請求人を含め、誰もが予想できることである。
 そして、この程度の速度で走行していた場合に、運転中事故を起こしても運転者が死亡するようなことはあり得ないのであり、証拠@及びAはこのことを科学的に明らかにするものである。
2 証拠G、M及びOについて
 確定判決は、請求人がカプセル入りの青酸化合物を(I)Yに服用させたと認定しているが、確定判決がここで認定しているカプセルとは、乗り物酔いのカプセル剤であるトリブラのカプセルであり、それ以外のものでないことは明白である。すなわち、確定判決は、(I)Yの死体の胃の内容物から痕跡のチ


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タンが検出されたこと、酸化チタンがカプセルの乳白色の着色剤として一般的に利用されていること、請求人が白色を呈するカプセル剤であるトリブラを所持していたとされることの各事実を根拠にして、請求人がトリブラのカプセルに青酸化合物を入れて(I)Yに服用させたと認定しているのであり、確定判決の認定の決め手がチタンの存在であったことは、証拠Mによっても認めることができる。ところが、証拠Gによると、当時発売されていたトリブラは透明のカプセルを使用していたから着色を使用しておらず、したがってそのカプセルはチタンを含有していないことが明らかになった。
 また、(I)Yは、死亡する約三時間前に千葉県八日市場市の江田美恵子方を訪ねてグレープカルピスを飲んでいるが、証拠Oによると、グレープカルピスの原料である牛乳には微量のチタンが含まれていることが明らかにされている。すなわち、(I)Yの胃内容物から検出されたチタンは、グレープカルピスを飲んだことによることも考えられるし、(I)Yの自宅菜園で収穫された野菜


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類等を摂取したことに由来する可能性もある((I)Y方付近の土壌には、わが国の土壌の平均含有量よりも多いチタンが含まれていることなどは、後記第一次再審請求で弁護人らが立証したとおりである。)。
 結局、(I)Yの胃内容物から検出された痕跡のチタンは、トリブラのカプセルに由来するものではなく、その他の原因によって(I)Yの体内に摂取されたと考えられることになるから、このチタンの存在をもって、請求人の犯行を認定する理由とした確定判決は、その根拠を失うことになるというべきである。
3 証拠B、DからFまで、I及びPについて
確定判決によると、(I)Yは、請求人方でカプセル入りの青酸化合物を服用してから自動車を運転し、約五分をかけて自宅に帰り、その後間もなくして青酸化合物の中毒を発症したとされる。(I)Yが帰宅してから発症をみるまでの前記まもなくの時間とは、確定前の第一審検察官請求証拠番号甲二〇一(以


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下、「甲二〇一」のようにいう。)の国民健康保険被保険者診療録によると、数分から一〇分くらいまでの間の時間とされる。そうすると、(I)Yがカプセル入りの青酸化合物を飲んでから発症するまでの時間は、五分と数分ないし一○分との合計である五分プラス数分から一五分までの間の時間ということになり、これがカプセルの溶解に要した時間であるということになる。
 他方、甲一九八の実況見分調書によると、(I)Yが自宅で発症してから妻のIN(以下「(I)N」ともいう。)や近所の人たちによって済生会波崎済生病院(以下「済生会病院」ともいう。)に運ばれ同病院に到着するまでの時間は二五分二四秒五であるとされる。また、前記国民健康保険被保険者診療録によると、(I)Yが済生会病院に到着したのは、八月二六日午前零時五〇分ころとされる。そうすると、(I)Yが発症した時刻は、午前零時五〇分を二五分二四秒五遡る同日午前零時二四分三五秒五であるということになる。(I)Yがカプセル入りの青酸化合物を服用したと確定判決によって認定されてい


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るのは同日午前零時一五分であるから、結局(I)Yがカプセル入り青酸化合物を服用してから発症するまでの時間は、午前零時十五分と午前零時二四分三五秒五との間の九分三五秒五となり、これがカプセルの溶解に要した時間であるということになる。
 すなわち、本件の証拠関係に確定判決の認定を当てはめると、カプセルの溶解に要した時間は、五分プラス数分と一五分までの間、あるいは九分三五秒五であり、いずれにしても一〇分に近い長さはあったということになる。
 確定判決は、長谷川淳鑑定人の所見に基づき、カプセルが胃の中で溶解するまでの時間は数分ないし三〇分程度であると認定した上で、仮に本件で(I)Yが帰宅してから発症するまでの時間が一〇分くらいあったとしても、必ずしも請求人にとって有利な事情となるものではないと判示している。しかし、長谷川鑑定人の所見には特段の根拠が示されていないなど、科学性が乏しい。なお、長谷川鑑定人の鑑定書には日本薬局方の記載を引用している箇所があ


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るが、証拠Pに照らしても、日本薬局方の記載は長谷川鑑定人の所見の根拠にはならないことが知られるというべきである。
 そして、証拠Bによると、胃腸に異常のない健常成人が、空腹時に、水に溶解しやすい薬剤を入れた胃溶性硬カプセル剤を水とともに嚥下した場合、嚥下してから胃内でカプセルの一部が崩壊し、中の薬剤がいないに漏れ始めるまでの所要時間は平均五分、個人間の変動を考慮してもほぼ二分から八分までと考えてよいとされ、中の薬剤が青酸化合物である場合に、嚥下してから中毒症状が発現するまでの時間も同様に考えてよいとされる。なお、証拠Bの実験は現在のカプセルを使用して行われたものであるが、証拠DからFまでによると、カプセルの物性は本件殺人事件当時も現在もほとんど変化はなく、胃内の溶解時間の点でも差がないとされる。また、これらの証拠によると、国内に流通しているカプセルは三分三〇秒くらいで全崩壊するともされている。さらに、証拠Iによっても、カプセルの崩壊に確定判決が認定する


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ような時間を要しないことが認められる。
 そうすると、確定判決により請求人方で(I)Yがカプセル入りの青酸化合物を飲み下したと認定されている時刻と、関係証拠により(I)Yが自宅で青酸化合物の中毒症状を発症したと認められる時刻との間の時間は、証拠B等の新証拠により認められるカプセルの溶解時間より長いことになり、確定判決の認定ようなする方法でカプセルを使用した犯行として本件殺人事件を理解することはできないことが明らかになったというべきである。
4 証拠C、H、JからLまで及びNについて
本件では、確定前に審理で、(I)Yの妻の(I)Nが、(I)Yは自宅に帰って間もなく苦しみ出し、苦しみながら、「箱屋に薬を飲まされた。」、「俺は箱屋にだまされた。」と言ったという証言をしており(第三・一(1)参照)、確定判決は、(I)Nのこの証言の信用性を肯定し、本件を請求人の犯行と認める上で、同女の証言を極めて重視している。


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 しかし、(I)N証言については、元来が伝聞供述であること、(I)Y・(I)N夫婦の子で、(I)Yの発症当時(I)Y方にいたIm(以下「(I)m」ともいう。)の証言とも符合せず、同女の証言と対比しても不自然な点があること、捜査段階以来の(I)Nの供述には全体として不自然な変遷があること等、信用性を疑うべき事情がある。その上、証拠Hによると、(I)Nは、請求人に対する判決の確定後、確定編決が請求人の犯行の動機として認定したのと同じ生命保険の死亡保険金三〇〇万円を現に受領したことが認められ、同女が請求人を本件殺人事件の犯人と主張することにより大きな経済的利益を得る立場にあることが、一層明らかになった。また、証拠C、JからLまで及びNは、青酸塩中毒では呼吸中枢及び神経中枢の麻痺が顕著であるから、青酸化合物の中毒症状を発した(I)Yが(I)Nの証言するように何度も繰り返し発言するなどということはあり得ないことを明らかにするものである。
 そうすると、(I)Nの証言の信用性を肯定して、請求人を本件殺人事件の犯


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人と認める上でこれを重要な根拠とした確定判決の判断は、過っていたことが明らかになったというべきである。

第二 有罪の確定判決
 請求人は、昭和三八年一一月三〇日、殺人(本件殺人事件を内容とする)、私文書偽造、同行使について、昭和三九年四月一〇日、殺人未遂についてそれぞれ起訴されて、水戸地方裁判所土浦支部で併合心理を受けた。そして、同裁判所同支部は、昭和四一年十二月二四日、すべての公訴事実を有罪と認めて請求人に死刑判決を言い渡したが、これに対して請求人が控訴を申し立てたところ、東京高等裁判所(第一刑事部)は、昭和四八年七月六日、殺人未遂については請求人を犯人と認めるにはなお合理的な疑いが残り、この公訴事実について請求人を有罪とした第一審判決には理由不備と事実誤認があるとして、第一審判決を破棄し、殺人未遂について請求人に無罪を言い渡すとともに、殺人、私文書偽造、同行使については有罪と認めて、請求人に対して改めて死刑を言い渡し


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た。これに対して請求人が上告を申し立てたが、最高裁判所第一小法廷は、昭和五一年四月一日、上告棄却の判決を言い渡して、請求人の判決訂正の申立ても棄却し、同月二四日、請求人に死刑を言い渡した東京高等裁判所の判決が確定するに至った。なお、右確定判決に対しては、昭和五五年四月九日、請求人が再審を請求した(以下、これを「第一次再審請求」ともいう。」が、東京高等裁判所(第一刑事部)は、昭和五九年一月二五日、再審請求を棄却する決定をした。この判決に対し請求人が異議申立てをしたが、東京高等裁判所(第一刑事部)は、昭和六〇年二月二五日、異議申し立てを却下する決定をし、右再審請求棄却決定が確定するに至っている。したがって、本再審請求は、第二次の請求に当たる。
 所論が請求人を無罪と認めるべきあきらかな証拠を新たに発見したと主張している本件殺人事件に関する有罪認定事実の要旨は次のとおりである。
「請求人は、茨城県鹿島郡波崎町に移住後、内妻IM(いか「(I)M」


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ともいう。)の従弟に当たるIY(昭和三年五月生)と知り合って、交際していたが、昭和三八年四月下旬ころ、(I)Mの弟のSYを水戸市内のT生命相互保険会社に連れて行って同会社の保険に加入させた際、自動車を運転して請求人らを連れて来てくれた(I)Yにも保険の加入を勧めて身体検査を受けさせた。(I)Yは、元来無免許でありながら、自動車を購入して運転していたのであるが、請求人は、その(I)Yが、水戸からの帰途、運転を過って自動車を転覆させる事故を起こしたのを見、折から(I)Yが請求人の加入に応じ、請求人が第一回分の保険料を立て替えて支払い、保険金額が適当なら保険加入してもよいと承諾したのを奇貨として、わざと(I)Yには保険金額及び保険金受取人について相談せず、同年五月ころ、同人を保険契約者及び被保険者とし、満期には被保険者が保険金受取人となって保険金を二〇〇万円とし、交通事故等の災害による死亡の場合には請求人が保険金受取人となって保険金額を六〇〇万円とする満期自由組み立て生命保険契約をT生命保険相互会社に申し込んだ。も


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っとも、同社の本社が審査した結果、災害死亡の場合の保険金六〇〇万円の受取人を請求人と(I)Nとの両名にし、各人の受取金額をそれぞれ三〇〇万円とするように変更されて、契約締結の運びになったが、請求人はその変更の事実を知らされていなかった。そして、請求人は、(I)Yが前記のように無免許運転中に転覆事故まで起こしながら、その後も依然自動車の運転をやめないでいるところから、同人が自動車を運転中過って交通事故を起こして死亡したように偽装する企て、その方法として、同人が乗車直前に青酸化合物をカプセルに入れたものを同人に正常な薬品と偽って服用させるならば、カプセルが溶解するまでには多少の時間を要するところから、同人はその場で即死せず、自動車運転中、間もなくカプセルの溶解とともに青酸中毒を起こし、苦悶の末死亡し、しかも外見上の観察からして、同人が自動車運転中操作を過って交通事故を起こし、それによって死亡したものと簡単に処理され、従って青酸中毒による他殺であることは到底看過されないものを思惟し、以来ひそか


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に短時間内に青酸化合物をカプセルに入れることのできる準備を整え、好機の到来を待っていた。折から同年八月二五日、(I)Yが請求人方に来て、かねてONにオートバイを担保に入れて金を借りていた件に関し、O(N)が約束に違反してオートバイを他人に売却してしまったとして大いに憤慨し、居合わせたO(N)と口論して痛く興奮していたが、(I)Yは同日午後八時三〇分ころになって、請求人の自動車を借りて金策のため千葉県八日市場に出かけ、帰途にはまた請求人方に立ち寄ることになっていた。そこで、請求人は、この機会を利用すれば、かねての計画を実行に移すことができるのではないかと考え、(I)Yが帰って来るまでの間にひそかにカプセルに青酸化合物を入れたものを作って(I)Yの帰りを待っていたところ、(I)Yは、同日午後一一時三〇分ころ、請求人方に戻って来た。そして、(I)Yは翌二六日午前零時十五分ころ、請求人方を辞去し、請求人の乗用自動車を借り、一人で乗車運転して自宅に帰ることになったが、その際、(I)Yが今夜は興奮して眠れないなどと言い出したので、請求人は、ま


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さに好機が至ったと考え、いよいよかねての計画どおり(I)Yを毒殺して多額の生命保険金を利得しようと決意し、請求人方土間において、(I)Yがなお興奮しているのを慰めながら、鎮静剤やこれと同様の効力のあるアスピリンを飲めばよく眠れるなどと申し向けて、正常な薬品のように装い、その実、青酸化合物を致死量を超えた分量でカプセルに入れたものを(I)Yに交付した。すると、(I)Yは、これを正常な鎮静剤と誤信して、即座に右土間に設けられた水道の水とともに右カプセル入りの青酸化合物を飲み下し、そのまま直ちに請求人の前記乗用自動車を運転して真っ直ぐ帰宅の途に就いたが、請求人の期待に反し、その途中では別段の症状も起こさず、真っ直ぐ無事帰宅して、同日午前零時二〇分ころ自宅に帰着し、部屋に上がって就寝しようとしたところ、間もなく、青酸中毒の症状を起こし、猛烈な苦悶を始め、同人の妻の(I)Nや近所の人たちに済生会病院に運ばれたものの、いくばくもなく同日午前一時三〇分ころ、同病院内において青酸化合物の中毒によって死亡するに至り、こうして請求人は(I)Y


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を殺害した。」

第三 当裁判所の判断
一 確定判決は、前記のような請求人の(I)Yに対する殺人の犯罪事実を認定している。そして、確定前の審理に現れた関係証拠に照らすと、昭和三八年八月二五日から翌二六日にかけての(I)Yの移動の状況、(I)YとO(N)との口論の状況や、帰宅直前依然興奮していた(I)Yが請求人に眠れないなどと訴え、請求人が鎮静剤などを勧めていた状況等は、確定判決が右に認定するとおりであったことが明らかである。また、確定判決が認定するように、(I)Yは、同日午前零時十五分ころ一人で請求人方の自動車を運転して帰宅の途に就き、午前零時二〇分ころ自宅に帰ったが、その後間もなくして青酸化合物(青酸塩)中毒の症状を発し、(I)Nらによって済生会病院に運ばれたものの、午前一時三〇分ころ右中毒によって死亡したことなども、関係証拠上明らかなところである。
 確定判決は、以上のような事実関係を前提とした上、本件が請求人の犯行で


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あり、(I)Yが帰宅の途に就く直前、請求人が鎮静剤とだましてカプセルに入れた青酸化合物を(I)Yにのませたと認定しているのであるが、確定判決及びその是認する第一審判決の判文並びに確定前の本件の審理に現れた証拠関係に照らすと、確定判決が右認定の主要な根拠としたのは、おおむね、(1)前記(I)Nが証人として、「(I)Yは、帰宅して間もなく苦しみ出し、苦しみながら(I)Nに対し、『薬を飲まされた。箱屋だ。』、『薬はな(最初に)二つ、あと一つ、飲まされた』、『俺、箱屋にだまされた。』と言った。」旨証言しており(なお、請求人は魚類や野菜等を入れる木箱を販売する箱屋の仕事を長く営んでおり、(I)Yらが単に箱屋と言えば、請求人を指すことが関係証拠上明らかである。)、この証言は、以下の諸事情とも符合しており、また、(I)Nが(I)Yの発症直後から同様の趣旨を述べていたなどの関係の状況によってもよく裏付けられていて、その信用性を十分肯定できること、(2)請求人は、(I)Yが請求人方を辞去する前、(I)Yと二人きりで接していた((I)Yに同行して八日市場に行


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ったTSは、八日市場からの帰り、(I)Yとともに請求人方を訪れてはいるが、(I)Yよりも先に請求人方を辞去しており、(I)Yが請求人方を辞去するころには他に客はいなかった。もっとも、内妻の(I)Mとその子はいたが、同女らは既に床に就いていた。)から、請求人には、このとき薬と偽って青酸化合物を(I)Yに渡す機会があったと認められるし、当夜の請求人と(I)Yとの鎮静剤をめぐる前記会話もこの推定を裏付けるものと考えられること、(3)(I)Yが請求人方で青酸化合物を飲んだとすれば、嚥下から青酸塩中毒の症状の発現までのある程度の時間の経過があったことになるが、この点については、(I)Yが飲んだ青酸化合物が何らかの物に包埋されていて、その物が溶解するまでは青酸塩中毒を発症しなかったと考えられることができ、また、包埋物としての機能、形状、入手可能性、取扱いの容易さ等の観点からみると、実際にそのような包埋物としての可能性があるのは、硬カプセル(以下、硬カプセルを指す趣旨で、単にカプセルという。)であると認められること、(4)すなわち、一般に、カプセルは、


(−25−)

入手、取扱いも容易であり、その中に青酸化合物を入れることも比較的容易であったと認められる上、請求人はかねて各種薬剤を購入して所持し、その中にはカプセル剤もあったし、本件殺人事件当時にも請求人方にはカプセル剤があったと認められること、(5)また、本件で、(I)Yが請求人方を辞去してから実際に青酸塩中毒の症状を発するまでの時間的間隔は、カプセルの溶解に要した時間として合理的に理解できること、(6)(I)Yの死体の胃内容物から痕跡のチタンが検出しているが、一般にカプセルを着色するために酸化チタンが使用されていることが認められるから、右チタン検出の事実も、本件でカプセルが使われたことをうかがわせる状況事実といえること、(7)また、(I)Yの死体の咽頭、食道等には特段の異常が認められていないところ、この点も(I)Yの飲んだ青酸化合物が包埋されていたことを裏付けているという趣旨の見解を述べる専門家の所見があるから、これも、本件でカプセルが使われたことをうかがわせる一つの状況事実といえること、(8)請求人には、当夜(I)Yが八日市場に出かけてか


(−26−)

らまた請求人方に戻って来るまでの間に、だれにも気づかれずに青酸化合物を入れたカプセルを作っておく時間と余裕があったこと、(9)請求人が青酸化合物を所持していたと直接認めるに足りる証拠はないが、当時の薬局等における青酸化合物の販売実態や請求人の生活歴等に照らすと、請求人が青酸化合物を入手することは実際にはそれほど困難ではなかったとうかがえること、(10)請求人は、経済的にあまり余裕のない生活をしていたことがうかがえる上、(I)Yを前記T生命保険の生命保険に加入させ、自ら災害死亡時の保険金受取人になるなど、請求人には(I)Y殺害の動機をうかがわせる事情もあること、(11)(I)Yが自殺を図ったことをうかがわせるような事情はなく、請求人以外の者が(I)Yに青酸化合物を飲ませたことをうかがわせるような事情も認められない((I)Yが請求人方に戻ってくるより前に何者かに青酸化合物を飲まされたことを疑わせる事情は全く認められないし、そもそも、青酸化合物の性状ないしカプセルの溶解時間等にかんがみると、(I)Yが八日市場から請求人方に戻る前に何者かに青


(−27−)

酸化合物を飲まされたと仮定した場合には、たとえその青酸化合物がカプセルに入れられていたにせよ、本件のように、(I)Yが自宅に帰ってから初めて青酸塩中毒の発症をみるという経過をたどったとは考え難い。また、(I)Yは、請求人方を出てから他に立ち寄らずに真っ直ぐ帰宅したことがうかがわれ、請求人方を出た後で青酸化合物を何者かに飲まされる機会があったとも認められない。)こと等の諸事情であると考えることができる。
二 そこで、以上を前提にして、前記@からPまでの各証拠が、所論がいうように刑訴法四三五条六号所定の新規明白な証拠に当たると認められるかどうかについて、検討を加えることとする。
1 証拠の新規性について
 証拠Nは、確定前の本件審理において鑑定に当たった上野正吉鑑定人の著書である。所論は、この証拠が青酸塩の作用機序に関する新証拠に当たると主張するが、その内容等に照らして検討してみても、確定前の審理に現れた上野


(−28−)

鑑定人の所見と内容が同趣旨であると認められ、刑訴法四三五条六号所定の新規性は認められないというべきである。
 また、証拠Pについてみると、日本薬局方の関係部分については、確定前の審理で取り調べられた上野鑑定人及び長谷川淳鑑定人の各鑑定書にもその内容が引用されている上、長谷川鑑定人に対する証拠尋問の際等にも既に内容が現れていることなどが認められるから、この証拠についても新規性は認められない。
 その余の証拠@からMまで及びOについては、新規性を是認することができる。もっとも、これらの証拠の中には、青酸塩の反応機序等に関する専門的知見を述べるもので、その内容が確定前の前記上野鑑定人の鑑定等と基本的に異ならないものなどもあるが、これも、確定前の鑑定人とは別の専門家が独自の資料を援用して知見の根拠としている部分などもあることが見受けられ、新規性は肯定できると認められる。


(−29−)

2 証拠の明白性について
 そこで、次に、証拠@からMまで及びOについて、刑訴法四三五条六号所定の明白性を認めることができるか否かについて、検討する。
(一)証拠@及びAについて(前期第一・二1の所論に関する検討)
 前記第一・二1のとおり、所論は、本件の状況の下では(I)Yが帰宅途中の運転中に交通事故のために死亡するということはあり得ないから、請求人が(I)Yの交通事故死を偽装しようと計画したという事実を確定判決が認定しているのは、あり得ない動機、計画を認定したことになるという趣旨を主張する。
 しかしながら、そもそも、確定判決の右認定は、(I)Yが自動車に乗る直前にカプセル入りの青酸化合物を同人に飲ませれば、中毒症状が発症するまでの時間差を利用することにより、(I)Yが運転中交通事故を起こして死んだような外観を作出できるのではないかと請求人が考えたという趣旨の


(−30−)

推認をいっているにすぎないのであり、(I)Yの車両の想定される速度とか、請求人方と(I)Y方との間の当時の道路状況等、所論の主張する諸事情を考慮に入れて検討しても、請求人が右のように考えたという確定判決の推認が不自然であるとか、誤りであるとは認められない。
 所論は、証拠@及びAが所論の根拠となるというが、この主張も理由があるとは認められない。すなわち、前記第一・二1のとおり、所論は、時速三〇キロメートルを超えない速度で走行していた自動車が衝突事故を起こしても、乗車している人が死亡するような結果を生ずるはずはないとし、証拠@及びAがその根拠になると主張する(なお、所論が直接の根拠として援用するのは証拠@であり、証拠Aは証拠@の記載内容の説明として引用されているということができる。)。しかしながら、前説示にように、原判決が認定しているのは、右のように請求人が交通事故死を偽装できるのでないかと期待したということであるのにすぎないのであるから、所論


(−31−)

のように、当該走行状況の下で、乗車している人が死亡する可能性が客観的にどの程度あるかを問題にして確定判決の認定を争うのは、以上説示の事実関係にも照らすと、問題の設定の仕方が適切でないと考えざるを得ない。のみならず、所論が援用する証拠@は、自動車の衝突時の衝撃量と乗車している人の傷害との関係に関する研究結果を記載した文献であって、所論がいうように、走行速度と傷害との関係を取り扱ったものではないことが明らかである。すなわち、所論は、前記のように主張するに当たり、証拠@に記載されている「バリア換算速度」を衝突車両の走行速度の意味に理解することを前提にし、証拠@によれば、バリア換算速度が毎時三〇キロメートル以下の場合、乗車している人が死亡するほどの傷害を負うことはないことが知られると主張する。しかし、証拠@の共著者の一人である財団法人日本自動車研究所研究主管小野古志郎の検察官に対する回答書等によると、バリア換算速度とは、衝突時の衝撃量の指標であって走行速


(−32−)

度を表すものではなく、例えば、毎時三〇キロメートル未満の走行速度で走行していた車両が他の走行車両と衝突した場合、相手車両の走行速度等の衝突の条件いかんによっては、三〇キロメートル毎時を超えるバリア換算速度が算出されるようなこともあることが認められるのであって、所論はその前提を誤っていることが明らかである。そうすると、証拠@及びAは、そもそも所論の根拠となるような意味を持つものではないといわざるを得ない。
 更に補足すると、元来自動車の衝突事故の発生態様には極めて多様なものがあるから、同じような速度で走行中の自動車が起こした事故を比較しても、それぞれの事故から生ずる結果の大きさは、各事故の発生の態様等に応じ、大きく異なり得ることは自明といってもよい。例えば、運転者が運転中意識や体調に突然変調を来し、運転操作が不可能な状況に陥ったような場合、比較的低速で進行していたとしても、重大な事故を惹起しかね


(−33−)

ないこともまたいうまでもない。所論が主張するような時速三〇キロメートルを超えない程度の速度を前提としたとしても、事故の発生態様いかんによっては、乗車している人が例えば相当の重症を負うほどの態様の事故が発生する可能性があり得ることはむしろ明らかというべきであり、請求人が(I)Yの運転中に青酸化合物の中毒を発症させて運転を誤らせ交通事故を起こさせれば、事故死を偽装できるのでないかと期待してその旨計画したとしても、あり得ないことを企てたということになるものではない。すなわち、仮に所論がいう速度を前提にし、また、請求人方と(I)Y方との比較的狭隘な道路状況等、本件当時の諸状況を前提として考えたとしても、(I)Yの青酸化合物による中毒死を交通事故死のように偽装できるのではないかと請求人が考えたという確定判決の前記認定が、不自然であってあり得ないという所論は、採用し難いというべきである。
(二)証拠G、M及びOについて(前記第一・二2の所論に関する検討)


(−34−)

(1)前記第一・二2のとおり、所論は、請求人によって本件殺人事件に使用されたと確定判決が認定しているカプセルとはトリブラのカプセルであることが明白であると主張し、それを前提にした上で、証拠Gによると、トリブラのカプセルにはチタンが含まれていないことが明らかになったから、この事実は確定判決の認定と矛盾するという趣旨を主張する。
 確定判決が、本件殺人事件の事実認定の上で、(I)Yの胃内容物からチタンが検出されたという事実を一つの情況事実として評価していると理解できることは、前記第三・一(6)のとおりである。殊に、確定判決は、本件殺人事件にカプセルが使用されたという事実を認める上で、右チタンの検出が一つの根拠になると評価しているものと理解することができる。しかしながら、確定判決は、本件殺人事件に使用されたカプセルをトリブラのカプセルとまで特定して認定しているものではないことが、その判文上も明らかであって、確定判決の認定しているカプセルとはト


(−35−)

リブラのカプセルであることが明らかであるという所論の前提は、根拠がないというほかはない。もっとも、第一審判決中には、(I)Yが死んだ二、三日後まで請求人方にトリブラがあった旨を請求人が捜査段階で供述していたという事実を判文に摘示している部分があるが、第一審判決が請求人のこの供述を摘示している趣旨は、請求人も本件殺人事件当時請求人方にカプセル剤があったことを自認する供述をしていたという事情を指摘することにあったことが明らかであって、当時請求人方にあったカプセルがトリブラであるとか、請求人が本件殺人事件に使用したカプセルがトリブラのカプセルであったということを認定する趣旨で右供述を摘示しているのでないことは、判文上も明らかである。また、請求人の供述のほかにも、請求人が日ごろカプセル剤を所持し、本件殺人事件当時にもカプセル剤を所持していたという趣旨を述べる関係者の供述が存在するが、これらの供述は、請求人の所持していたカプセルがトリ


(−36−)

ブラのカプセルであるとまでは特定していないことが認められるし、請求人が、トリブラと限らず、各種のカプセル剤を日ごろ所持していたことも関係証拠上優に認められるのであるから、これらの証拠関係に照らしても、確定判決が本件殺人事件に使用されたカプセルをトリブラのカプセルであるとまで特定して認定しなかったのは理由があるというべきである。
 そもそも、証拠Gは、大木製薬株式会社上尾工場長高橋利男の作成に係り、「大木製薬株式会社で製造販売している乗り物酔い止め薬『トリブラ』は、昭和三八年当時、透明の着色していないカプセルに充填して販売していたことを証明致します。」との簡単な記載がある「証明書」と題する文書であって、これをもって昭和三八年当時製造、販売されていたトリブラのカプセルは着色されておらず、チタンを含んでいなかったという事実を直ちに認める根拠にすることができるか、相当に疑問が


(−37−)

あり得ることは否めないが、仮にこの点を一応前提にして考察しても、以上の検討の結果に照らすと、この証拠Gは、本件殺人事件においてカプセルが使用されたことについて特段の疑いをいれるような証拠価値を持つものではないといわざるを得ない。すなわち、この証拠は、(I)Yの胃内容物からチタンが検出されたという事実が本件殺人事件の認定に当たって持つ情況事実としての意味(前記第三・一(6))を特段左右するものではないというべきである。
(2)また、確定判決は、(I)Yの胃内容物からチタンが検出されたという事実を、前記のように一つの情況事実として評価しているということはできるが、この事実を本件殺人事件の事実認定上、例えば決め手となるほどの重要事実とまで評価しているものではないと考えられる。このことは、確定前の審理で、(I)Yの胃内容物からのチタンの検出について所見を示している浮田忠之鑑定人、狐塚寛技官が、右チタンについて、カ


(−38−)

プセル以外のものに由来する可能性を必ずしも否定しない見解を述べていることなどからもうかがうことができる。
 ところで、所論は、証拠Oが、(I)Yの胃内容物から検出されたチタンについて、グレープカルピスに由来した可能性があることを示すというのであるが、仮にそうであるとしても、この証拠は、右チタンの由来について一つの可能性を追加するものであるということはいえても、このチタンがカプセルに由来したという可能性を特段揺るがせるような意味を持つものではない。すなわち、この証拠も、(I)Yの胃内容物からチタンが検出されたという事実の持つ前記の意義を特段左右するような意味を持つものではないというべきである(所論は、このチタンが(I)Yの自宅菜園で採取された野菜類等に由来する可能性についても主張するが、これについても同様に考えられる。なお、右野菜類等由来の可能性の点については、既に第一次再審請求で、再審理由としての主張がされ、裁


(−39−)

判所によって右同様の判断が示されていることが明らかである。)。
(3)証拠Mは、前記狐塚技官が本件でチタンが検出された意義に関する自己の見解を述べたものであって、その記載内容に照らしても、特段確定判決の認定と矛盾するような意味を持つものではないことが明らかである。
(三)証拠B、DからFまで及びIについて(前記第一・二3の所論について)
(1)前記第一・二3で引用したとおり、所論は、(I)Yが昭和三八年八月二六日午前零時一五分ころに請求人方を出て午前零時二〇分ころに帰宅した、すなわちその間の移動に約五分を要したと確定判決によって認定されていること、甲二〇一の国民健康保険被保険者診療録に、(I)Yが帰宅してから発症をみるまでの時間は数分から一〇分くらいまでの間であった旨、また(I)Yが済生会病院に到着したのは同日午前零時五〇分ころであった旨の各記載があること、甲一九八の実況見分調書に、(I)Yが青酸


(−40−)

塩中毒の症状を発してから済生会病院に到着するまでの時間は二五分二四秒五であるという記載があることを根拠にして、(I)Yが請求人方を出た時刻(確定判決により(I)Yがカプセル入りの青酸化合物を飲み下したと認定されている時に当たる。)と(I)Yが自宅で青酸塩中毒を発症した時刻との間の時間は一〇分近くはあったことになるという趣旨を主張している。
 しかしながら、所論が根拠とする前記確定判決の認定や右各書証の記載は、所論がいうほどの微妙で厳密な時刻や時間の算定の根拠になるような性質のものではないといわざるを得ない。例えば、所論は、確定判決が(I)Yの請求人方出発の時刻を午前零時一五分ころ、(I)Yの帰宅の時刻を午前零時二〇分ころと認定していることを根拠に、(I)Yが帰宅に約五分を要したと主張するのであるが、確定判決が右各時刻を認定する根拠としたのは、基本的には、各関係者の記憶に基づく供述であると認め


(−41−)

られ、原判決が認定する右の各時刻もある程度の幅があるものと理解するのが相当であり、(I)Yが帰宅に要した時間が五分くらいになるというのも、例えば、一分の誤差もないというほど厳密なものではないことが明らかである。所論が援用する前記国民保険被保険者診療録(甲二〇一)に記された時刻等も、済生会病院の村田房雄医師が、(I)Yに対する手当てや処置が終わった段階で、他の医師や看護婦等と話し合ったり、記憶を喚起したりして記載したものであることがうかがわれ、所論がいうような分単位の計算の根拠とするにふさわしいほど、正確なものであるとは認められない。前記実況見分調書(甲一九八)も、事件当時の状況を後日に再現した結果に基づくものではあるが、事柄の性質上も、やはり余り厳密、正確な時間の算定の根拠とするには適さないものであるといわざるを得ない。
 所論は、以上のような原判決の認定や書証の記載を根拠にして、(I)Y


(−42−)

が請求人方を出てから青酸塩中毒の症状を発するまでの時間は一〇分程度はあったという趣旨をいうが、以上の検討の結果に照らすと、この所論に特段の根拠があるとは認められないというほかはない。
 補足すると、確定判決は、(I)Yが請求人方を出てから帰宅するまでの時間については、昭和三八年八月二六日の午前零時一五分ころから午前零時二〇分ころまでの約五分と認定している(もっとも、この時間もある程度の幅があり得ることは前記のとおりである。)が、(I)Yが帰宅してから青酸中毒の症状を発するまでの時間については、確定判決の是認する第一審判決も、「同人の自宅に帰着し、部屋に上って就寝せんとしたところ、間もなく」と説示するのみで、それ以上具体的な認定をしていない。確定前の審理に現れた証拠関係をみると、当夜(I)Y方にいた(I)Nも、この点については、それほど厳密な時間を述べてはいないが、その証言中には、(I)Yが苦しみ出したのは、家に帰ってから二、三分経


(−43−)

ったころである旨を述べている部分もある。(I)Nの述べる帰宅後の(I)Yの行動や言動の状況等に照らして検討しても、同女の供述によれば、(I)Yが帰宅してから発症をみるまでの時間は、五分もかからないほどの短時間であり、二、三分程度といってもよいほどの時間であったことがうかがえるし、また、この供述に特段疑問をいれるような事情があるとは認められない。そうすると、(I)Yが請求人方を出てから青酸塩中毒の症状を発するまでの時間は、所論がいう一〇分に近い時間よりは相当に短い時間であった可能性が十分あったことが明らかであって、前記所論はこの点からも特段の根拠がないといわざるを得ない。
(2)以上を前提にして、所論主張の各証拠について検討する。
 前記第一・三3のとおり、所論は、(I)Yが請求人方を出てから青酸塩中毒の症状を発するまでに一〇分近い時間を要したと考えられるという主張(前記(1)参照)を前提にした上、確定判決の認定によれば、(I)Yは


(−44−)

請求人方を出るときに青酸化合物を入れたカプセルを嚥下したことになるが、カプセルが胃内で溶解して中の青酸化合物が胃内に漏れ始めれば(I)Yは直ちに青酸塩中毒の症状を発したであろうから、確定判決によれば、(I)Yが嚥下したカプセルの溶解に要した時間は、結局、(I)Yが請求人方を出てから青酸塩中毒を発するまでの時間と同じ、すなわち、やはり一〇分近い程度であったということになるという趣旨と解される主張をする。その上で、所論は証拠B等によると、一般にカプセルの溶解時間はこれよりは短いことが明らかになったから、確定判決の認定は証拠B等と矛盾することになるという趣旨の主張をするものと解される。この所論は、要するに、直接的には前記第三・一(5)の確定判決の根拠を争うものということができる。
 しかしながら、前記(1)で既に説示したとおり、(I)Yが請求人方を出てから青酸塩中毒の症状を発するまでの時間が一〇分近くはあったという


(−45−)

所論の前提は、そもそも理由がないというほかはない。そこで、所論のこの主張部分はひとまずおくこととして、所論主張の証拠B等について、更に検討を加えることにする。
 証拠Bは、一〇名の被験者(健常成人)に空腹時(ない、(I)Yが本件の青酸化合物を嚥下した時、同人は空腹の状態であったことがうかがわれる。)、カプセル(日本エランコ株式会社製)を水とともに嚥下させ、シンチグラム法によりカプセル内容物の漏出の状況を測定した結果を記録したものであるとされる。そして、これによると、胃腸に以上のない健常成人が空腹時に、水に溶解しやすい薬剤を包埋した市販の胃溶性硬カプセル剤を水とともに嚥下した場合、嚥下してから胃内で当該カプセルの一部が崩壊し、包埋薬剤が胃内に漏れ始めるまでの時間は、平均で五分、個人間の変動があるとしても、ほぼ二分から八分と考えてよいとされ、この包埋薬剤が致死量を超える青酸化合物である場合、嚥下して


(−46−)

から初期中毒症状が発現するまでの時間は、前記の所要時間にほぼ一致すると考えられるとされる。しかしながら、この証拠については、実験の被験者数も右の程度にとどまっており、前記長谷川鑑定人が指摘するように、カプセル内の薬剤が胃内で漏出を始める時間は服用の状況等によってかなり大きく異なることがあり得ると考えられること等をも考慮すると、この実験結果を余り一般化して評価することには疑問もあると考えざるを得ない。もっとも、仮にこの点はひとまずおいて考えても、前記(1)で検討したように、本件で(I)Yが請求人方を出てから青酸塩中毒の症状を発するまでの時間、すなわち、確定判決の事実認定を前提とすると、犯行に用いられたカプセルの溶解時間に当たると考えられる時間は、所論がいうような一〇分に近い時間よりは相当短い時間であった可能性があることになるのであるから、証拠Bの前記結論は、確定判決の認定と必ずしも矛盾するものではないというべきである。例えば、証拠


(−47−)

Bは、カプセルの溶解に八分ないしそれに近い時間を要する場合があることを肯定しているが、これが確定判決の認定と矛盾するものでないことは、前説示の理由により明らかと考えられる。
 もっとも、第一審判決の中には、(I)Yの帰宅から発病までの時間に関する甲二〇一の国民健康保険被保険者診療録の前記記載を根拠にして、(I)Yが帰宅後二、三分で発病したという(I)Nの証言の信用性を争う弁護人の主張に対し、右診療録の時間に関する記載はそもそも正確性に問題があるとしてこれを排斥した上、「仮りに発病までの時間(すなわち帰宅してから発病するまでの時間)が一〇分位であったとしても、必ずしもそれが被告人(請求人)の利益な証拠となるものでない」と説示している部分がある(第一審判決書四六丁裏六行目から八行目まで)。しかしながら、(I)Yの帰宅から発病までの時間が一〇分くらいであった場合には、(I)Yが請求人方を出てから発病するまでの時間の合計は一〇分を


(−48−)

相当程度上回ることにならざるを得ず、確定判決や第一審判決の認定によれば、これがカプセルの溶解時間ということになるから、第一審判決のこの後段部分(引用部分)の説示は、証拠Bとはやはり矛盾することになるうらみがあることを否定し難い。もっとも、第一審判決のこの説示部分は、全くの仮定論として述べられていることが右の判文自体に照らして明らかであり、右の意味でこの説示には誤りがあるとしても、この誤りは、弁護人の前記主張を排斥した第一審判決の結論の当否自体をおよそ左右するものではないことが明らかである。
 また、証拠E、F及びIには、カプセルの崩壊試験ないし溶出試験の結果を記載した箇所があるが、これらは、本件の事実関係とは大幅に異なる前記各試験の結果を記録したものであるにすぎず、確定判決の認定に疑問をいれるような証拠価値を持つものではないと考えざるを得ない。


(−49−)

 なお、所論は、証拠Bの実験に使用されたカプセルや前記各試験に使用されたカプセルは、本件殺人事件当時のものと物性にほとんど相違がないと主張し、証拠DからFまでがこのことを明らかにしていると主張する。しかしながら、証拠Bや前記各試験が確定判決の認定について特段の疑いをいれるような証拠価値を持たないことは、前説示のとおりであるから、右の所論も、もはや本件の事実認定上特段の関連がない主張に帰することにならざるを得ない。
(四)証拠C、H及びJからLまでについて(前記第一・二4の所論に関する検討)
(1)(I)Nは、確定前第一審の第四回、第一二回、第一三回、第二一回、第二四回公判及び確定前控訴審の第一三回公判で、証人として本件について証言し、その中で、(I)Yの発症時の様子等について詳細な状況を述べている。この点に関する同女の証言の要旨は、「(I)Yは、帰宅すると、


(−50−)

私に対し、八日市場ではすごい雨だったとか、明日も八日市場に行くとか話して床に就いたが、いきなり起き上がって部屋から飛び出し、庭でゲーゲーと吐くような音を出していた。(I)Yが室内に戻ってきたとき、私が『酒を飲んだのか、父ちゃん』と尋ねると、(I)Yは、苦しそうに、『薬を飲まされた。箱屋だ。』と言い、『薬はな(最初に)二つ、あと一つ、飲まされた。』と繰り返して言った。『俺、箱屋にだまされた。』とも言った。そのとき、(I)Yは、苦しいと言いながら転げ回っていた。」などというものであり、確定判決が(I)Nのこの証言の信用性を肯定し、本件殺人事件を請求人の犯行と認める上でこの証言を重要な根拠としていることは明らかなところである(前記第三・二(1))。
 (I)Nのこの証言は、具体的明確で、関係の状況に照らしても自然な内容のものということができ、その信用性を認めた確定判決の判断に疑問とすべき点があるとは認められない。


(−51−)

 補足すると、所論中には、(I)Nの証言が伝聞供述であることを理由にその信用性を論難する部分がある。確かに、(I)Nのこの証言部分が伝聞供述に当たることはそのとおりである(ただし、刑訴法三二四条二項、三二一条一項三号により証拠能力を肯定できることもいうまでもない。)が、この点を十分考慮に入れて検討しても、(I)Nの証言の信用性に特段疑問をいれる点はないと認めることができる。そもそも、(I)Nの証言内容について所論が最も争うのは、(I)Nが証言するような(I)Yの言動を(I)Nが真実聞いたかどうかの点にあることが明らかであるところ、この点については、確定前の審理で、弁護人が(I)Nに対して繰り返し詳細な反対尋問を行っていることが明らかであり、(I)Nの証言はこの反対尋問に十分耐えていることもまた明らかである。
 所論は、また、(I)Nの証言は前記(I)mの証言とも符号せず、対比しても不自然な点があると主張する。(I)mは、(I)Y・(I)N夫婦の子で、


(−52−)

本件殺人事件当時は小学校五年生であったが、確定前の第一審で、既に就寝していたら、父が母に「薬を飲まされた。」と言っているのが聞こえたという内容を証言している。所論は、(I)mが、(I)Nの証言に係る(I)Yの言動のうち、「薬を飲まされた」という部分だけを述べ、「箱屋にだまされた」という部分については証言していないのは、後者の言動なるものが(I)Nの想像にすぎないからであるという趣旨を主張し、結局(I)mの証言は(I)Nの証言と矛盾するなどというが、この主張はいささか牽強付会な証拠の解釈であるといわざるを得ない。むしろ、以上に照らすと、(I)mの証言は(I)Nの証言と基本的にはよく符号し、これを裏付けている意味を持つということができ、(I)mが(I)Yの言動を(I)Nほどよく聞いていないのは、当時(I)mは就寝していた最中であって、それほど注意して(I)Yの言動を聞いていなかったからであると推認するのが相当である(現に、(I)mの証言によると、同女は、(I)Yの言葉を聞


(−53−)

いた後また寝入ってしまったというのであり、同女は(I)Yの言動を聞いた時点では、事態をそれほど緊迫したものとして受け止めておらず、したがって(I)Yの言動をそれほど注意して聞いていたものでもなかったことがうかがえる。)。
 所論は、(I)Nの供述の変遷が著しいという趣旨の主張もしている。しかしながら、捜査段階からの(I)Nの供述状況を全体として考察しても、(I)Nの供述は、(I)Yが(I)Nに対して言ったという前記言動の内容や、その際の状況等を含め、基本的には一貫していたと評価することができ、また供述経過等にも不自然な点は見当たらない。所論は、(I)Nの供述に変遷があるとして種々の指摘をしているが、所論にかんがみ検討しても、供述の基本的信用性に影響するような変遷があるとは認められない。
(2)前記第一・二4のとおり、所論は、証拠C、H及びJからLまでが(I)Nの証言の信用性を揺るがせるような証拠価値を持つという趣旨を主張


(−54−)

するが、前記(1)で検討したところをも前提にして考察すると、これらの証拠は(I)Nの証言の信用性に特段の影響を与えるものではないと認められる。
 すなわち、まず、所論は、証拠Hによれば、(I)Nが、(I)Yを被保険者とする前記の生命保険に関し、三〇〇万円の保険金の支払を現に受けたことが明らかになったから、(I)Nが請求人を本件の犯人と主張することにより大きな経済的利益を得る立場にあることが一層明らかになったという趣旨をいう。
 しかしながら、所論指摘の点は、確定前に審理で実質的には既に明らかになっていたことが明らかである。すなわち、確定前の審理で取り調べられた関係証拠によれば、(I)Nが昭和三九年に前記生命保険の保険金の支払いを請求し、その処理が留保になっていたなどの事実関係が既に明らかにされていたことが認められるし、(I)Nも、確定前の証言において、


(−55−)

右保険金の請求をしたことを、その経緯等とともに述べており、特段そのことを隠していたものではないことが認められる。確定判決は、このような事情をも当然考慮に入れた上で、(I)Nの証言の信用性を肯定する判断をしたことが明らかであり、また、この判断に疑問をいれるような事情があるとは認められない。所論が援用する証拠Hは、(I)Nの請求に基づいてその請求のとおり現実に保険金が支払われたという事実を正面するものであるにすぎず、同女の証言の信用性を評価するについて意味がある事情が新たに明らかになったことを示すというような性質のものではない。
 また、所論は、証拠Cを根拠にして、(I)Nの証言するような(I)Yの言動は青酸塩中毒の症状と矛盾しており、あり得ないことであるという趣旨をも主張する。
 証拠Cの鑑定意見書は、作成者の平瀬文子医師が、青酸塩中毒の機序


(−56−)

等について比較的一般的な所見を述べるとともに、本件殺人事件について弁護人が設定した鑑定事項についても所見を示したものである。この部分の記載内容についてやや詳細にみると、「仮に、服毒者(三五歳)が、深夜帰宅して寝床に入ってから間もなく発病し、嘔吐のため一〜二分間戸外に飛び出した後屋内に戻り、苦悶状を呈しながら妻と会話を交わし、その後一〇分以内に意識を失い、一時間後には急性青酸中毒死と認められたとする。そのような場合、その会話が別紙のような長さのものであることが青酸反応の生理学的機序からして、およそ考えられるか。」という鑑定事項が記載され、別紙として、(I)Nの供述内容を弁護人が抜粋ないし要約したと推認されるものが添付されており、「考察」の項中に、「服用して発病後の意識消失は、きわめて迅速であるのが青酸塩中毒の特徴である。しかるに、設例では発病後一〜二分外に出てから屋内に戻り、妻と会話を交わしている。妻との会話の内容はかなり明瞭で長


(−57−)

いものである。一〇分以内に意識喪失、一時間後に死亡という点からも、激症を呈したと考えられる。従って、このようなケースで設例にあるような会話を行いうるというのは、青酸塩中毒の症状としてはきわめて異例である。」と記載され、「鑑定」の項中に、前記鑑定事項については「殆ど考えられない。」との記載がある。
 しかしながら、前記鑑定事項中には、(I)Nの証言内容の記載として必ずしも正確とはいい難い点がある上、(I)Yと(I)Nの会話がかなり明瞭で長いものであるという平瀬医師の理解も、同医師は前記の別紙を読んでそのように受け取ったものとはうかがえるが、正確な理解とはいい難い。すなわち、(I)Nの証言に照らすと、同女が証言する発症時の(I)Yの言動(すなわち、(I)Yが帰宅していったん床に入り、苦悶し始めるようになった後の言動)は、確かにその意味内容に紛れはないが、苦悶し、転げ回りながら、前記程度の言葉を口にしたというものであって、これにつ


(−58−)

いて、かなり明瞭で時間をかけた会話というとらえ方をするのは、正確な理解とはいえないと考えざるを得ない。これを要するに、平瀬医師の前記所見は、前提事実の理解の仕方において首肯し難いところがあり、(I)Nの証言の信用性の評価について特段の疑問をいれるような証拠価値は認められないというべきである。なお、確定前の審理において、前記上野鑑定人は、(I)Nの証言に現れた(I)Yの言動、状態等も含めて、(I)Yの発症後の経過は青酸中毒の症状に関する一般的所見に沿うものであるという趣旨を述べているところ、以上で検討したところにも照らすと、証拠Cの記載は、右上野鑑定人の所見についても特段疑問をいれる根拠になるものではないと考えられる。
 また、証拠Cには、前記のように、青酸塩中毒の機序ないし一般的症状に関して記載された部分もあり、証拠JからLまでにも、同様の記載がある。しかしながら、以上で検討した点を前提にして検討すると、こ


(−59−)

れらの証拠は、(I)Yの言動の状況として(I)Nが述べている内容に疑問を生ずるようなものではないと考えられるし、その他何らかの意味でも、確定判決の認定に疑問をいれるような意味を持つものではないことが明らかである。
(五)証拠の明白性に関する結論
 以上で検討したとおり、所論主張の新証拠のうち、新規性を否定されるものを除く証拠@からMまで及びOについてみても、これらの証拠はいずれも確定判決の認定に疑いをいれるような特段の証拠価値を持たないと考えられる。そうすると、これらの証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、果たしてその確定判決においてされたような事実認定に到達したであろうかという観点から、これらの証拠と他の全証拠とを総合的に評価して検討してみても、請求人が(I)Yを殺害したものと認めた確定判決の事実認定に合理的な疑いが生ずると認める余地はないというべきである。
 したがって、これらの証拠は、いずれも刑訴法四三五条六号所定の明白性を欠くものといわなければならない。

第四 結論
 よって、本件再審請求は理由がないから、刑訴法四四七条一項によりこれを棄却することとして、主文のとおり決定する。

  平成一二年三月一三日

    東京高等裁判所第一刑事部

      裁判長裁判官 村上光鵄


(−60−)

      裁判官 木口信行
      裁判官 杉山愼治


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