■ 事件(1) - 接点 -

事件の起こった1963年は、大鵬が6場所連続優勝を成し遂げ、日本シリーズで巨人が勝ち、テレシコワの乗ったボストークが打ち上げられ、名神高速道路が開通した年である。吉展ちゃん誘拐事件、狭山事件(注)が起こり、神奈川県の鶴見で国鉄事故があり、力道山が刺された年でもある。

波崎町(はさきまち)は利根川と鹿島灘にはさまれた、南東から北西に伸びる幅約3km長さ20kmほどの細長い町である。茨城県最南端に位置し、南東の端部が銚子大橋によって千葉県と結ばれている。事件当時の人口は2万4千人(2000年には約3万9千人)、世帯数は4千8百。1960年4月に波崎町と利根川対岸の銚子市(ちょうしし)をむすぶ銚子大橋の建設がはじまっていた。

犯人とされたTTさんは、第2次世界大戦後、シベリアに抑留され、1949年帰国。茨城県那珂湊市(なかみなとし)において、魚類や野菜を入れる木箱の販売(箱屋)、ラジオの修理業を営んでいた。箱屋の商売のため波崎町や対岸の銚子市に通ううち、内妻IMさんと知り合い、1956年11月末頃から波崎町に住むようになった。

1963年の事件当時、TTさんは箱屋と不動産屋の仲介を営なみ、内妻IMさんと先夫の間に生まれた娘のIAさんには波崎町で美容院を開業させ、IMさんを会計等の仕事に当たらせている。箱屋の商売はあまりうまく行かず、1962年夏頃からはほとんどやめていた。事件当時、TTさんには借入金、物品売掛金等の負債が80万円ほどあった。

被害者のIYさんはTTさんの内妻IMさんの従弟にあたり、農業を営んでいた。IYさん宅はTTさん宅から約1.3kmの距離にあり、自動車を使えば片道5分ほどで行き来できる。IYさんは1962年秋頃から、銚子大橋建設の作業員を当てこんでできた賭場に出入りし、そこでTTさんと知り合っている。IYさんの博打の借金がかさむようになったのは1963年はじめからで、260万円を超える借金の大半は博打で負けたためとされる。もともとIYさんは田畑・山林を合わせて約2町歩を持っていたが、手放し、1963年8月の事件当時には家屋敷と田畑4反になっていた。

TTさんはIYさんと金銭の貸し借りをしたり(事件当時TTさんはIYさんに25万円ほど貸していた)、IYさんの借金の世話をしていた。また、IYさんは博打の借金取立を妻のINさんに隠すためにTTさん宅を連絡先としていた。INさんはTTさんがIYさんを悪い遊びに引き込んだと思っていたようである。



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