禅とは・・・ 日本に禅を伝えたのは 日本臨済宗の開祖(1141〜1215)栄西であると言わ れている。栄西は 備中国(岡山県)吉備津宮の祠官賀陽(しかんかや)家に 生まれ14才で比叡山延暦寺で授戒、密教を学んだ。2度入宋。京都に建仁寺 鎌倉に寿福寺を開き、臨済宗の発展の基礎を築いたひとなので あ〜る。 そして 禅と言ったらこの人 道元。 曹洞宗の開祖、道元は宗教家であると同時に思想家であったそうな。 道元は言葉には表しえない「不立文字(ふりゅうもじ)・教外別伝(きょう げべつでん)」の正法(禅)の神髄を 仏教界の大著『正法眼蔵(しょうほうげん ぞう)』によって描ききろうとした人で 栄西の弟子でした。 難しい禅の意味などは いくら考えても宇宙の広さを机の定規ではかるよう ものなので止めときますが、禅の話って 堅苦しいものばかりではなく、面白 いものもあるのです。 と思います。 禅問答に次のようなのがあります。 【粘華微笑(ねんげびしょう)】というはなし。 釈尊の晩年のこと。王舎城(ラ−ジャグリハ)の近くの霊鷲山(りょうじゅ せん)の頂上で説法を続けていた。 だが、ある日に限って一言もいわず、そばにあった金波羅華(こんぱらげ) という花をひとつ拈り(ひねり)取って大衆の前に示した。 ほとんどの弟子たちは、意味がまるでわからなかったが、ただ1人、摩訶迦 葉(まかかしょう)だけは、にっこりと微笑み深くうなずいた。 それを見た釈尊は、静かにこういった。 「口で説くことはできない真実の教えの一切を摩訶迦葉に伝授することにし よう。」 つまり、ツ−ビ−トの晩年のビ−トたけしは、高座で漫才をしていた。 だが ある日限って 一言も言わなず、おもむろに 「コマネチ」と叫んで 足をがに股の形にして 両腕でそのがに股の足に交差するような形をした。 すると 1人の客が 「ぷっ」と思わず笑ってしまった。 それを見た ビ−トたけしは、静かにこう言った。 「口で笑わせることはできない真実のお笑いを伝授することができた。よし きみを弟子にしよう。」 と言って たけし軍団が始まったかどうかは ぜんぜん わからない。 ニアンスとしては こんな感じなんじゃないかなと・・・。(^^; その禅問答でも 一番笑った(ばち当たりな奴です)のが 次の問答だ。 【廓然無聖】 達磨さんという中国の偉いお坊さんのところへ 梁という国の王、武帝が 訪ねてきて、 「私は、これまで多数の寺を造り、教典を写させ、僧侶を育成してきた。 こうまでした私には、どんな功徳があるのか」 それに対し 達磨さんは、 「功徳などまったくない」 と言い放った。 よく一つの国の王に そこまで言えるなと思いますが、もしこれが織田信長 とかだったら 即刻死刑だったろうに。 これも よく聞くような話であるんじゃないかな。 「僕は、君においしい料理を食べに連れて行ってあげた、高価な指輪を買っ てあげた。重いものはいつも僕が持ってあげた。車で送り迎えは時間どう り それなのに ・・・」 それに対して 彼女の言葉は きっと 「ば〜かっ。」 とかでしょう。 禅と聞くと やはり 座禅を思い浮かべることでしょうが、瞑想と座禅の違 いは何何だろうか。 そのへんのことは 心理学者の巨人 C・G・ユングに接点があるらしい。 ユングもまた 禅に興味を持っていたようだ。 禅の本を何冊も読んでも 禅のことは解らないと書いてある。 だったら 書くなよ。ブツブツ・・・。 でも これは スポ−ツを本で理解して終わるようなそんな馬鹿な人はいな いと思いますが、禅も実践してみることに意味があるのではないだろうか。 座禅の他に 太極拳は動く禅とか、座禅に対し立禅とか言われているが、 寝ながらの禅 横になった禅はないのだろうか。 ためしに 横になって瞑そうしてみた・・・、朝になっていた。・・・ 無理みたいだ。。。 やる前に 気付よ・・・みたいな。 宗教の話は 極力さけてきたのだけど、この程度なら 宗教的にはならないと判断して 終わりにしよう。 では また お会いしましょ。 2001.04.12 神奈川・クロベ |