1999 8/18のダカ−ポという雑誌に「傷つきやすい性格は直るか」という
特集をやっていた。漫画家・弘兼憲史の『男は「いい人」になんかならなくていい』
(講談社)、作家・會野綾子の『「いい人」をやめると楽になる』(祥伝社)、精
神科医・香山リカの『もう「いい人」にならなくていい!』(海竜社)と、″いい
人をやめろ!″と言っているが、やめようと思ってもやめられない、どうやったら
自分を変えることができるのか・・・。というような事が書いてあった。
性格を変えようとするのがいかに大変か、だいたい簡単に変わらないことは解っ
てるはずだ。専門的なカウセリングの分厚い本を読もうが、寺に行って座禅を
2・3時間しようが、自己啓発の研修に参加して自分を鍛えたとしても、性格が
変わるとは思わないでしょう。それなのに「いい人」をやめろと言っている。
いい人は自分のことをいい人だとは思っているのだろうか。悪い人は自分のこと
を悪い人だとは思っているのだろうか。
電車の中で老人に席を譲る、嘘はつかない、時間は正確、人に優しい人がいて、
その人のことをなんていい人なんだぁ と言えば、「これが普通じゃないの?」
という答え。
ほんとにそうか? おまえは機嫌悪いときとかないのか? 仕事でへとへと
になっているときシルバ−シ−トでもないのに老人がいたら席を替わってあげるの
か? おまえより若い者が隣にいてその若者が席を譲ればいいのにとかは思わない
のか? 給料前でどうしようかと困ってるときに金を貸してくれと頼まれたら、定
期預金を崩してでもお金を貸すことが 普通のことなのか? あなたは言うよね、
昔世話になったからとか、誰かが疑問を投げかけると、そうすることの理由を考え
るでしょ。 でもそれとこれとは別だと思わないか?
いい人は自分のことをいい人だと思ってないみたいだ。いい人だけでなく、割と
あいつは悪い奴だとか言われている人も自分のことを悪いとは思ってないみたいだ
じゃあ 自分のことをどう思ってるかというと、自分が普通。
つまり悪くもなく良くもなく、自分のすることは当たり前のことで誰でもやって
いると思いこんでいる。
普通の人は 電車の中で疲れていなくても老人がきたら何故か眠くなるんだよ。
時間はきっちりきめないでだいたい何時頃ねと約束するんだよ。人には、気分の
いいときだけ優しくするんだよ。金を貸してと頼まれたら、よいサラ金を教えて
あげるんだ、それがあなたの生きる道、、、。
いい人をやめるには、自分の行動をチェックして自分がいい人かどうか確認する
必要がある。まず自分がどれだけいい人なのか意識しなければならない。自分が
いい人と言う自覚がなければ直しようがないのではないか。そして周りの人たちと
自分の行動の違いを徐々に近づけていけばよい。
ダカ−ポにはいい人をやめるにはどうしたらよいかと言うことは書いてない。
いい人の自覚なんて書きましたが実際これはとてつもなく難しい気がする。他人の
行動や物事の反応の仕方などを近づけていけばよいと書いたが、誰の?となる。
これも実際やるとなると 現実離れしているような気がする。いざ実際にやって
みると、人それぞれ み〜んな違うからどの人にあわせていいか迷うし、一人に
絞ってみても朝から寝るまで一週間だってむずかしいでしょう。みんな忙しいし。
もし仮にいい人を止められたとしたらどうなるでしょう。今まで普通と思って
たことが、良いことなので、普通にすることが悪いことをしているように感じて
しまうのではないだろうか。
昔、とっても心の綺麗な人はどんな人だろうと思ったことがある。それはきっと
いてもすぐに自殺してしまうだろうと思った。 少し心の綺麗な人は、腹グロの
人を人間ではないかのごく思ってしまうのではないだろうか。そしたら滅茶苦茶
綺麗な人は、一万倍の嗅覚をもって僕の部屋に入るようなもので、考えただけで
鼻が曲がってしまうだろう。
たとえは、多少難がありますが、言いたいことは。。。そう言うこと。(^^;;;
だから いい人をやめるって言うけど、そんな簡単ではないのだ。
と思うであった。
1999.08.30/北久里浜クロベ