超空客室乗務員 ストラトスッチー

                 〜 航空ショウほど無敵な商売はない 〜      石垣一期

「ほらヲジーちゃんてば早くしてよぉ。早く行かないといい場所取れないんでしょ?」
 土曜日にしてはやたら混雑している駅の改札口に、木琴を掻き鳴らすようなきんきん声が響く。十五歳の女子高生、白菊つばさの声である。彼女にヲジーちゃんと呼ばれたのは祖父の深山護。八十八歳にもなると背丈も縮みきっているので、切符売り場の人混みに埋もれて姿は見えず、返事もどこかでしているようだがぜんぜん聞き取れない。
 この駅の改札口はホームをまたぐ橋上駅である。田舎の駅なので、真夏でも冷房などない。普段は風通しもいいのだろうが、今日は改札前の通路に西口の階段下から並んでいる何かの行列が東口の方まで延々と続いていて、さして広くもないスペースを余計狭くしている。電車が着くたびに改札口からも人波が流れ出て、その半分は西口に、残りは行列の最後尾を求めて東口に向かう。
 つばさは長いポニーテールと肩からたすきにかけたポシェットを揺らして、ひょいひょいと人波をかわしつつ、ヲジーの姿を探す。電車の冷房で冷えた体が温まってくると、クッキー模様のTシャツにひらひらのミニスカートという格好でも暑くてたまらない。
 むくれているつばさのもとに、やっとヲジーちゃんが白髪白髯に麦藁帽子とアロハシャツと言ういでたちで姿を現した。手にはデパートの紙袋を提げている。
「もー何やってたの? この暑っ苦しいのに」
「いやなに。帰りの切符を買っとったんじゃ。この駅は券売機が少なくて、また行列になるからの。つばさは並ぶのが嫌いじろうが」
「う……」
 交通整理にあたる駅員も、あたりのざわめきに負けぬようハンドマイクでがなりたて、タイミング良くヲジーの説明を裏付けている。
「本日、米海軍飛行場のオープン・ハウスにおいでの皆様に御案内申し上げます。お帰りの時間には当駅の切符売り場は大変混雑いたします。お帰りの切符は今のうちにお求めください……」
 こうなるとつばさとしても言い返せない。
 それはつばさだって、雑誌に載ったパン屋さんで人気のクロワッサンの焼き上がりを待つとか、好きなバンドのライブの日に早めに行って開場を待つとかであれば、行列に並ぶのも厭わない。しかしそれはパンなりバンドなりが好きだからであって、基本的にせっかちなつばさは行列して待たされるのが嫌いだ。
 気を取り直してつばさは話を変えた。
「で? ここからはどう行くの?」
「そうじゃな。歩いていくのが一番ええじゃろ」
「あ、それじゃけっこう近いんだ」
「まあ基地の入り口まで二十分、中に入ってから飛行展示のある滑走路ぎわまで十分てところかの」
「げっ。バ、バスとかないの。バス」
「まあ基地の中の滑走路近くまで直接入るバスが出とるがの。ほれ」
 橋の上からヲジーが指差す駅前のバス停には、確かに行き先に『臨時』と書かれたバスが何台か停まっていて、乗客をすし詰めにしては出発している。ピストン輸送だ。バス待ちの行列は炎天下の駅前広場を二度折り返して西口階段に達し、階段を上ってつばさたちの脇に並ぶ行列に続いていた。その先の東口の方でどのくらい続いているのか見当もつかない。
 バス会社の制服制帽にくたびれた鞄を首から下げた車掌が「ただいま直通バスは三十分待ちになっております。列の最後尾は東口のロータリーです」と声を張り上げて階段を上ってくる。
「三十分待ち……しょ〜がないなもー。なんでこんなに人が多いの?」
 歩く覚悟を決めたつばさは、しぶしぶ階段を降り始める。
「そりゃあ今日はアレが飛んでくるからじゃ。それはともかく、たまには基地の営門まで歩くのもええもんじゃよ」
 さりげなく放ったヲジーのギャグは、付近にいたバスの行列や、すれ違う人々を凍結させた。真夏の暑い盛りだというのに。つばさはすでにヲジーギャグ耐性ができているので大丈夫だが、そのかわりくすりとも笑わない。

 さて、遅ればせながら状況説明だが、今日は年に一度の米海軍基地のオープン・ハウス、つまり一般公開の日である。海軍の艦載機が飛び回る航空ショウが最大の呼び物で、それを見るため全国から飛行機マニヤや軍事ヲタクが集結してくる日でもある。とりわけ今回はヲジーの言う「アレ」、退役後にながらくモスボール状態で保管されていた超音速偵察機SR-71『ブラックバード』が飛来する予定になっている。もはやめったに見られなくなった機体だけに、例年以上の人出を招いているのであった。
 ついでながら、付近住民にとってはただでさえうるさい飛行場が、危なげなアクロバット飛行やらガラの悪い見物客やらで、いっそう迷惑のつのる日だとも言える。
 つばさの祖父、太平洋戦争終結時には大日本帝国海軍の技術士官、深山少佐であったヲジーは、当然のように飛行機マニヤで軍事ヲタクである。したがって、戦後に勤めていた重機械メーカーの研究所も辞めて悠悠自適のいま、このてのイベントを見逃すはずはなかった。
 ついでにヲジーはTVの特撮ヒーロー番組にも造詣が深い。目下のお気に入りは、スチュワーデス風の衣装をまとったヒロインが活躍する、正義の客室乗務員『スーパー・スッチー』で、趣味が嵩じてつばさに着せるコスプレ衣装まで作ってしまったほどである。その『Gスーツ』とヲジーが呼んでいるコスチュームは、彼が戦時中に駐在していたドイツからひそかに持ち帰った機密資料を悪用(?)し、さらに勤め人時代にひそかにちょろまかした高価な原材料を使い、自宅地下にひそかに建てた秘密研究室でひそかに開発した重力制御繊維をひそかに使ったもので、TVに出てくる本物の衣装以上に本格的にできている。
 実は今日もその衣装をかばんに隠し持っていて、隙あらば孫のつばさに着せ、まわりにうようよ居るであろうヲタクどもにその特殊機能を見せびらかさん、と企んでいる。もちろんつばさはそんなこととはつゆ知らない。

 そのつばさだが、彼女は別に飛行機にも軍事にも全然なんの思い入れもない。それがなぜのこのことヲジーについて来たかといえば、一つには米軍基地に行けば金髪で青い目ですらりとかっこいい兵隊さんがうようよしている、とヲジーに吹き込まれたためであり、これは数日前に戦闘機パイロットが主人公の映画『トップ・ガイ』を見たばかりのつばさにとって、ちょっと魅力的な響きがあったことがあげられる。しかし決めてとなったのは「アメさんの基地祭に行くとな、兵隊の家族が屋台を出して、本場仕込みのバーベキューやら、手作りのアップル・パイやパウンド・ケーキを売っとるんじゃ」というヲジーの一言だった。
 つばさは甘いものに弱い。特に洋風焼き菓子系に目がない。着ているTシャツがクッキー柄なのも、『ドテラおばさんのクッキー』の店でシナモン・レーズン・クッキーを大量に買って、景品にもらったのが気に入ったからだ。それがアメリカ人の手作りアップル・パイと聞いては黙ってなどいられない。実のところヲジーはそれを狙ってわざわざパイやケーキの話を持ち出したのであり、パイで釣って連れ出してさえしまえばこっちのもの、あとはつばさを言いくるめてスッチーのコスチュームを着せてしまおうと言う魂胆なのであった。

 ヲジーとつばさが歩いて行く道は、前も後ろも米軍基地に向かう人々が連なっていて、ぞろぞろとみな同じ方向に歩いている。これならつばさが一人だけで来ても迷う心配はない。
 道の右側はとりたててどうと言うことのない住宅地である。町工場のようなところでは、広い敷地を臨時の駐車場にして、車で基地祭に来てしまった人を目当てに「駐車料一日三千円」などとふっかけていた。路上駐車している車もあるが、それはミニパトがしきりに巡回してはチョークでチェックしている。罰金とレッカー代に違反点数も考えれば、三千円の方が安上がりだろう。ミニパトを見送るヲジーは、もっぱら中に乗っている婦警さんを横目でチェックしているようだ。
 対して道の左側は、駅を離れてまもなく目的の海軍基地に接するようになった。しかしそちらは高い金網フェンスで囲まれていて、出入り口らしきものは見えない。フェンスには一定の間隔で看板のようなものが取り付けてあり、日本語と英語のバイリンガルで何やら書かれている。歩くのに飽きてきたつばさは、立ち止まって退屈しのぎに読んでみる。
『立入り禁止。施設内に無許可で侵入する者に対しては、致死的武力の行使が許可されている』
 日本語の文は英文の直訳なので妙な表現になっていて、つばさには意味がよくわからなかった。とっとと先に進んでいるヲジーを小走りに追いかけ、聞いてみる。
「ねぇヲジーちゃん。致死的武力ってなに?」
 ヲジーはちらっとそちらに目をやった。
「ああ、あの標識かの。致死的武力と言うたら、そりゃ小銃やら機関銃やら大砲やら核ミサイルやら……」
「わかったよわかった。で、その行使が許可ってことは、鉄砲とか撃たせてくれるのかな」
「違うわ。勝手に入るやつは殺されても知らんぞと、いや殺すぞと言っとるんじゃ」
「ええっ。そんなことしたら警察につかまっちゃうよ」
「捕まりゃせんわ。許可されとるんじゃからな。だいたいこの中は米軍の軍事基地じゃ。大使館や何かと一緒で治外法権じゃろう」
「それじゃ、許可されてるって、誰がそんなこと許可したの」
「在日米軍の司令官じゃろ。日米安保条約だか地位協定だかに書いてあるはずじゃから、その意味では日本政府が許可したとも言えるな」
「え〜。なんでそんなことになっちゃうわけ?」
「そりゃ日本はアメさんと戦争(ドンパチ)やらかして、負けちまったからじゃい。ああ……あの時わしときょうちゃんが『軍極秘』の指令を受け、世界一の兵器技術を導入せんとわざわざドイツくんだりまで行ったと言うに、奮闘努力の甲斐もなく、きょうちゃんも涙の日が落ちる……」
 ヲジーが太平洋戦争の話を始めると長いので、つばさはもう聞いていない。『きょうちゃん』と言うのはヲジーの海軍時代の同僚、太刀風響(たちかぜひびき)のニック・ネームで、敗戦間近いドイツで生き別れたらしい。
 つばさは小さい頃からその種のドイツ冒険談をさんざん聞かされてとっくに飽きているし、そもそもどこまで本当かも定かではない法螺話が混じるので、ほとんど信じていなかった。
 ところが先日、そのきょうちゃんの孫娘で、大ドイツ第四帝国の太刀風エミリーと名乗る日系の(ハーフらしい)女が現れ、ヲジーの言うことをいちいち裏書きしたのである。そのため今では半信半疑くらいにはなっているつばさだった……のだが、やはり聞き飽きているのには違いない。
 結局ヲジーの昔語りは基地の正面ゲートに到着するまで続いた。

 ゲートに着くとまた行列である。
 車が通る広い門扉は閉ざされていて、その横にある歩行者用の狭い入り口から入場するようになっている。傍らの建物にある普段の受け付け窓口は閉ざされていて、その代わりに敷地内へちょっと入ったところにテーブルを並べ、入場者一人一人の手荷物検査をしていた。いちいちバッグやリュックを開けさせて、迷彩服の米兵が中を覗き込んでいる。それで時間がかかっているのだ。
 それを見てつばさの脳裏に不吉な思い出がよぎる。ついこのあいだ、やはりヲジーに誘われて沖縄旅行に行った時の事だ。
 その旅行は『スーパー・スッチー』ファンのためのツアーで、ほとんどの参加者がそっち系のヲタクだった。それだけならまだいい。問題はそいつらの持ち物で、みんないい歳をしてスッチーが変身するときに使うバトン『航空精神注入バトン』のおもちゃを持参していた。もちろん筋金入りの老年ヲタクたるヲジーも人後に落ちることはない。
 おまけにそのバトンは、空港にある機内持ち込み手荷物のX線検査では、スクリーン上に拳銃そっくりの形に写った。シルエットだけ見ると棒状の部分が銃身のように、先端にある翼の形の飾りが拳銃のグリップのように見えるデザインが原因である。
 そのため、居並ぶヲタクが次々と引っかかってやたらと時間を食ったのだった。そればかりか、あまりにも大量にバトンが引っかかるのでかえってチェックが甘くなり、バトンを本当に弾の出る拳銃に改造した連中が、まんまと機内に持ち込むことに成功、ツアーの飛行機をハイジャックしてしまったのだ。確か『大ドイツ第四帝国東亜特務隊』などと名乗って……。
 つばさの思考がヒューズでも飛んだように途切れた。そこから先は思い出したくないのだ。結局ハイジャックはつばさが解決(?)したと言えないこともないのだが、それは同時に彼女のトラウマにもなっている。

 悪い予感は当たる。
 基地の手荷物検査でヲジーの順番がまわってきた時、ヲジーが紙袋に隠し持っていたスッチーのバッグが見つかったのだ。劇中でスッチーが肩から提げているもののレプリカで、普通に玩具店で売っているものだ。さらにその中からスッチーのコスチューム『Gスーツ』が発見された。航空精神注入バトンもスッチーの必須アイテムとして一緒に見つかった。
 大ドイツ第四帝国による世界規模の同時多発ハイジャック事件において、日本ではこのおもちゃのバトンを改造した銃が使われたことは、世界中で大々的に報道されてまだ記憶に新しいところだ。検査をしている米兵もそれを知らぬはずはなく、あからさまに疑いの目でヲジーを見つめた。
「あ、あいや、これはな、ただのおもちゃじゃ。ほれここにメイド・イン・チャイナと書いてある。決して鉄砲なんかじゃないあるよ。ぽこぺん。ワタシ怪しいモノじゃないアル」
 ヲジーは脂汗を流しながら、しどろもどろに言い訳する。わざわざ鉄砲などと言わずもがなの事まで言うものだから、米兵はますます怪しんでバトンを取り上げ、あちこちひねくりまわしている。
 このバトンは改造銃でこそないが、普通に売られているおもちゃを元にヲジーが独自の改造を加えてある。しかし外側の部分はおもちゃをそのまま流用したので、見た目はまったく問題ない。メイド・イン・チャイナともちゃんと刻印されている。
 米兵がバトンをいじっているうちにたまたま電源が入り、先端の羽飾りについている宝石を模したランプが青く点灯した。その状態でバトンをくいっと上に向けると、すでにスッチー・バッグから出されて、テーブル上に置かれているスッチーのコスチュームがふわっと浮き上がった。慌ててヲジーが上から押さえ込むが、ヲジーごとテーブルの上2cmほどのところに浮いたままだ。
 幸い米兵はその異変には気づかず、バトンを下げてヲジーに返した。下げると同時にヲジーはコスチュームと一緒に落下する。その落下シーンだけ見れば、飛ばされそうになったコスチュームをヲジーがテーブルにたたきつけたような格好だった。
「やはは、風でも吹いたかのぉ。ははは」とヲジーはとぼけて、返されたバトンのスイッチを切った。
「OK、イッテイイデスヨ」
 米兵はまだどことなく釈然としない様子を残しながらも、ヲジーをうながした。ヲジーはほうほうの態で荷物をまとめて、基地の中の人ごみに紛れ込んだ。

 ヲジーが手荷物検査で捕まっている間に、つばさは何の問題もなく検査をパスし、とっくに中に入ってちょっと離れたところから様子を見ていた。ヲジーがやっとゲートを通過してきても声はかけない。とりあえず他人の振りである。
 ヲジーはしばらく右往左往していたが、つばさを見つけるとハンカチで汗を拭きながら寄ってきた。
「いや参ったの。あの軍曹め、バトンのスイッチを入れてしまいおった。はっはっは」
「ヲジーちゃん……」
「うん? どうしたつばさ」
「またアレ持って来てたんだ」
「うむ。バレてしまってはしかたがない」
「なんにすんの。あんなの」
「なにって、そりゃつばさが着るために決まっとろうが」
「着ないよ。ぜぇぇぇったい着ない」
 怒っているつばさは言葉が短い。コスチュームについては別になんの約束もしていないので、ヲジーが持って来たからと言って、つばさにはなんの不都合もない。ただ着なければいいだけだ。しかし、なんとなく騙し討ちにあったような気分がして、検査の時に致死的武力を行使されちゃえばよかったのに、と物騒なことまで思い浮かぶ。
「まあええわい。あればあったでなにかと役に立つじゃろ」
 ヲジーは涼しい顔である。まだ冷や汗で汗だくだが。

 基地に入ると、米軍関係者(つまり軍人の家族など)が航空ショウのパンフレットを売っている。さまざまなイベントのスケジュールも載っているので、買っておいて損はない。ヲジーは聞き取りづらいドイツなまりの英語を並べてパンフレットを一冊買い求め、さっそくチェックを入れる。
 ヲジーはスケジュール表を見るなり素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんと。スーパー・スッチー・ショウはいちばん最初じゃったかっ。抜かったわ」
 ヲジーは他の通行人を跳ね飛ばさんばかりの勢いで猛然と走り出す。取り残されたつばさは呆然とへたり込んだ。
「スッチー・ショウ……。そーか、早く来ないといい場所取れないって、そゆことだったんだ……」
 一度は消えたヲジーだが、つばさが気を取り直す間もなく駆け戻ってきて、つばさの腕をむんずとつかんでまた走り出す。
「来るのじゃっ」
「きゃー」
 とても老人とは思えないパワーでつばさは引きずられていく。
 行きついた先は基地の運動場だった。フットボールのゴールのそばに鉄パイプで組んだ簡単なステージがしつらえてあり、その前のフィールドにはすでにかなりの人だかりができている。人垣越しにでもステージは見えないこともないが、ヲジーの背丈では厳しいかもしれない。
「しまったっ。もうこんなに混んでおるとは。まったく暇人どもが」
 ヲジーは頭を抱えてその場にうずくまる。ヲジーちゃんのがよっぽど暇人のくせに、とつばさは思う。
 つばさが溜息をついてふとあたりを見回すと、フィールドの周囲を取り囲むように模擬店のテントが並んでいる。そこではTシャツなどの平服姿ながらも見るからに屈強な米軍人たちが、家族と一緒に声をからして客を呼び込み、アメリカ製のビールやら見慣れない赤や青のどぎつい色がついた怪しげな飲み物、クリームの上に蛍光色のパウダーをまぶしたケーキ、豪快に煙を上げて焼かれているハンバーガーなどの食べ物、戦闘機部隊の徽章をプリントしたTシャツに刺繍入りのキャップ、パッチやステッカーその他もろもろのグッズを売っている。つばさの目がきらきらと輝き出し、たちまちそちら(主として食物)に気をとられる。
「うわー、うわー。ねぇヲジーちゃんてば。屋台がいっぱいだよ。B.B.Q.リブってなに? ポークやきとりってなに?」
 はしゃぎまくるつばさに対してヲジーはなにやら落胆した様子で、すぐには返事をしない。やっと発した言葉も、細く頼りない。
「つばさや……」
「なに? なに」
 もはや何をねだろうかと気もそぞろなつばさは、身をかがめてヲジーの返事に聞き入る。
「もう帰ろう」
 つばさはがくっとこけた。
「帰ろって、いま来たばっかしじゃない。まだな〜んも見てないし、な〜んも食べてないんだよ。どーして帰んの」
「スーパー・スッチー・ショウがステージかぶりつきで見られんのなら、見る甲斐がないわい。また明日の日曜日にも同じプログラムがあるから、今日は帰って出直しじゃ。明日こそは。明日こそは……」
 ヲジーは両手をぐっと握り締め、天を仰いだ。ぎゅっと閉じた目じりから、一筋の涙が頬を伝う。
「もしも〜し」と完全に自分の世界に浸りきっているヲジーに、つばさは声をかけた。
「おお、そうじゃ。つばさや、厠には行きたくないかの」
「行かない。あんなの着替えないからねっ」
『あんなの』とは、さっきヲジーが隠し持っていて見つかったスッチー・コスチュームのことだ。前回のハイジャックに遭ったときも、ヲジーの「厠に行きたくないか」に始まって、結局つばさは機内トイレでコスチュームに着替えるはめになったのだ。
「あんなのとはなんじゃ。つばさほどの美人があれを着て現れたら、ここら辺におる連中はみなイチコロじゃぞ。彼氏でも何でもよりどりみどりじゃ」
「とかなんとか言ってさ。ヲジーちゃんあれをあたしに着せて、みんなが驚いて気を取られてる隙に前の方に行こうとか思ってんでしょ。おだてたってダメだかんね」
「うむ。ま、まあそう言うこともなくはないかもしれんが」
 ヲジーは図星をさされてちょっとひるむ。そこにつばさが声を潜めてたたみかける。
「それにヲジーちゃんの作ったやつって、本物のスーパー・スッチーの紺色と違って、赤いじゃない。こないだのハイジャックの時だって、ニュースとかでさんざん『謎の赤スッチー』が現れて、そのせいで飛行機墜ちたみたいに言われてさ。あんなの着て出てきたら、みんな怖がって逃げちゃうよ。スッチーのショウだって中止だよ」
「むむむ。言われてみれば一理あるわい。ショウがないならしょうがない。やはり今日は帰ろう」
「だーかーらぁ。なんでそうなっちゃうの。スッチー・ショウは明日にしても、今日だって他に見るもんあるでしょ。飛行機だって飛ぶんじゃなかったの? ブラックなんとかっての」
 アップル・パイやパウンド・ケーキの話はとりあえずしない。まずはヲジーを帰らせないことが先決だからだ。ヲジーは二日続けて来るのも平気だろうが、つばさはそこまで酔狂ではない。
「わかったわかった。それならスッチーは明日の楽しみにして、とりあえず飛行展示は見ていこうかの。ブラック・バードはめったに見られんし」

 既に基地の中であるにもかかわらず、運動場を出てからフライト・デモが行われる滑走路までは、またちょっと距離があった。屋台で買った一本三百円(または三ドル)の『ポークやきとり』を二人してほおばりながら、暑い中をまたしばらく人波に流されてだらだらと歩く。
 つばさはポークやきとりに対してなにか過大な期待を、その不可思議なネーミングゆえに抱いていたようだ。が、なんの事はない単なる豚肉の串焼きであった。ドラム缶を縦に真っ二つにしてこしらえたロースターで焼かれて、アメリカ風バーベキューの甘酸っぱいソースをからめたそれは、つばさは結構気に入ったのだが、ヲジーの口にはあまり合わなかったようだ。
「まったくアメ公共は、何の肉でも串に刺せばみんな焼き鳥じゃと思うとる」と一緒に買ったバドワイザーを飲みながらぶつぶつ文句を言っている。
 道の途中にも飛行機のプラモデルやビデオソフトなどを売っている屋台がぽつぽつと建っている。そんな屋台の一つで、つばさは小さな飛行機の形をしたデジタル時計を買ってもらった。背中を押すと轟音(と言っても小さな音だが)とともに液晶パネルが飛び出るしかけで、何種かあるうちのF-117、ステルス戦闘爆撃機のやつだ。ヲジーはそんなつばさを「まるで小学生のようじゃ」などと言いつつ、自分もM1エイブラムス戦車の時計を買いこんだ。

 つばさとヲジーがさきほど無事に(?)通過した正門ゲートだが、ここにまたもや警備の米兵ともめている男たちがいた。TV朝売の記者、堀進(ほりすすむ)二十八歳と、同行のカメラマン鳥井増勝(とりいますかつ)二十六歳の二人である。
「ココからは車で入れません。あっちの入り口に回ってクダサイ」
「プレスだ。記者章もあるぞ」
 日本語だが少しなまりのある白人の衛兵と堀とが言い合いをしている。
「今日はココは一般の歩行者専用です。記者のヒトはあっちです」
 米兵は門前の道路のはるか左の方を指し示して譲らない。そちらを見ても、道路は基地のフェンスに沿ってカーブしていて、ゲートのようなものは見えない。
 堀はひとしきり衛兵と口論の末、諦めて『あっち』の入り口に車を進めた。
「くそっ。融通のきかねえやつだ。こっちはただでさえ出遅れてるってのに」堀は毒づいた。
「まあ出遅れたのはこっちが機材の手配に手間取ったせいですがね」と鳥居の方は対照的に冷静である。
 彼らは裏門から入って報道関係者用に用意された駐車場に車を停め、ここにも居る警備兵にプレスのバッジとイベントのスケジュール表を受け取り、取材用プレス席の場所を教わった。それは滑走路の近くにある管制塔に隣接する建物で、二階から張り出したテラス部分があてられていた。人込みを越えて滑走路を一望できる場所である。
 プレス席と言っても、それほど大勢が来ているわけではない。TVのキー局が四社と、新聞が地元と全国紙合わせて三社だけだった。その手の趣味の雑誌も取材に来ているはずだが、さまざまな展示物の写真でも撮っているのか、ここには姿が見えない。
「ふう。なんとかデモフライトには間に合ったな」
 堀はほっと一息ついて、テラスから辺りを見回した。

 滑走路脇は大変な人出であった。おまけに暑かった。
 滑走路そのものは飛行展示用の航空機が発着するため立入り禁止で、見物客が入れるのは格納庫の西側に面したいわゆるエプロンのエリアまでである。ここは滑走路と同様な白いコンクリート舗装になっていて、直射日光のほかに下からの照り返しがすごい。
 二人が来た時はちょうどオープニング・セレモニーで、海兵隊の儀杖兵が並んでM14ライフルを振り回すドリルを終えて引き返すところだった。彼らが金モールで飾った式典用の軍装で一糸乱れず行進していくさまに、つばさは目を奪われる。まるで童話のおもちゃの兵隊を実物大にしたようだ。
 エプロンには地上展示の各種機体がずらりと並べられて、傍らに説明パネルが置かれ、その機体のパイロットや整備員達が客の質問に答えたり一緒に写真に収まったり、あるいは所属部隊の徽章をあしらったオリジナルグッズを並べて売ったりしている。パイロットは金髪で青い目ばかりとは限らないが、精悍な体つきで確かにかっこいい。
 会場のそこかしこに据え付けられた大きなスピーカーから、ちょっと英語なまりの日本語でアナウンスが聞こえる。
「さあ、みなさま上空を見てクダサイ。さきほど輸送機の"gray-hound"で上がっていった"navy seals"の降下teamが、パラシュートで降下シテ来ます。みなさま、ヒノマルとセージョーキを持っているのがおわかりでしょーか」
 つばさは空を見上げ、ぽっぽっと開いた落下傘の編隊降下に歓声を上げた。アナウンスの通りに、その中の二人がそれぞれ日米の国旗をぶら下げている。国旗には一端に錘がつけられ、風をはらんできれいに広がるようになっている。彼らが高度を下げるのに合わせて、スピーカーから国歌が流れはじめた。
 パラシュートが着地して、首の疲れたつばさが地上に目をやると、今度は展示されている機体が気になる。エプロンに並んだ戦闘機などは、タラップを横付けしてコクピットの中まで見せているものもあり、大型の輸送機などは中まで入ることができる。すべて現役の機体ばかりである。つばさがいくら飛行機に興味がないとは言え、さすがに普段見られないものをこうして目の前に並べられると、片っ端から見て回りたくなってくる。
 しかしその種の面白そうな機体には、この炎天下すでに結構長い行列ができていた。並ぶのが嫌いなつばさの心はアンビバレンツに揺れるが、今回は見物の欲求が勝った。この葛藤の裏で、彼女としては珍しくパイやケーキがどっかに飛んで行ってしまった。
 一方で、早くもバテた人々は日陰を求めて大型機の翼の下や格納庫のそば、果てはヘリコプターの回転翼が落とす影の下に固まっている。ヲジーはどちらかというと日陰組に加わりたいようだ。ブラック・バードの飛来は午後なので、それまではどうせヒマである。
「ヲジーちゃん。並ぼう。どれにしよーか」
「うーん暑いからのう。こう言うのはその辺の手頃な機体を一つ二つさらって帰って、うちでゆっくり見たいもんじゃな」
「さらってって、それじゃどろぼーだよ。第一あんなのどーやって持ってくの」
「そりゃあつばさがちょいと着替えれば一発じゃろう」
「だから着替えないってゆーのにぃ。ほら、とにかく並ぼ。フライト・デモはまだなんでしょ」
 つばさはどの機体が何という名前の何をする飛行機でどれくらい面白そうかもわからないので、見回して一番大きい機体に目を惹かれる。だがそれの周りには見物の行列が見えないので少し迷う。大勢並んでいるほうが見る価値がありそうな気もするからだ。
「なんじゃしょうがないのぉ。まあブラック・バードの飛来は1300(ひとさんまるまる)時じゃからな。それならあれでも見ようかの」
 ヲジーの指したのも同じ機体、輸送機のC-5ギャラクシーだった。機首をぐいっと持ち上げて、後部のドアを開き、前後の貨物用荷役ランプを下ろして機体の中を素通りできるようにして展示してある。ヲジーがそれを選んだ理由は機体内部の風通しがいい日陰に入れるからだ。
 輸送機の中はがらんどうで大したものはなかったが、ここにも行列ができていた。胴体内からはしごを登って、コクピットの中が見られるのだ。ここに至って、この際なんでも見たいつばさと、できるだけ日陰に居たいヲジーの利害が一致して、二人仲良く行列の最後尾につく。

 ヲジーとつばさは、このあとしばらくの間は列に並んで待つだけで、表面的には何事もなく時間が過ぎていく。
 しかし、二人のあずかり知らぬところで、事態は少しずつ進展していた。

 空軍基地というものは基本的に軍事機密がごろごろしている場所である。したがって、いくら一般公開日と言っても隅から隅までずずずいと公開してしまうわけではない。中に入れる建物は体育館などほんの一部だけだし、基地内を走る道の要所要所には関係者以外立入り禁止の札が立っていたり、ロープが張ってあったりする。公開していない格納庫などは見張りが立っているところもある。
 ヲジーとつばさが輸送機の腹の中で列の最後尾についた頃、見物客でごった返すエプロンからちょっと離れた立入り禁止区域に、見張りの目を盗んでロープを越えて入ろうとしている者達の姿があった。

 彼ら――白人の男三人に女が一人――は堂々と、しかし不自然ではない程度にリラックスした様子で、英語で談笑しながら基地の中にあるゴルフ場の方に向かって歩いて行った。彼らはポロシャツやTシャツ姿で、一見してお世辞にも軍人らしいとは言えない格好であった。しかし女がトート・バッグを下げている他には荷物らしい荷物を持っていないので、一般客とも少し雰囲気が違う。
 しかし彼らのまわりに漂うかすかな違和感の原因は、あるいはその妙に統率の取れた雰囲気のせいかもしれない。雑談など交わしながら笑顔で歩いているにもかかわらず、今しがたオープン・ハウスの開会セレモニーから戻って彼らとすれ違った海兵隊の儀杖兵に似て、分列行進でもしているようだ。
 立入り禁止区域に立ち入ったからと言って、すぐにそれが発覚するわけではない。こんな日は軍人の家族や、さらにそれらの人々に伝手のある人間(上は司令官の名義で招待状が届いた招待客から、下は兵士のガールフレンドまでも)がうろうろしているし、そもそも軍人からして多くは普段着で歩いているから、立入りを許可された関係者かどうかなど、そう簡単にはわからないからだ。特に彼らのようにゲルマン系の人種であればなおさらだった。
 ゴルフ場まで来てしまうと、そこに居ること自体が関係者の証明であるのように働いて、かえって怪しまれることは少なくなる。事実、彼らが前を横切ったクラブハウスからは、見たところ高級将校と言った年配の男二人がゴルフバッグを担いで出てきて、コースに一般客が入れない以上は基地関係者のはずだが、不法侵入の四人を特に見咎めることもなかった。むしろ目を逸らしているような風でさえあった。

 ゴルフ場を抜けると大型機用格納庫が並ぶ区画の裏手である。格納庫の向こうはエプロンで、滑走路にも近い。エプロンとは言っても一般に公開されている区域からはかなり離れていて、そろそろ見慣れない人間がうろついていると、有無を言わさず追い出される領域に入っている。たとえここに勤める軍人の知り合いだとしても、そうそう入って来られる場所ではない。
 格納庫のスタッフ同士は互いに顔見知りである公算が大きいから、知らない人間はそれだけで怪しまれる。関係者以外でなんらかの任務を帯びて来ているのなら、彼らのように普段着ではなく、それなりの格好――軍服なり作業服なり、あるいはフライト・スーツなり――をしているはずだからである。
 いきおい彼らも用心深くならざるを得ず、全員が死角のないように常に周囲に目を配っている。もはやカモフラージュのための雑談などしていないし、笑顔もとっくに消えていた。
 先頭を歩いていた女が、無言で手を振って男達に合図を送った。彼らはさっと格納庫に取り付いて、壁に背をつけて辺りを警戒する。見張りに立っている者も見えず、彼らの姿を捉える監視カメラもない。
 格納庫裏側の入り口は鉄の扉になっていて、中を窺い知ることはできなかった。窓もいくつかあるが、ブラインドが下りていたり不透明なフィルムが貼られていたりして、やはり内部は見えない。一人が裏口の扉に耳を当てて中の物音を探り、そっとノブを回した。鍵はかかっていない。ドアを細めに開けたが、警報が鳴り響くこともなかった。
 ドアの内側は薄暗い通路が整備用の機材や補給品の倉庫や機械室、パイロット控え室やトイレと言った施設に通じている。ここにも人影はない。明かりもついておらず、この格納庫は使われていないようだ。少なくとも今日のところは。
 四人はすばやく通路に身を滑りこませ、左右へと散開する。各自が先ほどと同様に通路に並ぶドア越しに内部に聞き耳を立てる。やがて誰も居ないと見極めがつくと、彼らはある部屋に入っていった。

 その部屋はパイロットの控え室だった。やはりここももぬけのからで、中はほとんど真っ暗である。侵入者らが入ったドアとは反対側の壁にもう一つ別のドアと窓があって、その向こうにはここが格納庫たる所以の駐機スペースが見える。そちらの方も高い天井から小さな天窓を通して射し込む日光のほかは、飛行機が出入りする正面の大扉の細い隙間から外の光がわずかに入っているくらいで、同じように薄暗い。飛行機は置かれておらず、機体を引き出したり貨物を運んだりする小さなトラクターがぽつんとあるだけだった。
 控え室の一角にはロッカーがいくつか並んでいた。彼らの一人がそのロッカーに歩み寄り、取っ手に手をかけた。鍵はかかっていなかった。中にはパイロットが身に着けるスーツがかかっている。スーツと言ってもほとんど宇宙服に近く、密閉式の仰々しいヘルメットまでついている。
 女がにやりと笑って、この格納庫に近づいて以来、始めて口を開いた。
「さすがに基地の整備長ともなると情報は確かね。指定された建物は留守で鍵も開いているし、要求したものもちゃんと置いてある。ハンス、サイズはそれで大丈夫?」
 ここでは日本語で書いているが、彼女はドイツ語で話している。ハンスと呼ばれたロッカーの男もドイツ語で答える。ここまで来る途中のラフな英語とは打って変わって、やたらに堅苦しいイントネーションである。
「大丈夫であります」
「そっちのロッカーも入ってる? ヨハン。武装は?」
「スーツも拳銃も入っています。サイズも合っています」
「そう、拳銃は最後の武器だからね。フリッツは?」
「こちらも大丈夫であります。タチカゼ少尉殿」
 そう、この女こそがタチカゼ少尉、ヲジーの法螺の生き証人(?)太刀風エミリーその人である。そして彼らは密かに日本に潜入して地下活動中の大ドイツ第四帝国の軍人なのである。
「よろしい。では各自着替えて置くように」
 エミリー自身は持参したトートバッグを下ろし、自分の着替えを取り出す。少尉、と軍の階級で呼ばれたにしては、その服は軍服らしくない。畳まれているのでデザインはよくわからないが、非常に薄い繊維で織られた黒い布で作られ、革のような素材も見え隠れしている。
「それにしても少尉殿。途中でゴルフをしていたのは、この基地の指令官、マイケルソン大佐ではありませんでしたか? オープニング・セレモニーが終わったら、招待客を放り出してさっそくゴルフですか」とハンスはエミリーに言った。
「副官のモーリー少佐も一緒だったな。今日これからの『予定』をよくご存知なんだろう」
「泳がせておいてよろしいのでありますか? 確か初動で身柄を確保する手筈では」
「そうだな。念のため連絡しておくか」
 エミリーは携帯電話を取り出した。普通の電話機に独自の暗号化を施す改造を加えているので、少々ごてごてした印象がある。
「エミールよりベルタ」
『こちらベルタ、どうぞ』
「親方はゴルフをしに行った、親方は弟子と二人でゴルフ場にいる。よろし?」
『ベルタよりエミール。了解した。ゴルフ場はカエサル中隊が担当だ。カエサルにも連絡してくれ。以上』
 エミリーは、ちっと軽く舌打ちをして電話を切り、縦割り官僚主義を一言罵ったあと、改めて別のところにかけなおす。
「エミールよりカエサル。親方は弟子を連れてゴルフ場にいた。確認と確保を乞う。ベルタには連絡済だ」
『カエサル・アイン了解。身柄確保に三名、向かわせる』
 エミリーは電話をしまった。
「この電話にも階層別の同報システムが必要だな」
「『アントン』小隊がタワーを制圧するまでですね。そうすれば無線封止も解除です」とハンス。
「ああ、だがこれでとりあえず大丈夫だろう。万一取り逃がしたところで、作戦全般には支障がないしな」
『アントン』や『ベルタ』『カエサル』『エミール』はそれぞれAとBとCそしてEのドイツ式符牒(フォネティック・コード)である。彼らの仲間はこの格納庫に居るエミール班の4人ばかりではないのだ。

 ハンス、ヨハン、フリッツの三人は着替えを終わり、控え室のベンチに座って待機している。エミリーは一応女性なので別室に移って着替える。
 やがて戻ってきた彼女の姿は、着替える前よりもはるかに軍人離れした装いだった。
 まず胸元は黒いレザー風素材のビスチェと言うかコルセットで、前のあわせは紐で編んで締め付けてある。へそのあたりは剥き出しで、その下は同じ素材のホットパンツ、膝から下はピン・ヒールのついた黒いエナメル仕上げのロング・ブーツに覆われている。首のチョーカーと手首のブレスレットには、触ると痛そうな銀色のスパイクがたくさん植えられている。頭にはすに載せた帽子はからは蝙蝠の羽が左右に大きく広がっている。羽織っているマントは妙に硬そうに左右に張り出していて、裾には二股の尻尾のようなものが伸びている。
 マントのシルエットを見ると、まるでステルス戦闘機F-117の平面形そっくりだ。それ以外の身体にまとっている分だけしかないと、まるでなにか妖しい方面の関係者である。なにせ手にはバトンならぬ乗馬用の鞭を握っているのだ。
「おお」
 部下の三人から声が漏れた。彼らもエミリーの衣装がどんな物か知ってはいたが、さすが実際に目にすると動揺の色が隠せない。
「まあ、あまり気にするな」とエミリーは三人に言った。
 恥じたり照れたりする態度は見せないが、どちらかと言うと自分自身に言い聞かせたような感じでもあった。

 これでエミリーと麾下の三人は暫時待機状態に入ってしまう。つばさとヲジーも相変わらず行列したままなので、話はエミリーとハンスの会話に出てきた『アントン』小隊に移る。
 アントン小隊の任務はこの基地の飛行場管制塔を制圧することである。エミリーらのエミール小隊が四人なのに対して、彼らアントンはアーリア系の屈強な男達の六人組である。小隊というのはここでは便宜的な呼称らしく、どちらも人数としてはせいぜい分隊規模である。
 彼らはそろって黒いサングラスに黒いアタッシュ・ケースを提げている。腰にエミリーが持っていた携帯電話より少し大振りのトランシーバーを提げている者もいる。しかしサングラス以外の服装はさきほどまでのエミール小隊と同様、いかにも一般の見物客らしく、Tシャツやジーンズなどのラフなスタイルだった。黒いスーツでも着ていればいかにも映画のスパイ団の様であるが、それでは目立ちすぎるのだ。彼らは管制塔の周辺をうろうろしながら、ときどき時計に目をやったりしていた。
 そのように書くと挙動不審でいかにも人目を惹きそうだが、なにしろ一日で数万人の入場者(米軍発表だと十万を超える)を誇る航空ショウだ。管制塔付近もひっきりなしに人が通るので、適当に散開していれば一般客と全く区別はつかない。腰のトランシーバーでさえ、航空無線を聞くマニアが無線機を持ち歩いていたりするので、それほど特異な装備には見えないのである。
 彼らが持つアタッシュ・ケースの中には、防弾用のボディ・アーマーとサブマシンガンが忍ばせてあった。さらにサイド・アームとしてスタンガンやケミカル・メース、信号拳銃などが各人に分散して収められている。
 そんな武器を外から持ちこむのは、ヲジーがGスーツと航空精神注入バトンをゲートで見咎められたことでもわかるように、まず不可能だ。これもエミール小隊のように基地内のどこかで調達したものだろう。

 やがて時計が正午五分前をさすと、彼らは人混みの頭越しに視線を交わして頷きあい、管制塔裏手の小さな空き地に集結した。そこは滑走路に通じる表通りからは陰になっていて、通り抜けもしにくい場所なので、見物客もごくたまに通る程度である。彼ら六人が集まったときには誰もいなかった。
 管制塔そのものは太平洋戦争当時からあるクリーム色に塗られた木造の建物で、内部の螺旋階段を登って、普通の建物の五階あたりに相当するところに管制室がある。当然、部外者は立入り禁止だが、入り口のドアは開いていた。
 彼らは一様に無言でアタッシュ・ケースからを取り出し、ボディ・アーマーを手早く身につけた。銃のマガジンを確認してボルトを引く。予備のマガジンはボディ・アーマーのマガジン・ポーチに納まっている。各自がそれぞれ担当の武器を身につけ、襲撃準備は三分とかからずに終わった。
「信号弾用意。赤一発」と彼らの小隊長が小声で、しかし断固とした口調で言った。ドイツ語である。
 信号拳銃担当の男が、中折れ式の信号拳銃の薬室を開いて薬莢の赤帯を確認し、頷く。
 彼らは小走りに表通りに面した管制塔の入り口を囲んだ。
 時刻は正午。間髪を入れず命令が下る。
「信号弾発射。突入」
 ボンという音と共に、赤い光を放つ花火のような火の玉が、煙を引いて空に放たれた。男達は一斉に管制塔の建物に滑り込み、内部の階段を駆け上がる。信号弾を打ち上げた男は、階段の下でを腰だめに擬して周囲を警戒し、扉を閉めて後に続く。
 小隊長が先頭を切って管制室に飛び込む。中に居たのは夏期軍装を着た米海軍の男が三人だけだった。みな暑さで腕まくりをしているくらいで、武器など持っていない。
「Halt! No, Freeze!(動くな)」
 小隊長が叫んだ。思わずドイツ語が出たので英語で言いなおしている。以下、原則として彼らが身内で話しているときはドイツ語、アメリカ人に対しているときは英語だと思ってほしい。
 管制官らは驚いて振り返ったが、突然のことで状況がよくつかめていない。動きらしい動きもなく、怪訝そうに顔を見合わせている。
「よし。この建物と施設は我々大ドイツ第四帝国が接収する。今後は我々の指示に従って行動するよう命令する」
 しかしアメリカ人の管制官は何かのジョークとでも思ったらしく、苦笑とも困惑ともつかない表情で、銃口と侵入者の顔を交互に見ながら言った。
「おいおい、サバイバル・ゲームならよそでやってくれよ。ここは関係者以外は立入り禁止だ」
「もう一度だけ警告する。我々は大ドイツ第四帝国の者だ。つい二週間ばかり前の世界同時多発ハイジャック事件を知らないわけではなかろう。我々としても無用の流血を望むものではない。素直に指示に従ってもらう」
 アントン小隊長の有無を言わせぬ威圧感と、ハイジャック事件と共に語られた第四帝国の名は、管制官らをして怖気づかせるに充分だった。
 そのハイジャック事件では、世界各地で同時に十七便もの旅客機が乗っ取られ、解決したのはわずかに三件。残りは全て大ドイツ第四帝国の名の元に、乗員、乗客を乗せたまま南米のいずこかに消えてしまったのである。世紀の怪事件と言えよう。
 いやしくも航空機に関わる仕事をしている彼らが、この事件を引き合いに出されて平気で居られるものではない。しばしの沈黙の後、管制官の一人はかすれぎみの声で言った。
「OK……それで? 最初の指示は」
 小隊長はにやりとして言った。
「とりあえず管制業務は続けていたまえ。君の友人のパイロット達が、間違ってシベリアあたりに飛んで行ってしまうとかわいそうだからね。はっはっは。いや、冗談だよ。アメリカ人はジョークが好きだろう?」
 その「冗談」をずっと真顔のままで話しているところは、かなり不気味である。
「よし。無線封止を解除する。他の連中に状況を伝達しろ。信号弾青」
 第四帝国側の一人がトランシーバーを取り出して、他の部隊に連絡する。
「こちらアントン。管制塔制圧完了。無線封止解除。各員、計画に従って行動せよ」
 再び信号弾が、今度は管制塔の上から打ち上げられた。

 無線連絡と信号弾を合図に、ベルタ、カエサル、ドーラ、エミールの各部隊が行動を開始した。それらの部隊の動きも見ておこう。

 ベルタ小隊は総勢六人。アントンとほぼ同じ装備で武装している。彼らも一般客に混じって基地に入り、正午少し前に物陰で準備を整えて待機しており、青の信号弾を認めると一斉に走り出した。目指すのは観客でごった返すエプロンを抜けて滑走路に一番近い中央最前部にあるテントだ。
 そこには貴賓席と場内アナウンスの放送設備がしつらえてあり、居並ぶ招待客や基地の高官を始め、航空ショウの実行委員などが詰めている。先程からのアナウンスもここから流されていたのだ。
 ここに居る人々は、招待客はもちろん、基地の人間もほとんど丸腰だ。警備のため腰に拳銃を提げて一般エリアとの境に立っていた二人のMPも、不意を突かれてたちまちスタンガンの電撃で制圧されてしまった。
 招待客は全部で二十四人。そのなかには基地周辺の自治体の要人や、防衛関係の幹部も含まれていた。ベルタの六人はMPの銃を奪うと縛り上げてテントの中に転がし、そこに居る全員に対して大ドイツ第四帝国の指揮下に置かれたことを通告した。彼らは第四帝国にとって極めて有効な人質となるはずである。
 どこか遠くから連続した爆発音がテントまで届く。

 カエサルは三十人ほどの勢力で、数人ずつの分隊に分かれて行動している。彼らの任務は航空ショウ会場、すなわち海軍基地内の陽動、撹乱である。一般客に紛れ、あるいは民間人を盾として、重点施設の破壊や駆けつける米兵を攻撃する、純然たるテロ部隊なのだ。自らの命はもちろん、必要なら民間人を犠牲にすることも厭わない覚悟である。
 その性格上、メンバーの大半が日本人か、少なくとも東洋系の顔立ちで、服装もごく普通の目立たない格好だ。何よりもまず人込みに紛れ込むことを優先している。武器も破壊工作用の爆薬を除けば、せいぜい小型の拳銃やナイフ、伸縮式の特殊警棒くらいしか持っていない。
 彼らは正午を待たずに、警備の目を盗んで爆薬の設置を始めており、無線封止の解除と共にリモート・コントロールの起爆スイッチを入れた。
 基地内のあちこちで同時に爆発が起こり、黒煙が立ち上った。一部では火災にもなっているもようだ。非常ベルがけたたましく鳴り出す。貴賓席のテントで聞こえたのはこの爆発音だ。
 最初に爆破されたのは六個所、基地の司令室がある建物、航空機搭載兵装の納まった弾薬庫、マンションのような米軍人の家族用住宅一棟、航空機整備用ハンガー、装甲車や基地の公用車が仕舞ってあるガレージ、そして中央警備室だった。
 突然の事態に軍の関係者は大騒ぎになった。爆発そのものの規模はさほど大きくはなかったのだが、なにしろセキュリティの元締めである警備室の電源がやられたので、情報が混乱している。爆発現場周辺では一般客がパニック状態になっているし、基地関係者もそれに無縁とは言いきれなかった。

 基地の中にある消防署には、とにかく弾薬庫付近が燃えているという通報は届いたので、車庫から出して展示中だった基地専用の二台あるフォードの消防車が出動態勢に入った。防火服に身を固めた消防隊員が乗り込み、日本のものとは異なったサイレンが響き渡る。
 ところが動き出したとたんにその消防車が爆発、炎上した。二台とも立て続けである。車体の横にしがみついていた隊員は投げ出され、運転席に居た者は脱出もできないまま炎に包まれた。
 動ける消防隊員はふらふらになりつつも立ち上がり、よろよろと車庫に向かう。その車庫の方からは、残っていて難を逃れた数人が消火器を抱えて駆け寄ってくる。
 そのとき、乾いた破裂音が聞こえ、一瞬遅れて消火器を持ってきた隊員が転倒した。腰の辺りをおさえてのたうち回っている。さらに追い討ちをかけるように破裂音が続き、地面に転がっている消防車のバンパーが鐘のような音を立てて火花を散らした。銃撃である。
 無事だった隊員たちは即座に地面に伏せて周囲をうかがう。しかし炎上する消防車の近くは別として、あたりはパニックに陥って逃げ惑う人々が渦巻いていて、どこから誰が撃ってきたのか見当もつかない。
 幸いにも銃声はそれきりで途絶えたが、消防隊員が恐る恐る活動を再開するまでに、貴重な数分間が失われた。消防車の火災が消し止められたときには、もう全く使いものにならなくなっていた。運転席に閉じ込められていた隊員は、救助されたときにはまだ息があったが、全身火傷で助かるかどうかも危ぶまれるほどの重症だった。

 カエサル小隊の暗躍はその後も続く。爆発現場付近で群集を誘導するMPを狙撃したり、残った爆薬に時限信管を付けて投げつけると言った大胆な行動から、消火や連絡に駆け回る米兵にいきなりメースを吹き付けてみたり、ナイフを振り回して騒ぎを煽ってみたりと、細かい妨害工作をさかんに繰り返している。

 さきほどエミール小隊から通報があった基地指令官とその副官、マイケルソン大佐とモーリー少佐は、基地内ゴルフ・コースの三番ホールで正午を迎えた。
 マイケルソンがバンカーからのバーディ・ショットをカップに放りこんだところだった。彼らの背後の松林からカエサルの一隊、エミール小隊からの通報で派遣された白人三人組が歩み寄って、先頭の一人が司令に声をかけた。
「ナイス・ショット。今日はいいゴルフ日和ですな」
「あっ。なんだね君達は?」
 不意を付かれた司令は、驚いて振り向いた。副官も同様だ。
 カエサル隊員は誰何に答えるでもなく、二人を取り囲むように近付いた。
「しかし、基地祭のホストが二人きりでゴルフと言うのは感心しませんな。こんなことでは奥様がお怒りになりますよ。南米のとある場所でね。奥様と一緒にいあらっしゃる娘さんの教育のためにもよろしくないでしょう」
 モーリーが怪訝な面持ちで尋ねた。
「南米ですか? 確か司令の奥様は先月からベルリンにおいででは?」
「そう、確かに居たよ。そして帰りのルフト・ハンザは大西洋上で姿を消した。例の同時多発ハイジャックだよ」
 大佐は沈痛な面持ちで、つぶやくように少佐に答えた。
「そんな。なんで黙っていたんですか。副官の私にまで……」
「君に話して解決するものでもないしな。あのとき消えた十四機の旅客機はまだ捜索中だし、私はこの基地を、ひいては極東地域全体の安全を守らねばならなかった。それだけが事件解決のために私が寄与できることだったのだ。もっとも……こうなってみると、それが正しかったのかどうか」
 司令はカエサル小隊の三人を見回し、がっくりと肩を落とした。
「さあ、お客さんがたがお待ちかねですよ。我々が御案内しましょう」
 二人は目立たないよう背中にナイフをつき付けられて、貴賓席のテントに連行された。

 カエサルの別の一隊は管制塔横のプレス席を制圧し、TVカメラを止めさせた。ここを襲ったカエサル隊員はみな日本人だったので、記者たちとも言葉の壁はなかった。
 取材陣も別に航空ショウだからと言って生中継をしていたわけではない。せいぜい夜のニュースでそれとなく反戦のポーズをとりつつ飛行機や人混みの映像を流す程度でしかないが、第四帝国としてはとにかく外部からの介入を遅らせるためにも、情報は統制しなくてはならない。
 そのときそこにはTV、新聞、雑誌など合わせて二十人ほどが集まっていたが、サブマシンガンを構えた相手に抗うすべはなかった。
 そんな中、一人だけ果敢にもカエサルの隊員に食ってかかった男がいた。TV朝売の記者、堀である。彼はひとたび重大事件に遭遇するや、とことん掘り下げて取材しないと気が済まない性格なのだ。もちろん今こそがその時であるのは言うまでもない。
「おい。あんたたち。取材の邪魔はしないでもらいたいね。報道の自由ってのが……」
 彼はいちばん近くにいたカエサル小隊の隊員に血相を変えて詰め寄った。しかしその隊員は全く動じることなく、銃を空に向けて数発発射し、その銃床で堀の横面を殴りつけた。
「な、殴ったな……。ヤクザにも殴られたことないのに……」
 堀は額から血を垂らしながらつぶやいた。彼は今でこそ脂肪や筋肉も落ちてきたが、高校、大学と相撲部に所属していたため、身のこなしには自信を持っていたのである。それがかえって仇になった。
「取材相手に殴られもせずに一人前の記者になったやつなどいるか。なに、大人しくしていれば命までは取らん。我々の用事が済むまでの話だ。そのあとは中継でもなんでも好きなだけするがいい」
 その場にいた他の記者たちが堀を介抱する。さしもの第四帝国と言えどもそこまでは止めだてしなかった。

 カエサルの残り数名は、駅との間でピストン輸送しているバスの乗り場に向かった。まだショウは始まったばかりで、駅の方に帰る客はほとんどいない。彼らはまだ客を乗せていないバス二台を襲い、手近な客を二、三人引っ張り込んで運転手もろとも人質にし、篭城の構えを取った。後で各部隊の撤収に使うのである。

 米軍側では第四帝国を名乗る集団の規模がつかめず、爆破などの派手な犯行現場や会場のパニック鎮圧へと、徒に人員を張り付けるばかりだった。
 肝心の来賓テントの防備には、この騒動の発生当初、数名がばらばらに向かっただけだった。彼らはカエサルの遊撃隊やベルタ小隊に各個撃破され、そのまま報告も送ってこないため、よその騒動に紛れてしまった。その上、そこを制圧しているベルタ小隊が最初に警備にあたっていたMPからトランシーバーを奪い、警備担当官相手に適当な返事をしていたので、それ以上気にかけられることはなかったのだ。そこで誘導尋問でもかけられれば、あるいは正体が露見したかもしれないが、警備側も情報が錯綜してそれどころではなくなっていた。
 そのような形でベルタの人質確保を支援したことだけでも、カエサルの使命は充分に果たされたと言える。

 ドーラ小隊の役割は基地の出入り口の制圧、及び外部からの増援の阻止を基地の外側から行うことだった。目的達成後の全部隊の撤収支援も含まれる。しかしこの部隊ばかりは計画通りに行動できなかった。基地周辺の交通渋滞や、逃げ惑う群集の勢いが予想をはるかに超えていたのだ。
 この基地には、一般公開用に開放した門が二箇所、関係者用の通用門が三箇所あり、その他に普段は閉鎖されている非常口のようなものが数カ所あった。ドーラ小隊では公開された二箇所にドーラ1(アイン)、ドーラ2(ツヴァイ)のそれぞれ六名ずつ、通用門に3(ドライ)から5(フュンフ)の四名ずつ十二名をあて、非常口を含む基地周辺の警戒は残る十名で巡回することとしていた。1から5は全員アーリア人だったが、周辺警戒のドーラ6(ゼクス)はカエサル同様、その多くは東洋人だった。

 ドーラ小隊はサブマシンガンや手榴弾を装備して、ワゴンやミニバンなどの車に乗って基地周辺を走りながら待機していた。停まっていると駐車違反をチェックしている警官に見咎められるからだ。そして正午の行動開始に合わせて門に近づき、無線の合図と共に飛び出して、各門にある守衛所を襲う手筈だった。
 正門を除く四箇所ではほぼ予定通りに進み、合図と同時に車で突入した彼らは一斉に守衛所を襲撃した。守衛所にはアサルト・ライフルなどそれなりの武器が備えられてはいたが、不意を突かれた衛兵は武器を取る前に制圧されてしまった。そしてそれらの門では衛兵を武装解除した後に門扉を閉じさせ、出入り口を封鎖することに成功した。

 ところが、入場者が最も多い正門ではそううまくは行かなかった。
 まず門の周辺道路が違法駐車などのあおりで渋滞していて、なかなか車を近づけられず、正午ちょうどの突入ができなかった。正門襲撃班ドーラ1は正午直前になって、突入が遅れる旨、他の部隊に連絡をとった。しかし全体の進行を乱すわけにもいかないため、カエサル小隊の破壊活動を始めとして、作戦はそのまま開始されてしまった。
 ドーラ1はやむを得ず門から百メートル以上も離れた地点で車を捨て、武器を抱えて走った。この際、交通整理の警官など構っていられない。
 彼らが計画上の予定時刻から十分間近く遅れてようやく正門に到着したときには、すでに逃げ惑う群集が正門に達していた。そして何も知らずにこれから入場しようとする人々と、狭い歩行者用の通路で押し合いへし合いしていたのである。当然ながら襲撃どころではない。
 正門守衛所に近付くにはまず群集を排除しなければならないが、銃を乱射したところでパニックを煽るばかりでなんの解決にもならない。彼らドーラ小隊もカエサル同様、目的のためには民間人の犠牲もやむなしとしていたし、だからこそサブマシンガンなどを装備しているのだが、それは無益な殺人を許すものではない。第一あとからあとから湧いてくる人々を皆殺しにできるだけの弾丸もない。
 ほどなく基地内の異常に気付いた衛兵が、閉じられていた車両用の大きな門扉を開こうとした。ドーラ1の一人がそれを見て、門に取り付いて叫んだ。
「開けるな! 外に一人も出すんじゃない」
 しかしそれはもはや無理な相談だった。群集の側にも衛兵の行動は見えているので、門を開けようとし始めた時点でどっとそちらに殺到し、衛兵もドイツ人も関係なく扉を開け放ってしまった。門前で叫んだドーラ1の隊員は空に向けて威嚇射撃を行ったが、溢れ出てくる群衆にはまるで効果がなく、そのまま人波に押し流されてしまった。
 群集の一部は勢い余って門前の道路に飛び出し、走ってきた乗用車に何人かまとめてはねられた。ドーラ1の別の一人がそれに巻き込まれ、倒れたところを群集に踏み付けられて気を失ってしまった。
 残る八人のドーラ1は正門の封鎖を断念し、門の横の通用口を突破して守衛所に突入した。そして辛うじて守衛所だけを制圧し、手荷物検査などをしていた要員が戻ってくるたび、各個に取り押さえてはいたものの、それ以上の行動は基地から出ようとする者を全部出すまでは不可能だった。

 最後に再びエミール小隊である。
 彼ら四人の任務はSR-71ブラック・バードの奪取である。アントン小隊が誘導して滑走路に降ろしたSR-71に、エミリーとハンスが乗り込み、あとの二人はSR-71の後に予定されていたデモ・フライトに備えて待機しているF/A-18ホーネットを奪って、SR-71をエスコートするのである。ホーネットには事前に内通者の手でミサイルと機銃の実弾が積まれているはずだ。もちろん普通なら今日のような一般向けのショウで実弾を積むことなどない。
 エミール小隊は弾薬庫の爆破を終えて増援に来たカエサルの三人と合流し、滑走路を隔てて反対側のエプロンに向かって走る。デモ用の機体の準備は見物客の近付けない東側で行っているのだ。
 七人が東のエプロンに到着した時には、なぜか整備兵の姿もほとんどなく、八機のホーネットを始めとする十数機が、あとはエンジンをかけるばかりの状態で放置されていた。どうやら東通用門を襲ったドーラ3の騒動に気をとられて、飛行機を放り出して門の方に向かったり、格納庫に引っ込んだりしてしまったらしい。
「よし、フリッツとヨハンは予定のホーネットを探せ、武装してるのはどれだ? カエサルの三人は電源車の準備。エンジンを始動しておけ。ハンスは私と来い。様子を見てくる」
 エミリーはてきぱきと命令を下す。部下も一糸乱れず行動に移る。
「くそっ、ここまでがらがらだったとは計算違いだ。怖気づいて逃げたな」
 本来は内通者である整備中隊長以下、数人が人質に取られたふりをして、第四帝国に協力する予定だった。彼らが居ればエンジンの始動など自分達でやる必要などなかったのだ。
 しかしエミリーがわざわざ将校偵察に出るまでもなかった。事情を知らない整備兵が何人か、変な格好をした女の指揮の元に、見慣れない一団が戦闘機に群がっているのを見て、格納庫から出てきたのだ。彼らは遠くから叫んだ。
「おいっ、おまえら何してんだ」
 明らかに内通者ではない。
 ちょうどその格納庫を目指していたエミリーは立ち止まり、他の隊員達の方に引き返した。ここで人質が取れなかった以上、頭数の少ない第四帝国は不利だ。
 上官の危機と見たハンスが代わりに進み出る。彼は米軍の耐Gスーツを身に着けているから、正規のパイロットらしく見える。見慣れぬ人物と言う点では同じだが、SMプレイの最中のようなエミリーに比べればはるかにましだ。
「そっちこそ何してるんだ。基地の中でテロリストが暴れてるんだぞ。機体を放り出して隠れてるやつがあるか」とハンスは逆に一喝した。
 実のところ整備兵達はテロがあったからこそ隠れていたのだが、それを真っ向から非難されると、なにか悪い事をしていたような気になる。彼らのうち二人がおずおずとエミール小隊の方に近寄ってきた。
「わ、わかった。いったい何が起きてるんだ?」
「早く来い。出動命令が出たぞ。何も聞いてないのか」
 ハンスは手招きする。整備兵は小走りになった。
「いや、どことも連絡が取れないんだ。テロだって? さっき東門で何かあったらしいが、他にもあったのか」
「あったさ。いまここでもな」
 ハンスは態度を豹変させ、整備兵に拳銃を突き付けた。同時に他の隊員も一斉に銃口を向ける。二人の整備兵はなすすべもなく手を挙げた。
「見事だ、ハンス。鉄十字章ものだな」
 エミリーはハンスの機転を称え、続いて整備兵に向き直った。
「我々は大ドイツ第四帝国の者だ。君達は我々の捕虜となった。君達の捕虜としての権利は尊重するつもりだ。もっとも……」とにたりと笑い「君達の国の政府が我々をテロリストとして扱うのなら、こちらもその期待に答えたいと思う」
 つまり彼らの命の責任を彼らの政府に押し付けたのである。なんのことはない典型的なテロリストの論理だ。
「では、さっそくホーネットの始動を手伝ってもらおう」
 エミリー、ハンス、フリッツの三人はそのまま銃を擬して格納庫を警戒する。そちらではまだ何人かが恐る恐るエミール小隊の様子をうかがっているが、手出しをする気配はない。
 やがて電源車を繋がれた二機のホーネットが甲高いエンジン音を立てはじめた。ヨハンとフリッツはそれぞれの機体を選んで乗り込んだ。キャノピーを閉じ、電源ケーブルと輪止めが外され、二機はゆっくりと滑走路の南端に向かう。離陸滑走の準備だが、滑走路はこれからSR-71を着陸させる必要があるため、誘導路上で停止する。
 エミリーとハンスはカエサルの三人に人質を引き継いで、滑走路の北の方に歩いて行く。着陸したSR-71を奪うためである。
 カエサルのメンバーは援護のため後に残って、格納庫にいる米兵らを牽制する。

 さて、話が一巡したので改めてヲジーとつばさに戻る。
 二人が相変わらず順番待ちをしているC-5ギャラクシーは西エプロンの真中に置かれていた。基地内の各所で発生しつつあるパニックも、つばさ達の周りにはまだ波及していなかった。管制塔や貴賓席のテントには近い場所だが、これらはあまりにも迅速に占拠されたため、ほとんど騒ぎにはなっていない。弾薬庫の爆破の音も届くには届いたが、広い空間に拡散してしまって、たいした大きさには聞こえなかったのだ。さらにテント内の放送席からも、制圧されてしまったのであたりまえだが何のアナウンスもなく、スピーカーからは映画『トップ・ガイ』のテーマがBGMに流されている。
 それでも徐々にあちこちから事件の情報が入ってきて、会場の様子が次第にざわつき始めた。
「なんじゃ。外が騒がしいの」
「そう? なんかイベント始まったのかな」
「イベントイベントうれしいなってところかの。それにしてはなにかおかしい。ちと見てくるわい。番をとっといておくれ」
 ヲジーはつばさを列に残して機外の様子を偵察に行く。機体後部のランプを降りてぐるりと見回したヲジーの目に、遠くで盛大に立ち上っている黒煙が映った。ヲジーはそれが弾薬庫だとは知る由もないが、基地のどこかで火かがなにかの異常があったらしいことはどうやら見当がついた。続いてまだかすかに消え残っている信号弾の青い煙が目に留まる。
 ヲジーはすぐさま機内に取って返し「つばさや大変じゃ。ちょっとおいで」とクッキーTシャツの袖を引っ張る。
「なに? なんだったの?」
 つばさはコクピットまであと少しのところまで来た行列から離れるのが嫌で、引っ張られても動こうとしない。
「火事じゃ。しかしどうも怪しいんじゃ。ストラト・スッチーの出番かもしれん」
「でばん〜。なんのこと〜」
 つばさはわざとらしく知らん振りをする。
「いいから来んかいっ」
 ヲジーは無理やりつばさを列から引っ張り出し、輸送機の外まで連れ出した。
「ああんもう。あとちょっとで見れたのにぃ。一体なんだっての」
「あれを見るんじゃ」
「花火?」
「いや、何かの合図の信号弾らしい」
「それがどうしたの。合図ぐらい珍しくないでしょ」
「あっちでは火事じゃ。どうも臭うわい」
「そう言えば少し煙たいかも……」
「違う。そう言う意味じゃないわい。アメさんらも落ち着かんし、なにやら怪しげな活動の臭いがするんじゃ」
「でもそのわりにお客さん静かじゃん。ただの火事じゃないの?」
「まあとにかくじゃ、万が一って事もある。一応着替えておくのじゃ」
 ヲジーはGスーツ、すなわちスッチーのコスチュームが入ったバッグをつばさに押し付けた。しかしつばさは受け取らない。
「着替えておくのじゃってねー。だいたい着替えるとこなんてどこにもないじゃん」
「どこかそこいらの建物の陰かなんかで、ちょいちょいと済ましてしまえばええわい。いま着とる服はわしが預かっておくから」
「やだ。ヒロインなんかもうたくさんだよ。あんな危ないこと」
「しかしな、ここでこの何万といる人間を救えば、この前の『謎の赤スッチー、ハイジャック機を乗っ取る』なぞと書きたてられた汚名を返上できるぞい」
「汚名じゃないもん。それにそんなの、あたしが二度とスッチーやんなきゃ関係ないもん」
「うーむ。ま、ま、そう言わずにやっておくれ。あとでパウンド・ケーキでもアップル・パイでもたらふく食わせてやるから」
 と言って、ヲジーはいつの間に手に入れたのか、セロハンに包まれてかわいいリボンが結ばれた小さなカップ・ケーキをつばさの前にぶら下げる。
「う……ケーキ……パイ……がるるる」
 もともとヲジーに付き合ってここに来たこと自体に、ケーキやパイの交換条件がついていたはずなのだが、こうやって改めて切り出されると、スッチーにならなければケーキにありつけない気がしてくる。
 もちろん、いまそこにあるケーキを諦めるつばさではない。ふたたびヲジーにケーキとバッグとバトンを渡されると、今度は条件反射的に受け取って、そばに建つ格納庫の裏手に向かった。

 見回せば幸いあたりに人影は無い。つばさは無造作に積み上げられた戦闘機の増加燃料タンクの陰に隠れて、着替えを始める。ケーキは自分のポシェットの中に大事に仕舞い込んだ。
 まずはヲジーとの通信確保のため、バトンの羽の部分に組み込まれているイヤホン型通信機を取り出し、耳に装着する。次にミニスカートに手をかけて膝まで下ろしたとき、つばさの背後から太い声が怒鳴った。
「Hey, you! Waddaya doi'n?」
 英語のヒアリングがまるでだめなつばさには、なんと言われたのかわかるはずもない。しかし声が明らかに怒っているのはわかったし、声が聞こえた後ろの方から自分を見ると、黄色いウサギのバック・プリントのついたパンツがぺろんと見えているであろうこともわかった。
 瞬間的に凍りついたつばさが恐る恐る振り向くと、そこには迷彩服を着た黒人兵が立っていた。黒人を見慣れないので彼の表情をとっさに読み取れないつばさだが、彼が持っているのが鉄砲で、それを自分に向けていることははっきりと見て取れた。基地のフェンスに書かれていた文句が脳裏に蘇る。『致死的武力の行使が許可されて……』
 つばさは息を大きく吸った。
「きゃーーーーーーーーーーーーっ」
 つばさはそのまま前転するように倒れ、スカートに脚をとられて尺取虫のようにもがく。その間ずっときゃーきゃー叫び通しだ。着替えさえすれば無敵のストラト・スッチーと言えど、この格好ではどうにもならない。
 叫び声を聞きつけて、他の米兵までもが何人か集まってきた。最初の黒人兵はすでに銃を降ろしていて、つばさのあまりの怯えように肩をすくめて見せた。彼にしてみれば、先程からのテロを警戒して、要人が集まっている本部テントに向かう途中、予期せぬところに何者かがうごめいていたので、反射的に誰何しただけなのだ。いくらなんでもこんなスカートを下ろしながら爆弾テロを働くとは思っていない。
「オジョーサン。トイレならアチラですヨ」と兵士の一人がたどたどしい日本語を操って指差す。
 つばさはその声にふっと叫ぶのをやめ、あいさつもそこそこに散らかった荷物をかき集めて逃げ出した。
 つばさは教えられた方角に行ってみる。管制塔の裏手の道を隔てた反対側で、そこにはたしかにトイレがあった。ただし工事現場の片隅に置いておくような薫り高き簡易トイレだ。それが炎天下に十基ばかりずらりと並び、その前に人がぞろりと並んでいる。もちろん男女の別などない。
 つばさはうんざりしたが、着替えの他に、ちょっともよおしてきたのもあって、しかたなく列の最後につく。
《つばさや、なにしとるんじゃ。いつまでかかっとる》
 ヲジーの声が耳の通信機に届く。
「なにって、トイレ待ってる」
《トイレじゃと。そんな着替えなぞそこらの物陰でさっさと……》
「そうしようとしたら兵隊さんに見つかって怒られちゃったよ。もー恥じいったら」
《ううむ。それでトイレか。情けないのぉ》
 情けなくとも仕方がないのでヲジーは黙ってしまった。つばさはそのまま並ぶ。

 そのころ、管制塔のアントン小隊に動きがあった。デモンストレーションとしてのフライ・バイを行うべく、基地に近付いてきたSR-71から無線が入ったのだ。

《こちらコード・ネーム『ロード・ランナー』。コントロール・タワーどうぞ》
 管制官達はすぐにはそれに応答せず、第四帝国メンバーの顔色をうかがう。
「答えろ」とアントン小隊長は命じた。「着陸させるんだ」
「着陸だって? 降ろしてどうしようって……」
「口答えするな。何とでも言って着陸させるんだ。ただし我々の存在は気取られるなよ」
 無線機の前に座った管制官は青白い顔で肩をすくめ、マイクに向かった。
「ロード・ランナー、コントロール・タワーだ。着陸を誘導する」
《着陸だって? 降りてどうしろって言うんだ。通過するだけのはずだろう》
 ブラック・バードのパイロットは管制官とほとんど同じ反応をする。
「予定変更だ。いいから降りてくれ……」
 適当な言い訳が思いつかない管制官は、なかば強弁のように着陸を指示する。見かねたアントン小隊長が通信に割って入った。
「ロード・ランナー、こちらの敷地内から煙が上がっているのが見えるか?」
《ああ、二つほど見えるな。バーベキューでも焦がしたのか》
「実は基地の弾薬庫が何者かに襲われて、地対空ミサイルが奪われた。その際の交戦で出火したものだ。その何者かはどうやら君達を撃墜するつもりらしい。観客も避難を始めている。君達も着陸したほうが安全だ」
《それなら飛んでいた方が安全じゃないのか? スティンガーくらいなら振り切れるぜ。こっちはマッハ3が出せるからな》
「馬鹿野郎! こんな市街地の低空で超音速を出されてたまるか。それに今からじゃあ間に合わない。普段なら決心高度以下だろう。着陸しろ」
《……了解。誘導を頼む》
 パイロットは今一つ納得していないようだが、コントロール・タワーからこれだけ高圧的に命令されたのでは、従わざるを得ない。アントン小隊長は再び交信を本職の管制官に渡した。ロード・ランナーは粛々とコヨーテの待つ罠へと導かれる。
 SR-71ブラック・バードは確かにマッハ3を出せるが、今日のようなデモのときはずっと低速で飛ぶ。余り速すぎてはは観客の目が追いつかないし、それ以前にそもそも日本の陸地の上空では超音速飛行は禁止されているのである。
 なぜなら、音速を超えると衝撃波が発生してしまい、もし低空でそんなことになったら、家のガラスが割れたり、人の鼓膜が破れたりしかねないからだ。だからといって衝撃波の影響が出ないほどの高空では、地上から見えないのでデモの意味がない。
 そんなこんなでブラック・バード到着までにはまだ少し間がある。しかしもう一人のアメリカ人管制官がその「間」に耐え切れなくなった。
「やめろ! 降ろすんじゃない」と叫んで、彼はそばにあった第四帝国のメンバーに掴みかかった。
 しかし、ものの一分とたたぬうち首筋にスタンガンを押し当てられ、ひるんだところを簡単に振り払われてしまった。彼はそのまま窓際によろけて行って、窓に寄りかかるように倒れこんだ。運悪く窓は半ば開いており、彼は窓枠を壊しつつ地上へと落下した。
「くそっ。誰かあいつを回収して来い」とアントン小隊長は窓の外を覗き込んで、部下に命じた。スタンガンを使った隊員が復命し、階下へと向かった。
 彼が管制塔の下に到着したときは、当然ながらあたりは大騒ぎになっていた。なにしろ人が上空から降ってきたのだ。さっきつばさを発見した兵士らも駆け付けており、これも当然だが第四帝国の男を見咎めた。なにしろ肩からサブマシンガンをぶら下げているのだ。
「おい、なんだそれはっ」
 第四帝国の男は兵士に向けて銃を構えた。しかし発砲はアメリカ兵の方が早い。ちょうど男は管制塔の壁を背にしていたので、流れ弾で他の客が傷つく心配もない。
 大量の爆竹が弾けるような音とともに、男は横たわる管制官のそばに倒れ伏した。管制官を心配して囲んでいた一般客は悲鳴を上げて散り散りに逃げ出す。銃声と硝煙の臭いによって、周囲の群集も事態を悟り、ここでもパニックが始まった。

 騒ぎはたちまちつばさが並んでいるトイレのあたりにも伝播した。銃声に続いて「テロだっ」「人殺し!」と叫びつつ押し寄せる人波に、トイレの前で列を作っていた人々も次々に逃げ出す。そんななかで、ヲジーと交わしたケーキの約束によってヒロインとしての自覚に目覚めた(?)つばさは、踏み止まって空いたトイレに入りこみ、ごそごそとGスーツに着替える。このスーツには防弾効果もあるので、銃撃戦ともなれば着替えておいた方が安全ではあるのだ。
 それにしてもこの簡易トイレは汚い。それに暑い。便器の穴からは先人達による堆積物が山をなしているのが見える。水洗でもないのになんだか床が濡れている理由は考えたくもない。幸い小さな棚がついているので、荷物はそこに置き、つばさはでき得る限り服が床に触れないように気を付けながらTシャツを脱ぎ、スカートを下ろし、スッチーのブラウスやスカートを身に着けていく。

 アントン小隊で何かトラブルが発生したことは、管制塔とSR-71のやりとりを傍受していたエミリー達エミール小隊にも伝わった。エミリーとハンスは滑走路脇のくぼみにコヨーテのように身を伏せてロード・ランナーを待ち構えていたのだが、管制官の一人が騒ぎ出したのを無線で聞いて、エミリーが立ちあがった。陽炎を透かして滑走路の向こうに立つ管制塔の様子を見ていると、まもなくガラスを破って何か落下していくのが目に入った。
「ハンス、ここで待て。私はアントンの様子を見に行く」
 エミリーはそう言い残して走り出し、地面を蹴った。と、そのまま黒いマントをはためかせて管制塔に向かって飛び去って行った。
 そう、彼女が身に着けているのはつばさが着替えようとしているのと同じ、重力制御繊維で作ったGスーツなのだ。もちろん重力制御と言うからには反重力で空を飛べる。
 エミリーが到着したのは、ちょうど管制塔の下でアントン小隊の一人が射殺されたところだった。海兵隊の兵士が死体の検分を始めると、あたりの群集がパニックの中、空中のエミリーを指して口々に叫び出した。
「鳥か?」
「飛行機か?」
「いや、女王様とお呼びっ」
 最後の一言にエミリーは空中でコケて態勢を崩し、管制塔への狙いがそれた。鳥と飛行機はお約束なので、彼女も覚悟はしていたが、女王様までは予期していなかったのだ。
 エミリーが墜ちていく先は、つばさの入っている簡易トイレ群だ。どてぽきぐしゃっ、とイヤな音がして簡易トイレが四散する。中身も周囲に飛散する。
 あたりはひどいありさまだ。暑い盛りだけに臭気の濃度も高く、拡散も早い。逃げ惑う人々すら避けて通る。そんなトイレの一つから「うぎゃー」と押し殺した悲鳴が漏れた。つばさだ。
 やがて倒れたトイレの扉をハッチのように押し開けて、つばさはもぞもぞと脱出した。トイレの上に仁王立ちになったその姿はストラト・スッチーの勇姿である。なんとか着替えは間に合ったようで、脱いだ服は小脇に抱えている。ただ、まわりの状況が状況なので、ややへっぴり腰なのはやむを得ない。
 いったいなんでこんな事態になったのかと、つばさがきょときょと見回すと、少し離れたところでよろよろと立ちあがろうとしている妖しい黒服姿が目に入った。その横顔には、なんだか見覚えがある。つばさは乾いた地面を選んで足を下ろし、その姿に歩み寄った。自分が飛べることは忘れているようだ。
「あの……」とつばさはおずおずと声をかける。
 振り向いたのはまぎれもなく太刀風エミリーだ。この前のハイジャック事件では犯人のリーダー格で、乗っ取った旅客機の機体にあいた穴からストラト・スッチーことつばさに突き落とされて、行方不明になっていたエミリーだ。生きていたのだ!
「きゃー」とつばさははしゃぎ声を上げる。
「うわぁ」エミリーは驚いてのけぞる。
「生きてたんだ。良かった〜。あたしってば殺しちゃったと思ってたよ」
 つばさは思わずエミリーに抱きついて、涙声でぴょんぴょん飛び跳ねる。
「な、なにを貴様っ。あの時はこっちこそ死ぬかと思ったぞ。ええい離れんかっ」
 エミリーはつばさの顎に手をかけて、ぐいっと突き放した。
「え? でもなんで生きてるの? 飛行機から落っこちたんじゃ……」
「ふふふ、貴様の手袋のおかげさ。突き落とされる最後の瞬間に私の手の中に残った手袋が、海面すれすれで落下速度を落とし、死なずに済んだというわけだ。それに手袋を分析することで、開発中だった我が方の重力制御繊維も実用化できた。感謝しているぞ」
 エミリーは腕を広げて自分のGスーツを見せつける。
「どうだ? しかもこちらの方が高級感あふれる黒革の風合いに仕上がっているのさ」
「う……そ、そんなの関係ないもん。外見なんかより中身が……中身……」
 しかしつばさとしては、突き出された胸のビスチェから覗く谷間に目が行ってしまう。どう贔屓目に見ても彼女の方が自分の胸より内容が充実している。
「そっ、それよりなんであんたがここに居んの。またなんかハイジャックする気? それにこのトイレひっくり返したのあんたでしょ」
「ふん。ガキの相手なぞしている暇はない」
 エミリーは本来の目的である管制塔に向かって飛び立つ。
「あっずるい。逃げんなこら」
 つばさも航空精神注入バトンを振って後を追う。
 着て来た服は薄着だったこともあって小さなバッグに納まったが、スニーカーは入らない。と言うより倒れたトイレから溢れ出たもろもろが靴底に付着しているので、服と一緒に入れたくない。仕方なく手に提げたままでエミリーを追う。揺れるスニーカーを気にする手の動きにつれて、バトンもふらふらと揺れる。このバトンの向きによって飛行の方向を制御しているので、つばさの進路は迷走ぎみだ。
 すでにエミリーは管制塔に取り付いて、割れた窓から内部に侵入しようとしているところだ。つばさはとっさにスニーカーの片方を力いっぱい投げつけた。
 Gスーツは着用者の動作をモニターし、その意図を察知して、周辺の重力場の方向や強弱を変化させる。今はつばさが何かを投げようとしているのをとらえて、その手の先にある物体、つまりスニーカーに対して、手を離れて飛んで行く方向が決定した瞬間に恐ろしく強力な重力加速度を加えた。
 スニーカーは簡単に音速を超え、ぱんっ、と乾いた衝撃波を残して管制塔の方向に飛んでいく。つばさはまだGスーツの機能に不慣れで、ごく普通のスピードで(つまり彼女の普通の力いっぱいで)投げたつもりなのだった。この意識の食い違いのため、スニーカーはつばさの思い描く放物線よりずっと上を、ほとんど直線に等しい弾道で飛翔した。
 ズドッ。とスニーカーはエミリーの頭上、管制塔の屋根に着弾した。窓がまちに足をかけていたエミリーがびくっとして動きを止める。何事かと恐る恐る上を見上げた彼女の顔に、運動エネルギーを失ったスニーカーがぼてっと落ちる。
「うわっ。なんだこれは。臭いっ」
 エミリーがスニーカーを払いのけて振り向くと、投げた当人もあまりの威力にあっけにとられて、ぼーっと空中に浮かんでいた。

《つばさや。何しとる。着替えはどうしたんじゃ》
 衝撃波に気付いたヲジーがどこからか無線で声をかけてくる。
「こないだの、エミリーがね。ほらヲジーちゃんの戦友の娘の」
 我に返ったつばさは、話ながらもう一方の靴を振りかぶる。
「えいっ。生きてたんだよ。ほらっ、いま管制塔に、あっ、逃げた」
 さすがにエミリーも黙って二発目の超音速スニーカーをくらう気はない。さっと体をかわしたそのあとを、狙いたがわずつばさのスニーカーが通りすぎる。それは割れた窓の穴を通って、管制室にとびこんだ。スニーカーが発する衝撃波は、管制室の残った窓ガラスを全て内側から粉砕した。

 管制塔のつばさと反対側のふもとには報道関係者が陣取っているテラスがある。もちろんそこは相変わらず第四帝国カエサル小隊の制圧下にあって、カエサル隊員が何人か交代で見張り、サブマシンガンを擬して威圧していた。
 つばさのスニーカーは、そのテラスの上に破裂音とともにガラスの破片をばらまいた。
「うわっ。なんだこりゃ」
「逃げろ。危ないぞ」
 そのときたまたま一人だけになっていた見張りの隊員が、ガラスに気を取られて上を見上げる。彼の銃の下に保たれていた均衡が崩れた。
 さきほどカエサルに食ってかかってぶちのめされたTV朝売の堀が、この時とばかり体当たりをかました。とっさのことで相撲の型も何もあったものではない。カエサルの隊員は不意を突かれて跳ね飛ばされたが、辛うじて踏み止まった。銃口を堀の方に向ける。しかし堀の『鉄砲』の方がわずかに速かった。サブマシンガンを下から突き上げるようにどすこいどすこいと突きが決まる。
 跳ね上げられた銃から発射された弾丸は、撃った本人の頬をかすめて空に向かって飛んでいく。カエサル隊員はそのまま土俵際ならぬテラスの端まで追い詰められた。手すりに押し付けられて最後の突きを食らうと、さしもの隊員も胸を潰されて気を失ってしまった。
 堀はカエサル隊員から銃を奪って、記者たちに檄を飛ばした。
「おいっ。みんな今のうちだ。特ダネのまっただ中じゃないか。これを逃す手はないぜ。ほら鳥井、行くぞ」
「行くって、いったいどこへっすか?」カメラマンの鳥井が、テラスの隅にまとめて押しやられていたTVカメラを担ぎながらたずねた。
「とにかくここはまずい。すぐまた他のやつが来ちまうからな。とりあえずどこでもいいから移動だ」
 他社の記者達も一緒にあたふたと荷物や機材をまとめにかかる。
 屋上テラスの出口はすなわち建物の入り口である。堀はサブマシンガンのスリングを肩から斜めにかけてグリップを握り、第四帝国の新手が来ないかどうか入り口から中を覗き込む。
「堀さん、そいつの撃ち方知ってんすか」と鳥井が聞いた。
「引き金を引けば弾が出るくらいは知ってるさ」
 鳥井は肩をすくめた。
「俺の方には向けないでくださいよ」
 記者たちは堀を先頭にテラスから脱出を始めた。

 さて逸れた話は再びつばさたちにもどる。
 つばさのスニーカーによる衝撃波で、外にいたエミリーもその威力にしばし呆然としている。いや、なによりも投げた張本人のつばさが一番おどろいた。
「え? なんで? なんで靴が爆発するの?」
「お、恐ろしいやつ……」
 エミリーはつばさが混乱している隙に、きれいにガラスのなくなった窓から管制室に入る。
 室内はほぼ全滅だった。アントン小隊長が両耳を押さえてうずくまっている他は、全員が気を失って倒れている。エミリーは小隊長を助け起こした。
「おい。大丈夫か」
「耳が。耳をやられて聞こえない」
「さっきの騒ぎはなんだ。着陸指示はどうなっている」
「まるで耳の中で鐘が鳴ってるようだ。ディィンドォォンディィンドォォン」
 小隊長は頭を振るばかりで要領を得ない。エミリーは舌打ちをして無線のコンソールに向かった。SR-71からの呼び出しが入っている。
《こちらロードランナー。どうした? 何があった》
「テロリストに襲撃された。その機体もテロリストに狙われている可能性がある。先程の指示通り着陸しろ。滑走路は空いている。基地周辺の住宅にでも撃墜されたら一大事だからな。着陸したら速やかに機体から離れろ。エプロンに入れる必要はない。こちらはこれから退避する。幸運を祈る。以上」
 エミリーはほとんど一方的にまくしたてて無線を切ってしまった。ちなみにロードランナーとのやりとりは英語である。
「うっわーっ。なにこれ、ひどーい」
 素っ頓狂な声にエミリーが振り向くと、そこにはつばさが立っていて、人が何人も倒れている室内をきろきろと見回していた。
「ひどいって、貴様がやったんだ、貴様が」
「あーひとのせいにした」
「ふん。そんなことはどうでもいいわ。こっちは用事があるから失礼するぞ。そいつらの救助でもなんでも好きにするがいい」
 エミリーは、もうすっかりガラスのなくなった窓から出ていこうとする。しかしその前につばさが立ちふさがった。
「こらっ。悪巧みはこのストラト・スッチーが許さないぞ。って、あれ?」
 エミリーはまるで相手にせず、つばさの横を通り過ぎて外に飛び去ってしまった。
 不慣れな決め台詞と一緒に、人差し指を立ててウインクという決めポーズらしきものを取っていたつばさだが、こうまできれいに無視されると、スーパー・ヒロインとしてどう対処すべきかわからない。
「ちょ、ちょっと待って。待ってってば、ねえ」
 つばさは航空精神注入バトンを振ってエミリーを追う。少々強く振りすぎたため、エミリーに背後から追突する形になった。追突ついでにエミリーを羽交い締めにする。
「ええい離せっ。こっちは忙しいんだっ」
 エミリーはもがいて振り払おうとするが、つばさはしがみついたまま離れない。空中で鉄棒でもやっているようにぐるぐる旋回すると、遠心力が加わってつばさの身体が少し浮いた。エミリーはここぞと回転速度を上げる。
「ぐえー。バターになるぅ」

 TV朝売の堀と鳥井が脱出に成功して管制塔の基部にやってきたのは、まさにつばさとエミリーがぶんぶん回転している最中だった。
「ん? ありゃなんですか」
 先に空中戦に気付いたのは田中だった。堀は田中の指差す方にある回転体を見る。
「なんだって……あれは……その……なんだ?」
 やがて回転が止まり、目が回ってへろへろのつばさがエミリーから剥がれた。エミリーはつばさには目もくれず、ハンスの待つ滑走路脇に向かう。
「おい、あれは赤スッチーだ。ストラト・スッチーとか名乗って、こないだのハイジャック機を犯人ごと振りまわしたやつだぞ。カメラ回せっ」
「やってます。もう一つの黒いやつはなんすかね」
「知らん。しかしなんかに似てるな……そうだF-117だ。ステルス戦闘機だよ。あいつはステルス・スッチーだ」
「そんな勝手に名前つけていいんすかね」
「こう言うのは第一発見者が命名するもんだ」
 やがて他社の記者達が脱出してくると、堀は「ステルス・スッチーだ。ステルス・スッチー」と宣伝しはじめた。かくしてこれ以後、黒いGスーツのエミリーは『ステルス・スッチー』と呼ばれることになる。

 とうとうエミリーから引き剥がされ、地上に落下したつばさの耳に、ヲジーの声が響いた。
《おい、つばさや。なに馬鹿なことをやっとるんじゃ》
 ヲジーはあちこち行き交う米兵や第四帝国の部隊を避け、あちらこちらと隠れながら会場近くに踏み止まっているので、なかなか満足に通信できないのである。とはいえ、あの大回転は見ていたようだ。
「うひー。目がぐるぐる〜」
《そんな時は反対方向に航空精神注入バトンを振るんじゃっ》
「あ、そーか。そこまで気が回んなかったよ。目ばっかし回って」
《いや、それよりあの黒いのはなんなんじゃ? いったい》
「あれエミリーだよ。太刀風さんの娘……」
《なんと生きておったのか。良かった良かった。つばさが響ちゃんの娘を殺したとあっては、わしゃあいつに顔向けできんところじゃった》
「こ、殺したって、あのね、人聞き悪い」
《で? それがなんだって空を飛んでるんじゃ?》
「もう、あとで説明するから。早く追っかけないと、またなにすっかわかんないよ」
 つばさは再び宙に浮き上がってエミリーの姿を探す。
 いた。ちょうど着地して滑走路を小走りに横切っているところだ。
「いたいた。滑走路にいたよ。何してるのかな。なんか宇宙人みたいのもいる」
《そうじゃのう。やっぱりその辺の手頃な飛行機をさらって行こうとでもしとるんかの》
「そんなヲジーちゃんじゃないんだから……。あ、なんかあっちの方、黒いのが飛んできたよ?」
《ん? おお、あれこそがブラックバードじゃ。どうやら着陸するようじゃの。そうかあやつらブラック・バードを盗むつもりじゃな》
「盗んでどうすんだろ」
《さあ、偵察機じゃから、やはり偵察に使うんじゃろ。とにかくここは一つ、やつらの悪巧みを阻止せにゃならん。正義のヒロインのかっこいいところを見せてやるんじゃ!》
「うんっ!」
 つばさはいつのまにかヲジーに乗せられて、すっかりヒロインになりきっている。前回のハイジャックの時も(エサにつられたとは言え)似たような展開だったことなど、すっかり忘れたようだ。
「いっけーっ」とつばさは叫び、エミリーの潜んでいる方向に思いっきりバトンを振った。
 つばさは臙脂色の弾丸となってエミリーの目の前の地面に突っ込んだ。
 どすっ。と地響きがして土塊が飛び散った。いきなり鼻先に小さなクレーターができて、さすがのエミリーも驚いて立ち止まる。その隙を突いて、つばさは穴の底から手を伸ばしてエミリーの足を掴んだ。そして蟻地獄のようにエミリーをクレーターに引きずり込む。
「ええいっ」
 つばさはそのまま力まかせにエミリーを振りまわし、滑走路上空に放り投げた。
 しかしエミリーも重力制御可能な高級Gスーツを身にまとっている。難なく空中で停止すると、体勢を整えてつばさの方に向き直った。
 すかさずつばさはエミリーめがけて突進する。エミリーは「ああっしつこいっ」と吐き捨てて、ひょいとつばさをかわしてしまった。つばさは虚しくエミリーが浮かんでいた空間を通過した。
「あれ?」とつばさ。
《つばさや、突撃するならちゃんと目をあけて突撃せんかい》
「へ? どーして目をつむってたってわかっちゃうの」
《やはりそうじゃったか。そんなもん動きを見ればわかるわい》
「わかった。今度は狙ってく」
 しかし目を見開いて飛びかかってもエミリーはひらひらとかわすばかりで、つばさの体当たりは一つも命中しない。エミリーのマントが突進の度に空に翻り、まるでスペインの闘牛のようである。

 その頃、着陸態勢にあるSR-71ブラックバードのコクピットでもつばさ達を視認していた。
「なんだあれは?」とパイロットが叫ぶ。
「さあ、なんだろう。レーダーにも映ってないが」
 もちろん後席の偵察員とて前方で飛びまわる物体の正体など知る由もない。
「コントロール・タワー。こちらロード・ランナー。聞こえるか。おい。タワー、聞こえるか……だめだ応答しない」
「なんだか人影のようじゃないか? 新手のスーパーマンかな? どうする」
「知るもんか。どうせ自転車修理マンかなんかだろ。なんにしても今から機体を引き起こすと、ちょうどあの飛びまわってるどまんなかに突っ込むぞ。こうなったらできるだけ滑走路の手前に降りるしかない」
「わかった、まかせるよ。……主のみむねに」
「よしきた」
 ブラック・バードは粛々と滑走路に向かって降下を続ける。つばさ達の姿が徐々に大きくなってくる。偵察員がうろたえた声を上げた。
「おい、ありゃ……スッチーだ。赤いスッチーだ。逃げろ。逃げるんだ」
「スッチーもなにもあるかっ。もう観念しろっ」
 偵察員が射出座席の存在を思い出す前に、ブラック・バードは滑走路の端の端、白い帯をまたいで着地した。車輪が着くか着かないかのうちに制動用のドラッグシュートを開く。
 機体はスピードを急激に落としつつ滑走を続け、あつらえたかのように滑走路脇に潜むハンスの目の前に停止した。二人の乗員は大慌てで機体から逃げ出す。
 彼らが去ったのを確かめ、入れ替わりにハンスがブラック・バードに近寄る。エミリーはまだ来ない。
 エミール小隊の残り、ヨハンとフリッツは、奪ったF/A-18をタクシー・ウェイに移動させ、SR-71の後ろで滑走路端に出して止めている。ハンスがブラック・バードを発進させるのを待っているのだ。
 ハンスはドラッグシュートを切り離し、コクピットに乗り込んで離陸の準備を始める。
 エミリーはブラック・バードの後席に乗る予定なのだが、今の様子ではどうなるかわからない。もうしばらくは待つにしても、最悪の場合は置いていくことになるだろう。

 エミリーはもちろんブラック・バードの着陸を見ていたが、飛びかかってくるつばさが邪魔でなかなかハンスと合流できないでいる。つばさはもっぱらエミリーにまとわりついていて、飛行機に関心を持っているようには見えない。だからと言って、うかつに機体に近付いてとばっちりで傷でもつけられてはたまらない。
 つばさはつばさでまったく決定打を欠いたまま、ただエミリーめがけて飛びまわるばかりだった。見かねたヲジーが物陰から飛び出して指示を与える。
《つばさ。ちと待たんか。その黒いのから少し離れるんじゃ》
「離れるの? どうして」
《これから必殺技を教えるからの、わしの言う通りにやるんじゃ》
「ええっ。必殺技なんかあるんだ。なんか本物のヒロインみた〜い」
《いや、だから本物なんじゃて。もっと自覚を持たんかい。それでまずはな、最低二十メートルくらい間合いを開けて、相手の方を向くんじゃ》
「う、うん」
 つばさはヲジーの言うなりに空中でエミリーの向かい合う。エミリーはまだつばさの動きを警戒している。
《次に手をパーにして敵に向かって突き出す》
「こう?」
 つばさは両手を開いて突き出した。持っていた航空精神注入バトンが手から離れて落下する。コントロールを失ったつばさも落下する。
「あれ〜」
《片手でいいんじゃ片手で。まったく》
 ヲジーは頭を抱えた。
 つばさは地面に激突する直前にバトンを捕まえ、なんとか態勢を立て直した。
 エミリーはあきれた様子でブラック・バードの方に目をやった。
《いいか、片手を突き出して叫ぶんじゃ。『バード・ストライク』とな》
「ばーど?……ストラーイクッ!」
 つばさは野球の審判そのまんまのイントネーションで叫んだ。するとパパパッと爆竹のような音が鳴り、手のひらから無数の光の塊が飛び出した。手の形をした衝撃波が、鳥のようにエミリーめがけて乱れ飛んでいく。
 意外な攻撃にエミリーは「うわぁっ」と驚きの声を上げて、空中で背中を丸めて防御の姿勢を取った。そこに衝撃波がいくつか命中したようだ。
 だが、彼女はただ『痛かっただけ』らしい。バード・ストライクが一通り過ぎ去ると、つばさを物凄い形相で睨み付けながらも、またハンスとブラック・バードのところに行こうとする。
「効いてないよ〜。どこが必殺なの」とつばさはヲジーに苦情を言う。
《気合が足らんのじゃっ》
「そーゆーもんだいなの?」
《と、とにかくその技だけで決めようと思ってはいかん。バード・ストライクは相手の動きを封じるためだけに使うのじゃ。そしてすかさず体当たりでもなんでもかましてぶちのめすのじゃ》
「なあんだ、しょうがないなぁ。じゃもっかいやるよ。必殺! バード・ストラーイク!」
 今度はさっきより高速の光の手が、去ろうとするエミリーの背中にどどどっと集中する。
「ぐわぁっ」と悲鳴を漏らしてエミリーが振り向くと、衝撃波の群れに続いてつばさが飛びこんできた。
 エミリーは今度もかわそうとするが間に合わない。正面衝突はまぬがれたものの、ウェスタン・ラリアートの要領で腕を伸ばして飛んできたつばさによって、横ざまに頭を抱え込まれた。
 つばさは「ふんっ」と鼻息も荒くエミリーを地面に向かって叩きつける。高度は二十メートルくらいか。Gスーツの力によって、遷音速まで一気に加速されたエミリーは、立ち直る暇もなくエプロンの片隅に激突した。
 鈍い地響きと共に地面が陥没し、地下からペンキ缶くらいの円筒状をした何かが飛び散った。

 そのころ、SR-71がどうやら無事に着陸したのを機に、エミール小隊の増援に来ていたカエサル小隊の三人が撤退を始めた。滑走路を横切り、ヲジー達がいるエプロンを目指している。カエサルの他のメンバーらが確保したバスで、この基地を脱出するのだ。エプロン裏手につけたバスには、べルタ小隊がつれてきた来賓も人質として乗せられている。
 彼らの前にエミリーの墜落によってはじき飛ばされてきた円筒の一つが転がってきた。ステンレスの輝きを放つそれには、黄色地に黒い小さな円を囲むように三つの黒い扇形を配した記号が描かれている。放射線源を意味するシンボル・マークである。一人がそれを手にして驚きの声を上げた。

 時を同じくして、TV朝売の二人がつばさとエミリーの格闘戦につられてエプロンにやってきた。同じく落ちたエミリーが気になって物陰から出てきたヲジーと鉢合わせする。
「おや、おじいさん。逃げ遅れたんですか」
「あ、ああ。そうじゃそうじゃ。まったく歳はとりたくないのお。ふぉふぉふぉ」
 ヲジーは急に老け込んだふりをする。彼らがそんなやりとりをしている足元にも、ペンキ缶状物体が一つ転がってきた。堀はそれを拾い上げた。大きさのわりに結構な重量がある。彼はしばしためつすがめつした後、鳥井にぽつりと言った。
「おい。こいつは……核弾頭じゃないのか」
 やはりこれにも側面に放射能マークが描かれている。
「ああ、あの落ちた場所は旧帝国海軍時代に作られた地下壕の跡じゃ。懐かしやまだ残っとったんじゃな。アメさんが倉庫にでもしてなにか隠しとったんじゃろう」
 ヲジーが独り言のように言った。もちろんマイクを通してつばさに聞かせるためでもある。
 堀はそれを聞きつけて、ヲジーの胸座を捕えるようにして問い詰める。
「なんだって。それは本当ですか」
「本当も何も、ここは元々日本の海軍基地じゃ。戦時中は幾度となく空襲も食らったし、地下壕くらいあったわい。戦後に米軍がそれをどうしたかなんぞ、向こうの勝手じゃからわしゃ知らんがの」
 堀は興奮した様子で叫ぶ。
「こいつは大スクープだ。鳥井。こいつを撮れ。やっぱり米軍は日本国内に核を持ちこんでやがったんだ」
 堀は弾頭を手にしてカメラの前に立ち、アナウンサーの口調になって話し始める。
「こちらは本日航空ショウが行われていた米軍基地です。先程より大ドイツ第四帝国を名乗るテロリストの一団に襲われているところに、突如として謎の赤スッチーが現れました。先日の同時多発ハイジャック事件のおりに目撃されたと言われているあの赤スッチーが、またここにも姿を現したのです。彼女は新たに出現した、やはり謎の黒いステルス・スッチーと空中戦を演じ、たった今、ステルス・スッチーをあちらの地面に叩きつけました。すると、その叩きつけられた地面から、このような物が」
 堀は弾頭をカメラの前にかざす。
「ごらん下さい。核弾頭です。ドイツ語ではなく、英語のラベルが貼られています。以前から疑惑を持たれていたことではありますが、やはり日本の非核三原則は米軍によって踏みにじられていたのです。どうやらスッチーが墜落した場所は、地元の古老の証言によれば、戦争中に作られた地下壕であるようです。それを米軍が弾頭の貯蔵庫として利用し、密かに隠していたものではないでしょうか」
 鳥井がステルス・スッチーが埋まっているはずの墜落地点にカメラを向ける。そのファインダーにカエサル小隊の三人が散らばった核弾頭を拾い集めている様子が映し出された。
 やがて彼ら三人も堀と鳥井の存在に気付き、一斉に二人へ銃口を向けた。ヲジーは堀が撮影に夢中になっている隙に再び格納庫の陰に身を隠してしまったので、カエサルの方からは見えない。
 堀はしゃべりつづける。
「地上に居る彼らは何者でしょう。我々に銃を向けています。アメリカ兵でしょうか。軍服は着ていないようですが。核弾頭を回収しているようです。弾頭は一つだけではないようで、あっ、撃ってきました。うわっ」
 パパパパッと軽い連続音と共に銃弾が飛んできた。TV朝売の二人は大慌てで地面に伏せ、傍らの大きな鉄製のゴミ箱の陰に隠れる。ゴミ箱はかなり頑丈にできていて、サブ・マシンガンの銃弾程度は跳ね返す。
 しかしもはや取材どころではない。堀はゴミ箱の上に銃だけかざして、敵が居そうな方向に向けてめくら撃ちに応戦する。
 カエサルの一人が投げたすりこぎのような柄付き手榴弾が、狙いを少し外してゴミ箱の中に飛び込んだ。数秒の間をおいて、手榴弾が爆発する。
 鉄の箱で爆音が共鳴し「ずどぉん」と響く。同時に爆炎と共に中のゴミが吹き上がって、堀と鳥井の頭上に降り注いだ。
「うわぁあぁ」

 地下壕跡に落ち込んだエミリーは、一瞬、何が起こったのかわからず軽いパニック状態に陥っていたが、すぐに立ち直って穴から這い出してきた。ちょうどカエサルのメンバーがサブ・マシンガンを乱射し始めたところだ。
「なんだ。どうしたっ」と叫ぶが、彼らには聞こえない。
 そこに上空からつばさが斜めに突っ込んできた。
「えーいっ」
 エミリーはつばさと共に地下壕の奥へと急激に押し込まれる形になった。先程の墜落に数倍する地鳴りとともに、エミリーの落ちた穴が地下壕に沿って掘り返され、塹壕のような溝に成長した。さらに多くの核弾頭が宙を舞い、カエサル隊員も衝撃で吹っ飛ばされた。
 土煙の中、立ち上がったのはつばさとエミリーだった。つばさはさっと上空に舞い上がり、手を突き出して叫ぶ。
「バード・ストラーイク!」
 つばさも慣れてきて掛け声は勇ましいが、今度の光は弱々しい手形がひとつ、へろっと飛んだだけだった。
「ヲ、ヲジーちゃん。出ないよ。どーしちゃったんだろ」
《ううむ。そろそろ電池切れかも知れんの。やはり必殺技は電池の消耗が速いんじゃろ》
「そんなぁ」と言うが早いか航空精神注入バトンのランプが青から赤に変わり、つばさはまっさかさまに墜落した。
 スーツの持つ安全機構のおかげで、つばさの身体は地面すれすれで止まり、あやうく大地にめり込むのだけは免れた。このような場合、ヲジーの目論見ではそのまま「すたっ」とかっこよく着地できるはずなのだが、つばさはまだそこまでGスーツの扱いに慣れていない。
「くっそぉ」
 つばさはわめいて立ちあがり、手近にあった円筒を拾ってエミリーに投げ付ける。もちろんこれも核弾頭だ。しかしつばさは、これが核どころか爆弾であるとさえ認識していない。つばさにとっての爆弾とは、髑髏マークの黒い球形か、トイレット・ペーパーの芯を束ねたようなものに導火線がついていなければならないのであって、この弾頭は爆弾のすがた形をしていないからだ。
「うわ。やめろっ」とエミリーやカエサル隊員が慌てて伏せる。
 飛ぶことこそできなくなったGスーツだが、つばさの投擲を多少とも支援することくらいはできる。核弾頭は結構なスピードで飛んだ……のだが、悲しいかなつばさはノーコンだった。ドッジ・ボールではいつも外野組だ。それにただでさえ手に余る大きさの弾頭が目標に当たるはずもなく、エプロン脇の航空機格納庫を越えてあらぬ方に飛び去って行った。
 しかしつばさはめげない。エミリーらの反応から『これは効く』と見て取って、手当たり次第に投げ始めた。
「えいっ。えいっ!」
「やめっ。やめろってのに。こいつ」
 エミリーも対抗上そばにあった弾頭を投げ付ける。たちまちあたりは最終戦争さながら、核弾頭が空中を飛び交う状況となった。
 カエサル小隊はエミリーによる援護……というよりつばさのノーコンに助けられ、再びバスを目指して撤退を始めた。彼らはシャツを脱ぎ、それで弾頭を二、三個ずつ風呂敷のように包んで抱えている。
 やがてつばさのGスーツも本格的に電池切れとなり、投げる弾頭の勢いがどんどん落ちてきた。核弾頭そのものも、つばさが手当たり次第、広範囲にわたって撒き散らしたため、手近なところには一個もなくなっている。
 なすすべを失ったつばさは、ただ仁王立ちになって上目遣いにエミリーを睨み付けている。
 エミリーの方も事情を察し、やや胸をそらして「ふ」と人を見下したニヒルな笑みを見せた。さすがにむっとしたつばさは、憤懣やる方ない気持ちを「んベーっ」と舌を出して表現すると、踵を返して格納庫の方に走って行った。
 エミリーはつばさを追わず、滑走路で離陸を待つSR-71に向き直った。本来の任務はこの機体の奪取なのだ。彼女はコクピットでこちらを見ているハンスに、手振りで離陸を指示した。計画では彼女が後席に乗る予定だったが、今の状況では、むしろ彼女は自力飛行してF/A-18とともにSR-71をエスコートする方が良いとの判断だ。いつまたストラト・スッチーが襲って来ないとも限らない。

「ヲジーちゃん、どこぉ」
《四番格納庫の裏じゃ。ドラム缶の陰におるわい》
「電池切れだよ。なんもできないよぉ。予備の電池とかないの?」
《そんな物はないわい》
「あっ。いたいたヲジーちゃん」
 ドラム缶の後ろからヲジーが姿を現す。
「まったくつばさは空戦という物がわかっとらんの。動きが無駄だらけじゃ」
「そんなのあたしにわかるわけないじゃん。それより電池ぃ」
「うむ。バード・ストライクがこれほど電池を食うとは予想外じゃった。ともかくこれで万事休すじゃ。帰るとするかの」
「ちぇっ。じゃあ着替えてくるね。……ああっ!」
「どうしたんじゃ」
「さっきトイレで着替えたとき……ヲジーちゃんにもらったケーキ、落としちゃった……」
 つばさはがっくりと膝を落とし、わなわなと肩を震わせる。
「なんじゃそんな事か」
「そんな事かじゃない〜。あっそうだ電池あるよ。あの戦車の時計!」
「ああ、あるのぉ。しかしこんなサービス電池じゃろくに動かんじゃろ」
「そんでもいいよ。いいから出してっ」
 二人はごそごそと時計の電池を抜き出し、航空精神注入バトンの中に詰替える。電池は単三で、ちょうどバトンに使えるサイズだ。
 つばさはバトンのスイッチを入れてみる。宝石ランプが青く点り、つばさの身体が軽くなる。
「やたっ。ついたついた」
 つばさは喜び勇んで足もとの核弾頭を拾うと、それを小脇に抱えて、折しも離陸滑走を始めたSR-71に向かって駆け出した。正確にはその横に寄り沿っているエミリーが目標だ。
「なんじゃ? 自爆する気か?」
 もちろんそんな気はない。弾頭には信管がついていないし、ついていたところでつばさは使い方を知らない。
 つばさは思いきり助走を付けて、核弾頭を投げ付けた。ノーコンのつばさにしては奇跡的だが、弾頭はまっすぐエミリーに向かって飛んでいき、彼女の後頭部に命中した。エミリーは瞬間的に失速し、ものすごい形相でつばさの方を振り向いた。しかし彼女はあくまでも任務優先で、そのままSR-71の護衛を続ける。
 弾頭を投げたところで、バトンのランプは消えた。どうやら安物の電池ではこれが限界だったようだ。

 最後に一矢報いたことでつばさもいくらか満足し「ふんっ」とガッツ・ポーズを取る。
 ふと周りを見ると、そこは堀と鳥井が盾にしていたゴミ箱の前だった。至近距離からゴミだらけの鳥井がカメラを向けている。つばさはいま自分がどんな格好をしているかに思い至った。
「うひゃーっ!」
「うわーっ」
 つばさは裸でいるところでも見られたかのように身をすくめて、カメラの前から逃げる。鳥井と堀もスッチーを恐れて反対方向に逃げる。
 少し離れてつばさが振りかえってみると、相手の方も立ち止まってこっちを見ている。つばさは両手をぐわっと天に突き上げて「ひっさ〜つ!」と叫ぶ。二人は飛びあがって、転がるように逃げ去った。
「まったくもー。人をバケモノみたいにぃ。失礼しちゃうったら」
 自分で脅かしておきながら、つばさは勝手なことをつぶやき、ヲジーのところに戻って行く。

「お、おい。撮ったか?」
「撮れたっす。どアップで……ああ、怖えかったぁ」
 エプロンに展示してあるP−3C用の電源車の陰に逃げ込んだ堀と鳥井だが、二人とも息を切らして、まだ少し震えている。
「しかし、こいつはスクープ中のスクープだぞ。よその連中も撮ってるだろうが、これほど間近で赤スッチーを激写したのはうちだけだぜ。臨時ニュースだ。新聞も一面トップだぞ。『敵か味方か謎の赤スッチー、ステルス・スッチーと一騎討ち!』ってな。核弾頭の件もあるぞ。『やはり破られていた! 非核三原則』ときた。ほらさっそく社に連絡だ。おい」
「携帯なら、さっきとりあげられたまんまっすよ」
「そうか、畜生。それじゃすぐ帰ってニュースと号外の準備だ! ……おいどうしたんだ?」
「こ、腰ぬけたっす」
 堀は動けなくなった鳥井からテープを奪い、彼を置き去りにして取材用の車に走った。
 一人残された鳥井は、散乱するゴミも構わずエプロンに大の字になり、盛大な溜息と共にひとりごちた。
「はぁあ。機関銃より核爆弾より、赤スッチーが一番怖かった……」

「お帰り、つばさや。ほれ、着替えじゃ」
「ありがと。あれ? ヲジーちゃんなに持ってんの?」
「こ、これかの? いやなんでもない、なんでもない」
 隠し持っていた核弾頭を、つばさに着替えを渡そうとした拍子にみつけられて、ヲジーは慌てて背中に隠す。もっともつばさはこれが何なのか知らないわけだが。
「あー、どろぼーだー」
「いやいや、こりゃそんな大したもんじゃないわい。あれだけの賊を基地から追っ払ったんじゃから、これくらい頂戴したところでバチは当たらんわい。ふぉふぉ」
「ヲジーちゃんが追っ払ったわけじゃないくせに……」
「そうじゃ、つばさもそこいらの屋台からアップル・パイでもピザ・パイでも好きなだけいただいたらええわい。どうせもう客は来んからな。この陽気じゃ置いといてもじきにゴミになるだけじゃ。もったいない、もったいない」
「そ、そっか。そだね」
 それは確かにその通りだし、食べ物の話になるとつばさは他のことを忘れる。核弾頭のことはもうどこかに行ってしまって、着替えもそこそこに荒れ果てた屋台を物色し始める。
 その頃、基地の米兵の多くは、バスで脱出を図る大ドイツ第四帝国一味を阻止すべく、バス用のゲートを始めとする出入り口に集結していた。その残りも避難する一般客などの整理誘導に追われ、つばさたちが居る格納庫付近は完全に手薄となっていた。つばさが火事場泥棒のまねをしたところで、とがめる者はいなかった。
 ひとしきり物資を鹵獲すると、つばさはもはやただの恥ずかしいコスプレでしかないストラト・スッチーの衣装を脱いで、もとのクッキー柄Tシャツとミニスカートに戻った。
「さっ、パイも確保したし、もう帰ろ。飛行機だってもう飛ばないでしょ」
 ちょうどそのとき、黒尽くめの戦闘服を身につけた白人の一隊がつばさ達の前に現れた。服の二の腕に星条旗のワッペンがあるところからして、第四帝国の残敵掃討にやって来たアメリカ側の部隊らしい。
 つばさは米兵を見て反射的にスカートを押さえる。しかし実際のところ、着替え終わったつばさと、ブツをスッチーのコスチュームに包んで紙袋に隠したヲジーは、いまやどう見ても逃げ遅れた単なる一般人である。
 彼らの一人が流暢な日本語で話しかけた。
「お怪我はありませんか。もう大丈夫ですよ」
「え〜ん。怖かったよぉ」とつばさはわざとらしく嘘泣きしてみせる。
「我々はアメリカのSWATの者です。安心してください」
「なるほどの。すわっとばかりに駆けつけて来たんじゃな」
 さしものつばさも不意を突かれ、SWAT隊員もろとも真夏だと言うのに凍りついた。