燎原の煙

 日本の兵隊が宝物を埋めようとしている、との話を聞いたのは、僕が十二才になった年の春だった。それからもう四十年も経ったとは、信じがたいような気がする。
 僕にそれを教えてくれたのは振寧だった。その当時、僕の家は奉天の地主だった。彼はわが家の土地を耕す小作人の息子で、僕とは同い年だった。小さい頃から奉天城のそばで、一緒に遊んでいた仲だった。彼はさも重大な秘密だといわんばかりに、僕に耳打ちした。
「金先生が張宗援って日本人に、東風酒楼で手伝いを頼まれたんだよ。金はたんまり出すから、この仕事のことは秘密にしろって」
 東風酒楼は奉天の新市街にある料理店で、その実態は阿片窟だった。
「でもきみには話したんだろ。それに張なんとかって、本当に日本人かい。なんだか嘘くさいな」
「日本人だって、先生が言ってたんだ。それで先生は、宝物を埋めた後でこっそり戻って、宝物をちょっとばかり頂戴しようって言ってるんだ」
 振寧は首を縮めて辺りを見回した。他に誰も居ない僕の家の納屋だったのに、僕も少し恐ろしくなって、声をひそめて言った。
「そんな事したら、先生は日本兵に殺されるよ」
「そうさ、だから先生は、掘り出したらすぐにどこか遠くに逃げるんだ。借金がたまって、もうどうせ奉天には居られないんだって」
「ふうん。先生も最近は阿片ばっかり吸ってるからね」
「それで俺たちに手伝って欲しいって言ってるんだよ。俺たちなら日本人に疑われないだろ」
 金先生は八極拳の使い手で、もとは天津でその道場を開いていたらしい。ところが、生来の遊び好きが高じて評判を落とし、道場をたたんで満州へと流れてきたのだった。それからの先生は苦力になってなんとか毎日をしのいでいて、たまに仕事にあぶれたときなどは、僕たち相手に拳法を教えてくれた。だから僕たちは先生と呼んでいたのだ。
 金先生は、その頃になるとろくな仕事もせずに阿片窟にいりびたっていた。自慢の口ひげもよれよれになり、衣類や家財もみな阿片につぎ込んで、ほとんど乞食同然に落ちぶれていた。だから宝物の話を持ちかけられたときも、横取りなどと良からぬ考えを抱いたのだろう。
 僕はあまり熱心ではなかったが、振寧は先生にまとわりついて、よく拳法を教わっていた。先生が彼に宝物の話をしたのも、かわいい弟子への置き土産にするつもりだったのかも知れない。
「宝物って、いったい何なのさ」
「知らない。先生も教えてもらえなかったらしい。どうせどこかの金持ちからさらってきた物だろ。ほら、昔の古い絵とか、ええと……」
「骨董品かい」
「そう、それそれ。そいつだ」
「それで、いつそれを埋めるんだい」
「今夜さ」
「急な話だなあ。それに埋めた後だって、兵隊が見張ってるんだろう」
「そりゃだめでもともとだ。見張りが居たらあきらめるさ。そうしたって何も損はないじゃないか」
 確かにその通りだった。もっとも疲れ損にはなりかねなかったが。

 僕たちは夜中を待って、京奉鉄道の瀋陽駅の北で落ち合った。美国領事館と、線路を隔てた反対側の辺りだ。二人ともスコップ代わりに古い木の板を持ってきた。埋めたばかりの所を掘り返すのだから、これで充分のはずだった。
 その晩の僕は、『徳国製』の刻印がある、父の自動拳銃を持ち出していた。その夜の冒険にはうってつけの小道具に思えたのだ。もし日本の兵隊に見つかったら、その時こそこいつの出番、とばかりに。以前、試しに撃たせてもらったことがあったので、隠し場所と一通りの扱い方は知っていた。もっとも、なぜ父がそんなものを隠し持っていたのか、僕は知らなかった。寡黙な父は、僕が訊ねても答えてくれなかったのだ。
 宝物を埋める場所は奉天の郊外で、満州鉄道本線沿いのどこかだと振寧は言った。作業が終わったら、金先生が帰るふりをして途中の線路で待っているから、一緒に現場まで引き返せばいいのだ。僕たちは京奉線を離れて北に向かい、満鉄本線にぶつかった。そこからさらに北の方角にむかって、僕たちは歩いた。二人とも周りを警戒して、あまり口を利かなかった。月明かりの下、二本のレールが白く延々と延びていた。辺りには日本兵どころか、僕たち以外には誰一人として居なかった。肝心の金先生の姿さえ見えなかった。
 柳条湖の駅にはさすがに鉄道守備隊がいた。僕たちは地面に伏せて、しばらく腹這いで進んだ。
「おい、まずいぞ。このまま行ったら、見つかっちまう」と振寧が言った。
「金先生は駅にはいないかい」
 振寧は中腰になり、首だけ伸ばして様子を窺った。
「いないみたいだ。埋める場所はもっと先じゃないかな」
「じゃあ、線路の上を歩くのはやめようよ。少し離れたところからだって、先生が待ってれば判るから」
「そうだな。それにしても、今日は兵隊の数が多いな」
「やっぱり宝物の話は本当だったんだ。きっとそのために集まったんだよ」
「おい、見回りだぞ。逃げよう」
 僕たちは線路から離れた。それからはずっと、線路からつかず離れず平行して歩き続けた。見回りに出くわしたときはもちろん、列車が通り過ぎただけでも、いちいち伏せたり隠れたりした。列車の中には、銃を持った日本兵が充満していて、僕たちみたいな不審な通行人を、片っ端から撃ち殺すように思えたのだ。いまにして思えば微笑ましいが、なにしろその時は日本軍を敵に回した大冒険のつもりだったのだ。

 北大営の横をすぎ、かなりの時間を歩き続けても、先生は居なかった。見えるものと言えば、薄明かりの畑の向こうの黒々とした北大営の木立や、傾いた月に照らされた民家の煉瓦塀ぐらいだった。
 もっと街の近くだと思っていた僕たちは、食べ物も持ってきていなかった。六月とは言っても、軽装の僕たちには夜風は寒かった。腹も減り、へとへとになった僕は、板を投げ出して楡の並木に寄り掛かって座り込み、振寧に言った。
「ねえ、もう帰ろうよ。これじゃどこまで行っても無駄だよ」
 僕の前を歩いていた振寧は振り返ると、つぎのあたった服の砂埃を払いながら戻ってきた。彼は腹立たしげな声で言った。
「おい、だらしないな。恐くなったのか」
「そうじゃないけど、どこを見たって何の工事もしてないし、先生もいないじゃないか。だいたい、本当にこっちの方角でよかったのかい」
「俺が嘘ついたってのか」
「嘘だなんて言ってないよ」
「じゃあなんだ。先生の言ったことが信じられないのか」
 彼はほつれた服の裾をいじりながら言った。いらいらしている時の彼の癖だった。彼もいいかげん疲れて、先生の言葉を疑い始めていたのだろう。
「でも、先生が日本人に嘘の場所を教えられたのかも知れないだろう」
「判ったようなこと言うな」と彼は脚を踏みならした。「ほんとは怖じ気付いたくせに。これだから地主の子は弱虫だってんだ」
「なんだと。そっちこそ、こんな本当かどうか判らないような、阿片のみの話なんかに騙されたくせに」
「おまえの親父が裏で何やってるか教えてやろうか」と振寧は言った。
 いきなり父の話になって、僕は返事に困った。
「おまえの親父は阿片を売ってるんだ。仕入れのとき、俺は何度か運ぶのにつき合わされたんだ。金先生があんなになったのも、全部おまえの親父のせいなんだぞ」
 僕は知らなかった。信じがたい話だった。
 僕はほとんど何も考えずに、振寧に殴りかかっていた。多分、二回くらいは彼の頬に拳が入ったと思う。しかし、彼はなんなく僕を地面に組み伏せてしまった。得意の八極拳も使わずにだ。夜露を頬に感じ、口に砂を咬みながら、僕は完全に負けたと思った。
「帰ろう」と振寧は言った。「今からじゃ、先生と会ってすぐに掘りはじめても、夜が明けちまう。朝になったら先生と会って、また出直そう」
 僕たちは来た道を引き返した。どこか遠くで狼が吼えていた。僕たちは一言も口を利かなかった。振寧は先に立って歩き、僕の方を振り向こうとしなかった。彼は泣いていたようだった。

 満鉄本線が京奉線をまたぐ陸橋まで戻ったときには、もうすっかり明るくなっていた。僕たちは二人とも、スコップの板といっしょに穴掘りをする気もなくしてしまっていた。
 鉄橋のたもとに横たわる人影を先に見つけたのは僕だった。始めは金先生が僕たちを待ちかねて、そこで寝ていたのかと思った。僕たちは駆け寄った。
 それは先生ではなかった。そして寝ているわけでもなかった。目を開いたまま仰向けに倒れていて、両手で押さえている腹のあたりは、服がべったりと朱に染まっていた。口の端からも一筋の血が頬を伝っていた。
「これ……先生じゃないな」と僕は言った。
「阿片のみの林さんだよ。先生と一緒に宝物の仕事を頼まれたって言ってた。おい、あっちにも死んでるぞ」
 死体はもう一つあった。幸いにも、それも先生ではなかった。やはり先生の阿片友達で、こちらは後ろから刺されたらしく、土手の途中に転がっていた。僕は日本兵の仕業だと直感した。
 なにか急に世界中が虚ろになったような、目の前の死体はどこか別の世界にあるような気がして、僕はその場に立ちすくんだ。それまでの僕は、人の死について、それほど深く考えたことはなかった。それがその瞬間、死というものがいずれは自分にも、それもすぐにでも降り懸かってくるものとして意識されたのだった。
「おい、やばいっ」と振寧が叫んだ。そばの監視所から日本兵が一人、着剣した小銃を持ち、なにか叫びながら走り出てきたのだ。
 哲学的感傷などどこへやら、僕たちは急いで崖を駆け下り、鉄橋をくぐって逃げた。日本兵は不思議に銃を撃とうとしなかった。
 僕の後ろで「あっ」と声が聞こえた。振り向くと、鉄橋の真下で振寧が京奉線のレールに足を取られて転んでいた。鬼のような形相の日本兵は、すぐにも追いつきそうだった。
 僕は服の背中に隠していた拳銃をとりだし、安全装置をはずして撃鉄を起こした。日本兵が振寧をまたぎ、銃を後ろに引きつけた刹那、僕は闇雲に引き金を引いた。銃声が鉄橋に反響して、耳が痛くなった。弾はあたらなかった。
 日本兵が驚いて僕の方を見た隙に、振寧は小銃の銃身をつかみ、銃床で相手の腹を突いた。日本兵は不意をつかれて銃を離した。振寧はその銃を逆に握ったまま振り回し、日本兵を横ざまに殴り倒した。
 銃声を聞いたためだろう、監視所からさらに二人の兵隊が現れた。僕は振寧に駆け寄った。彼は足をくじいていて、走ることはできなかった。僕は彼に肩を貸して、よたよたと逃げた。日本兵は刻々と近付いてきた。僕はほとんど死を覚悟した。負傷した振寧と拳銃一丁では、三人の兵を相手にはできそうになかった。
 日本兵が陸橋のこちら側まで迫ったとき、橋の上からなにかが落ちてきて、兵の一人を押し倒した。それは金先生だった。実にこのときほど先生が『先生』らしく見えたことはなかった。
「逃げろ。早く」と先生はわめいた。
 阿片と貧乏でぼろぼろになっても、そこはさすがに金先生だった。残った一兵と、息を吹き返した最初の兵の二人を相手にして、互角以上に戦っていた。
 先生が不覚をとって後ろから羽交い締めにされたとき、朝靄の中に機関車の汽笛が響いた。それを聞いた日本兵は急に慌てだして、先生を思いきり突き飛ばした。そして先生に潰された一人を助け起こし、急いで監視所に引き返して行った。
 僕たちはこれ幸いとその場から逃げた。振寧は先生が背負った。
 ようやく物陰にたどり着いて、恐るおそる陸橋を見ると、一つ目の列車が橋を通過して、第二の列車が橋にさしかかった所だった。兵隊の姿はなかった。
 僕が安心して溜息を吐いたとたん、一瞬息ができなくなるほどの爆音が空気を揺るがした。僕たち三人は、肝を潰して陸橋の方を窺った。満鉄の鉄橋は半分吹き飛び、列車の残骸が下を走る京奉線の上に転がって、煙と砂塵に包まれていた。
「あれが宝の正体だ」と先生が言った。「爆薬だよ」
 やがて、無事に通過した列車から中国兵が飛び出して、銃を狙いも付けず滅多やたらに撃ち始めた。僕たちの居るところまで流れ弾が飛んできたので、僕たちはかなり長い時間、その場に伏せていなければならなかった。

 それが後に「張作霖爆殺」と呼ばれる事になる事件だと知ったのは、その日の夕方だった。
 僕は金先生に、一度殺されかけたのになぜあの時戻ってきたのか、と訊いた。先生は曖昧な苦笑を浮かべて、答えてはくれなかった。後から来るはずの僕たちを心配して戻ったのだと、僕は思いたい。その困ったような笑顔が、先生を見た最後となった。先生はその日のうちに奉天を離れた。
 しばらくたってから、一度だけ誰かに代筆してもらった手紙が届き、先生が国民党軍に参加したことを知った。大変な苦労をして、阿片とは縁を切ったそうだ。その後の先生の消息はわからない。
 振寧も、それから二年ほどして国民党軍に加わった。金先生の後を追ったようなものだが、二人が再会したかどうか、僕は知らない。彼は十五年にわたる抗日戦を戦い抜き、どうやらその後の共産党軍との紛争の折りに、命を落としたらしい。これは人伝に聞いた話なので、願わくは間違いであって欲しい。
 僕の父は、あの日僕が家に戻ると、頭を一つ殴りつけて拳銃を取り返し、小言めいたことは言わなかった。後日、阿片の取引の事を質すと、父はあっさりと認めた。この時もやはり詳しいことは話さなかった。そのせいで、僕は長いあいだ父を憎んでいた。
 父は抗日戦の期間、家族を守り抜き、日本軍の撤退と前後して世を去った。そのとき、父は彼なりに必死だった事に気がつき、僕はようやく父を許した。三年後に柳条湖で九・一八事変が勃発したときも、僕たちは父が阿片を通じて日本軍と関係していたおかげで、いち早く奉天を離れることができたのだ。
 戦後になって僕が奉天に帰ったとき、わが家の土地はまず日本人の手に渡り、後に中国人民のものとなっていた。僕は故郷を去って北京で作家となった。父が先祖の土地を奪われる所を見ずに済んだのは、あるいは幸いだったのかも知れない。
 作家としての僕はこの一文を最後に、筆を折ろうとしている。僕が地主の家の生まれだと言うだけで、ブルジョワ作家として批判を受けているのだ。
 そうした批判者のほとんどは、僕の作品を本当は読んでいない。しかし、僕は彼らを責めようとは思っていない。人民とはえてしてそんなもので、権威には盲従するものなのだ。『造反有理』を叫んでいる若い世代も、それがやはり権威主義であることに気付いていない。
 この文がいつか世間の目に触れるかどうか、それも今の僕にはどうでもいいように思える。ただ、僕が作家となる理由だったのかも知れないあの事件を、書き留めておきたかっただけだ。
 僕の目の前にある窓枠には、あの日と同じように、細かい砂が降り積もっている。

         終劇