1024匹のみみず

「ようし、あと少しだ」
 石川五郎はパソコンのモニターを見ながらつぶやいた。そこには銭山銀行付近の地図が映っていた。銀行前の道路からは、震える手で描いたような線が延びていて、その先端は銀行の建物の中にあった。彼がマウスを動かすと、地図は縦方向の断面図になった。くねる線は銀行の地下室を目指していた。それはつまり金庫室である。
「高さも問題なしと。ふん。あの銀行の連中に、もうすぐ一泡吹かせられるわけだ」

 五郎はもともと遺伝子工学の研究者であった。数年前から私的に研究していた『みみずの歯の強化』に成功し、企業の研究室を退職、このみみずによるトンネル掘削の事業化に取り組んでいた。この方法を用いれば、従来のシールド工法などよりもはるかに安くトンネルが掘れるのだ。なにしろ燃料もいらなければ餌もほとんど必要ない。みみずを制御する超音波のための電力と、みみずの糞を運ぶ動力があればいいのだ。彼のみみず達は、その強力な歯によって、ちょっとした岩盤や鉄筋コンクリートでも平気で喰い破ってしまう。
 ところが、これに投資してくれる銀行が見つからなかった。これが『みみずの養殖』ならまだよかった。しかし『みみずでトンネルを掘る』と言うと、どこの銀行でもとたんに投資担当者の目つきが変わるのだ。まるで骸吉でも見るような目に。
 そこで彼としては、このトンネル掘りの可能性を実証する必要に駆られた。目標は銭山銀行である。あちこちの金融機関で断られた挙げ句に五郎がこの銀行に行ったとき、すでによその金融機関から回状が届いていたらしく、ここが一番ひどい断り方をしたのだ。ここまでくるとまるで破門されたやくざである。
「それほどみみずのトンネル掘りが有効なら、実際に一つ掘ってみなさい。もし掘ったとしてもみみずの穴じゃ、あんたのちんちんも通らないでしょう。いやあんたのなら通るかな」
 かくなる上はもう金の問題ではない。男の威信の問題だ。五郎はこの時、善良な市民であることをやめた。

 銭山銀行前の道路の地下には電気や電話、ガスなどの共同溝が走っている。それが銀行の正面に来たところに、五郎のトンネルの起点があった。
 彼のみみず達は、いま銭山銀行の地下金庫室の直前まで達していた。もちろん一匹ではない。およそ千匹はいるだろう。それらはトンネル先端に埋められた超音波の発音体によって操られ、金庫室に向かって穴を掘り進むのだ。超音波はレーダーの役割も果たすので、穴の進み具合も簡単に把握できる。
 超音波の制御はノートパソコンで行う。電源は共同溝からとれるし、電話回線を介して五郎の自宅のパソコンから指示を出せる。共同溝のすぐ脇には下水道の本管が通っていて、五郎のトンネルはこの下水の天井を破り、銀行の金庫室に向かっている。この下水の穴からトンネルの最前線まで、小型のベルト・コンベアーを設置してあり、下水道にみみずの糞を捨てられる。五郎がやることは、一日一回コンベアーや超音波発音体を設置し直して、自動的に排除しきれなかった糞をかい出す事だけだ。
 こうして五郎は犯罪史上初の在宅金庫破りを実現したのだ。

 五郎は銀行から五百メートルほど離れたマンホールから共同溝に潜り込んだ。幸いにも今までは、この共同溝で誰にも出くわさなかった。もはや通いなれた道となったこの狭い溝も、もう今日で見納めとなるだろう。
 今日の彼は現金などを詰め込んで逃走するための鞄も持ってきたし、指紋を残さないように手袋もしている。みみずは事が済めば散りぢりになるし、あとに残るは彼の勝利のあかしである、みみずトンネルだけだ。
 壁のパネルをはずすと、人が一人かがんで通れるくらいの穴が地中に開いている。彼はマグ・ライトを片手にその穴に潜り込み、パネルを元にもどした。下水道の穴をまたぎ、奥へと進む。突き当たりにはみみずを操るノートパソコンが仄かな光を放っている。彼はそのキーを一つ叩いた。超音波の強力なパルスがみみずを停止させた。彼はコンベアーを少し前進させ、そこに置いてあるスコップで、柔らかくなった土、すなわちみみずの糞をコンベアーに載せた。
 みみず達は直径一メートル半ほどの穴を、一日に約三メートル掘り進む。共同溝から金庫室はほぼ三十メートル。これまでの十日間はほとんど障害物もなく、きわめて順調に進んでいた。
 みみずの糞を掘っていくと、やがて土の色が白くなった。金庫室の壁のコンクリートがみみずに噛み砕かれて混じっているのだ。彼は掘るのをやめて、土と一緒に掘り出した四個の発音体をトンネルの正面の壁に刺し込み、パソコンの画面を見た。みみず達は目の前の壁の二十センチ先で、厚さ五十センチはある金庫室の壁を半分がた削り取っていた。みみずが食べ残した鉄筋が、トンネルの壁から少し突き出している。
 現在時刻は午後八時。すぐに掘削を再開したのでは少々早い。五郎は穴の中で二時間待った。それからみみず達に作業を再開させ、コンクリートの壁に穴が貫通するまでに四時間かかった。一生のうち、もっとも長い四時間のような気がした。だが、不思議に心は落ちついていた。一種の胎内回帰的な安心感があった。
 終にトンネルの壁が崩れ、新鮮な空気が流れてきたとき、五郎は躍り上がった。天井に頭をぶつけたほどに。彼は土をどけるのももどかしく、貫通したばかりの穴に鞄を放り込んで頭から潜り込み、コンクリートの床の上に立った。

 彼はマグライトをつけてあたりを照らしたが、そこには彼が期待した札束や金塊の並ぶ光景はなかった。ただ反対側の壁が見えただけだった。彼がライトを横に向けたとき、不意に地下室に明かりがともった。彼は目がくらんだ。
「はい御苦労さま」
 低い声に五郎は驚き、まぶしい目を無理に見開いた。
「器物損壊の現行犯、ならびに窃盗と電気通信事業法違反の容疑で逮捕する」
 見れば彼が立っているのは金庫の中ではなく、金庫の扉の前の小部屋だった。そしてその部屋には、銀行の警備員と警官たち、そして警察手帳をかざした刑事が彼を取り囲んでいた。振り向くと、彼がいま抜けてきたばかりのトンネルにも、警官の姿があった。
「な、なぜだ。なぜばれた。なぜ金庫から逸れちまったんだ」
「電話回線にあんなものを繋いで、ばれないと思うのかね。我々は一週間前から内偵を進めていてね、あんたのパソコンに、こちらへも情報を流すようなプログラムを送り込んだわけだ」と刑事が言った。
「コンピューター・ワームか」と五郎はうめいた。
「そうだ。すると、誰かがこの銀行の金庫めがけてトンネルを掘っていることが判った。我々はその向きをちょっと変えて、それでもちゃんと金庫に向かっているように見せて置いた。それで今夜、貫通するのを見計らって、金を盗りに来るはずの犯人を逮捕しに来たわけだ」
「あんた名前は石川五郎かね。みみずのトンネルの件でここに金を借りに来たそうだが」
「そうだ。とにかく俺のみみずはちゃんとトンネルを掘った。銀行の奴等は見る目がなかったんだ」
「だがあんたの遺伝子みみずも、我々の電子みみずにはしてやられたな」
 五郎にとって、この落ちは不満だった。

        終わり