冒険の記録

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26日(土) 大阪観光 最終日

【朝昼食】梅田の英国ティールームにて、ランチ

◆阪神百貨店内タイガースショップ
思わずお金を使ってしまう。阪神好調による経済効果とはこういうことか。

【移動】谷町線、堺筋線、南海高野線で、東梅田→堺東へ。

◆堺市役所展望台
堺市には世界最大の陵墓『仁徳天皇陵』などを含む百舌鳥古墳群がある。 21階の展望ロビーから、その古墳群が点在している市内を見ることが出来る。 特に前方後円墳である反正天皇陵がよく見れる。仁徳天皇陵はこの高さではカギ型には見えなくて、森と化した小山。

【移動】南海高野線/堺東→三国ヶ丘

◆仁徳天皇陵 とその倍塚
古墳内部に立入ることは出来ないが、濠の周囲には道が整備されていて、その気になればぐるっと一周散策できる。 今回は、三国ヶ丘駅から古墳正面部まで、東側をゆっくり歩いて半周した。 淀んだ濠と、うっそうとした森が、不思議な雰囲気を醸し出している。 仁徳天皇陵の周囲にある小型の古墳(倍塚)にもたくさん出会う。

◆堺市博物館 →リンク
古代〜中世にかけて歴史度の高い堺ではあるが、やはり古墳群に関する展示が圧倒的だった。 仁徳陵から出土後埋め戻されたという、王の鎧と兜の復元品(ただし合成樹脂製)があったので、思わず着用。

【移動】阪堺線の路面電車で御陵前駅→浜寺駅前。南海本線に乗換え、浜寺公園→関西空港。

【夕食】関西国際空港内のロムレット(オムレツ屋)にて

25日(金) 大阪観光 2日目

【朝食】コンビニおにぎりなど

◆手塚治虫記念館
宝塚出身。

【昼食】宝塚のいろは(お好み焼き屋)にて

◆阪神甲子園球場
阪神ファンとして一度は行きたかった地で、阪神−中日戦を観戦。 俊足:赤星の好守備と盗塁あり、終盤チャンスで代打:八木(凡退だったけど)も登場。 先制されて逆転して追い付かれてサヨナラ勝ち、というかなり面白い試合を見れた。なんと3試合連続サヨナラ勝ちである。 9回表満塁のピンチにリリーフした谷中がポイントだった(と、そんなに野球通ではない妻も言ってた)。 ホームランも見たかったけど、それは贅沢と言うものだ。

よく言われてるすごい応援も堪能して来た。 自分らは3塁側内野席だったけど、みんな声だして応援してた。ジェット風船も飛ばした。

◆甲子園スサノオ神社
にも、試合の前後に行った。 春に、星野監督と選手達が参拝したことが報道されたため有名になった神社。 野球のボールや、甲子園球場をデザインした絵馬が売られてて、 「野球がうまくなりますように」「野球部が甲子園に行けますように」といった願がかけられていた。 現在ではこじんまりした神社だが、スサノオ神の神社ってめずらしいな。

【夕食】梅田の物外館(沖縄料理屋)にて
甲子園から梅田に舞い戻ってこの店に入ったのは、閉店も近い夜11時半。 44年も営業してるそうだ。

24日(木) 大阪観光 初日

◆難波宮(なにわのみや)跡
大化の改新後に遷都されたという古代の都の跡。 公園になって復元保護されているが、それはごく一部に過ぎないようで、このあたり一帯(ビルやアスファルトの下)が古代都市だったようだ。 幸いすぐ近くに下記の博物館があり、そこで詳しいことが判る。

◆大阪歴史博物館 →リンク
古代フロアでは眼下に難波宮が、中世フロアでは眼下に大阪城が見下ろせるという、にくいつくり。

【昼食】博物館1階のレストランにて『難波御膳』

◆大阪城
濠と石垣は立派。お城といえば、華麗な天守閣よりも、こういった要塞設備系が好きなのである。 また現在残っている城公園は結構広いが、城の中核部分にすぎないと思うとその巨大さを実感できる。 (まぁ外郭では江戸城のほうが巨大ではあるが)。真田丸跡もちょっと南に行ったところにあるらしい(今回は行かなかった)。

復元天守閣内部は資料館になっている。内部は8階建てで、展示の量も少なくはなかった。 全部真剣に見ようとしたら大変なので、適当に流した。 徳川時代と豊臣時代の復元模型がそれぞれ展示されていた。

◆梅田/老松通り
妻の希望で、アンティークショップが集まっている通りへ。 着いたのは午後5時ころ。たまたまちょうど天神祭の行列に出くわした。

【夕食】梅田のチーズ亭にて

21日(日)

・ここ3週間ほど、『青汁』を飲んでいる。そんなに不味いとは思わない・・・というか、むしろうまい・・・。
・昨日は『ナンジャタウン』に行った。ゲーム会社らしく、参加型の趣向を凝らしたアトラクションがいろいろあった。 餃子は行列がすごかったので1皿だけ食べた。
・本日は、近所を流れる川でイベント『浅川サバイバルレース』が行われた。河原に出て、流れ行く楽しいイカダを見物。
・『利家とまつ』。本能寺の変くらいは見とくか、と思って改めて見始めたら、ちょっとはまりつつある。 秀吉がかなりハマリ役だと思った。ずる賢い秀吉と真っ直ぐな利家の対比が良かった。 初心者向け歴史本とかで、この辺りの史実について予備知識を仕入れて見たら、情報が補完されてより面白く感じた(ちなみに小和田哲夫氏の本を読んだ) 。 信長死後はほぼ天下が収まりかけてると思っていたもんで、戦国時代も終盤という気がして、そんなに関心がなかった。 しかしなかなかどうして、これ以後の戦いというのは、トーナメントの準決勝〜決勝的、もしくはオールスター戦的な雰囲気があるもんだ。

02日(火)
【調子】D
【朝】 【昼】妻弁当 【夕】カレーとズッキーニポテトサラダ

B’zのニューアルバム『GREEN』購入。珍しくさわやかで聴きやすい感じだ。 歌本買ってきて弾き語り練習しよう。 アイルランドのユニフォーム("緑"なので)、ライブにも着てけるじゃん。

01日(月)
【調子】D
【朝】自家製(by.ブレッドメイカー)パン、目玉焼き 【昼】ampm/納豆巻 他 【夕】ハンバーグ

これはちょっとした自慢なのだが、ウチの近所の林にはカッコウが住んでて、ほぼ毎日鳴き声が聞こえる。 (ここは東京なのか?)

ずっと天気が悪い。惑星が集合していたというゴールデンウィークのことからずっと、星空をちゃんと見れた記憶がない。

ところで「韓国、アジア初の快挙(ベスト4)」と呼ばれているが、トルコはアジアではないのか? 変な気がする。 サッカー界ではトルコはヨーロッパ扱いらしいが、地理や歴史の教科書をめくるとトルコはアジアなハズだ。 少なくとも、トルコのあたりのことを小アジアと呼ぶはず。

断片的な情報を整理すると、 もともと、ヨーロッパから見て東の果てにある地域(トルコ)のことをアジアと呼んでいて、 それが広義でその東方にある広〜い地域をひっくるめてアジアと呼ぶようになった・・・ってとこだと思う。 トルコはアジアというより、アジア=トルコだったらしい。

尚、ヨーロッパの音楽家が、東の国にある風変わりな軍隊のイメージを曲にしたのがトルコ行進曲。 ちなみに、首都は・・・イスタンブールじゃぁなかったんだ。勉強になるなぁ、ワールドカップ。

モンゴル帝国の中の1つ(?)、ちょうどトルコのあたりにイルハン国ってのがあったが、イルハン選手の名前との関係は?


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