今治空襲
昭和20年8月5日午後11時半頃から翌6日2時頃まで、今治はB29による焼夷弾攻撃を受けた。
旧市内の8割を焼き、犠牲者は600名を数えた。
南光坊
愛媛県今治市
今治市戦災の碑
碑文
今治市は、太平洋戦争末期の昭和20年(1945)、米軍の大型爆撃機B29により、三度にわたり空襲を
受け、市民をはじめ県内外からの動員学徒など、愛媛県下で最も多くの人たちが、犠牲となった。
戦災・終戦から63年が経過し、この歴史的試練が風化しつつある今日、ここに今治市における戦災の記
録を残し、戦争の惨禍を後世に伝えるとともに、あわせて犠牲者を追悼し、永久の平和を祈念するため、
戦災市街地のこの地に、戦災の碑を建立する。
記
第1回空襲・・4月26日 .
死者68名・重傷者34名・全壊家屋41戸・半壊63戸 .
第2回空襲・・5月 8日 .
死者29名・重傷者4名・全壊家屋43戸・半壊98戸 .
第3回空襲・・8月 5〜 6日 .
死者454名以上・重傷者150名以上・8212戸全焼・34200名以上罹災 .
平成20年(2008)年3月 今治市戦災遺族会、今治市の戦災を記録する会
真光寺
愛媛県今治市
殉難者供養塔
愛媛縣護國神社
愛媛県松山市
殉職女子学徒追憶之碑
碑文
戦はよしや無謀侵略の師であったにしてもこれら乙女達がその最期まで祖国に捧げた熱情は
至純であった
時恰も終戦直前の昭和二十年八月五日今治市空襲の夜 波止浜へ通ずる通稱近見縣道に
於て散った真白の花二十四遺骨は名勝波止浜の丘上に安らけく眠って戦なく争なき天国に久
遠の楽を享けているが そのみ魂をこゝに清じて亡き友への追慕の誠を捧げると共に うまし
国わが日の本のこの地上に永遠に戦火の災あらしめ給うなと祈るはわれら生けるものゝ心か
らなる願いである
昭和二十六年十一月 同窓生有志建之
殉職者 愛媛縣立松山城北高等女学校
一色 恭子 辻田恵美子 宮本 操 岡田 淑美 西村 京子 三好 郁子
久保キミ子 林 繁子 森田 昭恵 黒子 美江 弘津 幸 森松 啓子
小林 澪子 細井恵美子 山本 歌子 佐久間則子 升本 芳子 余田ノリカ
周布野ミヤ 松本千枝子 曽我部みはる 松友 笑子
殉職者 愛媛縣立松山高等女学校
一色 佳 金子 弘子
更新日:2011/02/13