海軍火薬廠空襲
神奈川県の中小都市・平塚は、昭和20年 7月16日の23:30ころから約二時間にわたり、B29爆撃機138機
の焼夷弾による大規模な空襲を受けた。
平塚市が空襲の目標とされた理由は、海軍火薬廠をはじめ軍施設や軍需工場等が存在したことによると思われ
るが、空襲の被害は一般市民の方が圧倒的に多かった。
死者228人を出したと言われているが、正確な死者数などは未だに判明していない。
八幡山公園
神奈川県平塚市
平和慰霊塔
平和慰霊塔の記
本市は明治以来幾たびかの戦争において尊い生命を捧げられた犠牲者のみ霊を慰めその冥福を祈るために
昭和三十八年一月平塚市戦没者慰霊施設建設準備委員会を設け ここに市民の浄財と市費をもってこの慰
霊塔を建立した
ねがわくは諸霊この塔にあつまり給いて市民の誠意に応え永く世界の平和を護持されんことを祈る
昭和四十年晩秋 平塚市長 加藤一太郎謹書
献歌
戦災による殉難の諸霊を平和慰霊塔に祭祀し つつしみて競歌三首を捧ぐ
米軍の空襲の日に被弾して 倒れし市民の霊を弔ふ .
この塔にあわせまつりし悲しみの 市民のみ霊よ永久にやすらかに
戦いは地獄なりけりつぎの世に このかなしみをまた知らしめじ .
平和慰霊塔
横浜ゴム 平塚工場
神奈川県平塚市
海軍火薬廠跡
海軍火薬廠跡の碑
碑文
ここを正面に 四十余万坪の地は海軍火薬廠の跡である
同廠は明治三十八年日本政府と英国アームストロング ノーベル チルウォースの三会社との契約により設立
された日本爆発物製造株式会社を 大正八年海軍省が買収したものであって 爾来昭和二十年まで日本海軍
の火薬技術の中心として 数多い功績を残すと共に 平塚市の発展と文化に多大の貢献をしたところである
ここにその事跡を偲びこの碑を建てる
昭和四十九年秋日 海軍火薬廠跡の碑建立の会
平塚市博物館
神奈川県平塚市
焼夷弾等の展示
アルミ箔、油脂焼夷弾
油脂焼夷弾、M17集束弾尾部、テルミット・マグネシウム焼夷弾
乗蓮寺
神奈川県平塚市
被弾した墓石
更新日:2012/04/01