都竹正雄

海軍兵曹長

 

略歴

大正 6年10月16日  岐阜県吉城郡国府村 出身

昭和10年 6月  日  呉海兵団 入団

昭和15年10月15日  航空母艦「龍驤」乗り組み

昭和15年10月15日  伊号第54潜水艦 乗り組み

昭和15年10月15日  駆逐艦「 敷波」乗り組み

昭和16年 4月15日  海軍水雷学校 普通科

昭和16年 4月15日  海軍水雷学校高等科

昭和17年 3月  日 第二次特別攻撃隊編成

昭和17年 6月 1日 艇長付としてシドニー湾へ突入(享年24歳)

 

 

 

艇長 松尾敬宇海軍中佐の遺書

同乗の都竹正雄兵曹は 私の最も信頼せる部下にて真に優秀なる人物に御座候

兵曹の御両親様には申訳なき次第 父上様御訪ねの上宜敷く御伝へ下され度候

 

遺詠

一億の人に一億の母あれど 我が母に優る母あらめやも

 

西之宮神社

岐阜県吉城郡国府町

都竹正雄碑

都竹兵曹長顕彰会説明版

当墓碑の建つ土地は荒城三千石を一望する聖地で飛騨国司姉小路家家臣白米城主牛丸摂津守の末裔

牛丸一夫氏の所有地でありましたが  太平洋戦争に於いて特殊潜航艇に乗り組み濠州シドニー湾に突入

して勇名を世界に轟かし名誉の戦死を遂げられた軍神都竹正雄兵曹長の武勲に感激され寄贈されたもの

で御座います また整地に当っては蓑輪部落の皆様を始め村内各種団体の方々の奉仕によって完成しま

した 斯くして此の碑は昭和二十一年四月建立されたものであります

茲に終戦三十一年目の記念日を迎えるに当り当時を回想して牛丸家の篤志と協力頂きました皆様の御奉

仕に対し感謝申上げますと共に多くの方々が参拝されて御偉勲を末永く伝えられんことをお祈りする次第で

御座います

昭和五十一年八月十五日 都竹正雄兵曹長顕彰会長 駒屋健次郎

 

  

都竹正雄碑

柏の木の由来

この柏の木は 大東亜戦争に於て第二次特別攻撃隊員として特殊潜航艇に搭乗し 挺身連合軍海軍の根拠地

オーストラリアのシドニー湾を強襲して戦死された 都竹兵曹長の大切なお護りの木です

都竹正雄兵曹長の武勲は多く衆人の知るところですが 当時オーストラリア海軍司令官グルード少将は この勇

猛果敢な精神力に「敵ながら武人の鑑」として感嘆され最高の栄誉であるオーストラリア海軍葬をもって遇せられ

その御遺骨は丁重に当時のメルボルン特命全権公使河相達夫氏に返還されました

河相公使は祭壇を設け他の三柱と共にお通夜を営まれ 御英霊が故国に返還される時 氏自身が祭壇に供えら

れた鉢のうちの一個柏の木を御英霊のお護りの木として碑の傍らに植えられたのです

軍神として仰がれた郷土の勇士都竹兵曹長を偲ぶと共に 河相公使の御厚意に感謝して末永く大切に見守りたい

と思います

平成九年六月吉日 都竹正雄兵曹長顕彰会長

 

生まれ故郷の風景

 

特殊潜航艇

更新日:2009/04/26