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 江戸冊子紹介・第2回「江戸切絵図散歩」
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                     著:池波 正太郎 新潮文庫
 江戸時代を舞台にした小説で、江戸の風俗や食文化を書かせたら、
 その右に出る者のないであろう作家、池波 正太郎先生。直木賞も受賞
 されている先生の本から1冊選ぼうと思った。が、彼の作品は、その
 全てが魅力的なので、なかなかひとつに絞れない。『鬼平犯科帳』
 『剣客商売』『仕掛人 藤枝 梅安』・・・どれもいいのだ。そこで彼が歩い
 た「江戸」を一緒に歩いてみようと『江戸切絵図散歩』を選んでみた。
 江戸時代の切絵図(江戸市街の簡単な区分図)を片手に池波 正太郎先生
 が東京という市街を歩き回る。今回は、そんな先生の後を、ひそかに
 尾けてみることにした。

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この本を語る上で、まず「切絵図」についての説明が必要かも知れない。
「切絵図」とは、江戸の市街を表した地図の携帯版である。地域毎に
作成され、大きさはだいたい15cm×8cmの手の平サイズ。その紙面には
寺社や武士の屋敷などが記載されている。今でいうところの、東京23区毎
に作られた地図。いや、もう少し小さい規模のものと理解していただければ
いいだろう。いわば江戸時代のポケット地図といえる。

この「切絵図」を古書店で昭和30年に入手し、時代小説を書く上で重宝されたと
いう池波 正太郎先生は本著の中で、このような事を書いている。「切絵図
を手に入れてからの私は、東京の何処へ行くのにも、行き先の地域の切絵図
をポケットに入れ、家を出たものだった」。つまり東京という現代の市街を
歩きながらもを、江戸の市街を俯瞰することを実践していたのである。

筆者も率爾ながら文筆を生業とし、この『えどめぇるまがじん』においては
「大江戸線1周の旅」など、自ら地図を携え取材を行っている。そんな身と
して、何か先生との共通項を見つけたような気がして、先生の散歩行に興味を
持った。そして失礼とは思いながらも、ひそかに先生の後を尾けてみたのだった。

池波 正太郎先生は浅草生まれの生粋の東京人。そんな先生が思い入れも
たっぷりに東京という市街を散歩するという道程は、まさに蘊蓄あり、
洒脱な逸話あり、思い出話あり、読んでいて思わず池波ワールドに引き込まれて
いく。小説の舞台となった場所の由来や説明などもあり、先生の小説を読んで
いる方はもちろんのこと、読んでない人にも、その面白さは伝わるはずだろう。
ある時は「深川はまるでヴェネツィアのようだ」とも書き、皇居周辺の
風景の美しさを説き、現在も江戸の面影を留める湯島聖堂と神田明神を眺め、
「雪でも降ったら、こころみに出かけてみるがよい。雪は汚れたもの、みにくい
ものを消してしまう」と、その100年を隔てた「江戸」と「東京」を俯瞰する。
まさに江戸と東京を行ったり来たりする緻密な描写は、やはり、この市街を
愛してやまなかった先生だからこそできる筆致と感服する。また、この本
には先生が描いた風景画も何点か紹介されており、コレもなかなかの出来である。

かつての江戸から東京へ、そして戦後の急速な開発の陰に押し潰されそうになって
いる江戸の痕跡を見つけだし、その解説をする先生。あまりに急激な市街の変化に
対する戸惑いと、ほんの微かな怨嗟を感じるのは、筆者だけであろうか?
確かに東京は日本の首都として、中心的市街の役目を担うにあたり、あまりに
急速な開発の手に染められた市街でもある。致し方ないと思いながらも、
東京に住む人間なら、やはりその変貌振りに戸惑うことも多いであろう。
例えば先生は日本橋を例にして、こう喝破する。「昔の木の橋(日本橋)は
徳川 家康が江戸へ入って来てすぐに架けた。そして日本橋周辺に町割をして、
この橋を諸街道の起点とした。そのように由緒の深い名橋の上にコンクリートの
高速道路を架け渡した木っ端役人には愛想が尽きる。川筋を選び、安易に造った
高速道路は役に立たない。すぐに渋滞してしまうからだ」と。まさに江戸と東京とを
俯瞰した目線で見つめた鋭い観察眼が、真実を見事に突いていると思うのである。

そして、もうひとつ注目すべき点は、この本に多数収録されている「切絵図」
自身の美しさであろう。その美しさには思わずハッとさせられる。「切絵図」に
描かれた江戸の市街は、現代の東京のように混み入っていたり、複雑に絡み
合うことがない。ただ存在するのが屋敷や寺社を示した白い部分、緑地などを
示した緑の部分、道を示した黄色い線。そして、今ではほとんど失われてしまった
水路や運河、掘り割りを示した青い線。この市街が織りなす、まるでハーモニーにも
似た絵画的美しさに、現代の市街が忘れてしまっているであろう「人の容器」と
してでだけでない市街の魅力を存分に感じることができようと、筆者は確信する
に至る。

この「切絵図」と「江戸名所図会」を手にし、合わせ見ることで、池波 正太郎
先生は、古き江戸の市街や人の姿を彷彿させ、その脳裏に浮かばせていたと
いう。その結実として先生が愛し続けた数々の名著『鬼平犯科帳』『剣客商売』
『仕掛人 藤枝 梅安』などの名作はを描かれていったのである。まさに
「切絵図」は数々の名作を生んだひとつのきっかけであるともいえるのでは
ないだろうか?

先生は1990年、急性白血病で永眠されている。先生の描いた江戸の市街を、
我々は読むことができなくなってしまって久しくなってしまった。
この本も完成し、出版されたのは1989年・・・最晩年の仕事に位置づけられる。
まさに池波 正太郎先生の「都市論」であり、先生の小説の「江戸市街論」でも
あった、この作品を筆者は大事にしながら、今後の勉強に役立てたいと思う。
その位の貴重な資料的価値も持つ、名著であるといえるだろう。

☆--------------------------第3回「SF サムライフィクション」へ。


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