"La Jollaからのボトルメール" 第二回
"Bottle-Mail from La Jolla" #2

(タイタニックをめぐる冒険)

平岩"Ted"徹夫6


 平岩です。

 いろいろ迷惑を掛けてすまん。

 ついでだが、Titanicについて文章を書いてみた。最近というかこっちに来てから日本語で報告書とか論文を書いていない。毎年参加している会合があるから数編は書いていたのだが、それが無くなったので文章を書きたくてしょうがなかった。手許になにも参考文献がないので細部にミスがあるかもしれない。まあそこらへんは勘弁してもらうと言うことで。


 1/18の夜、ハリウッドでゴールデングローブ賞の受賞式が行われた。作品と監督賞はきっちりいま絶好調のタイタニックの元に輝いた。


 ジェイムズキャメロンは、ゴールデングローブ作品賞をもらった時のコメントに(番組のエンディングとして流れ出した音楽を止めさせて)、"3年前深海で眠るタイタニックを見た時に、映画を作ろうと思った。1500人の亡くなった人たちのためにも"といったコメントをしていた。その30分くらい前最優秀監督賞をもらったときのコメントでは、3年前に"最初の数時間はなんにも起きないくせに、最後には登場人物ほとんど全員死んじゃう映画を誰が見たがる?"と思ったといって笑いを誘っていたが。


 見た人には解ってもらえると思うが、出港シーンや航行シーンの美しさと言うか本物らしさはすばらしいものであったと思う。本当に航行できる船を作ったとしか思えないくらいきれいな、本物らしい映像だった。撮影はSanDiego近くのメキシコの海岸線で行われたのだが陸の上にある9/10スケールのはりぼて(それも右舷だけのようだ)だったのだから、最近の映像技術の進歩はすざまじい。陸にあるまったく動かない船と1/10の模型の船を使って、ここまでいきいきとタイタニックを生き返らせたのであるから。

 最初のタイタニックを探索するシーンから泣けてしまった。たぶんほとんど作り物のシーンがあるが本物の映像と変わりなく、つまり昔ロバートバラードが深海に眠るタイタニックを発見し、調査した映像とまったく変わりなかったからだ。映画の中にあったように、海底で見つかった人形の顔はその時の探索で、まさにあの映像の通りに発見されている。バラードは、だれが人形を持っていたか?の考証もおこなっている。ちなみにこのときペアのブーツも発見されている(革製品は腐らないのでそのままの状態で残っていた)。これらは機関部の人のなごりであると考えられており、調査で明らかになったほとんど唯一の、人間が存在したことの証明であった(体は無くなってしまったが。80年の間に)。だから、エンジンルームおよびボイラ室が映像化されていたのには驚き、泣けてしょうがなかった。おおよそどんな船においても、機関部の人は船が沈む場合生き延びる可能性がほとんどないらしい("HMSユリシーズ"でもそう描かれていた)。そんな人たちの姿も映像化されていたから涙が止まらなかった。(いやー、音楽もね...バグパイプの音が入ると泣けてしまう。好きなんだねこの手の音が。こういう音とムーンライダーズとの絡みはまたコメントしたい)

 というわけで。"Titanic"は鎮魂歌であり、悲恋の映画ではないと映画を見た直後の感想であった(事実、サウンドトラックの最後の曲は"海への賛美歌"となっていた。悲恋の曲ではなかった)。もちろん悲恋と考えても納得行くように描かれているとは思う。キャメロンはそういう映画は得意ではないと考えていたから、正直いって今回の完成度は驚きである。アビスでは十分ではなかった。アビスのノベライゼーション、O.S.カードが書いた原作が、それはそれは登場人物たちのことていねいに描き、極限状態での登場人物達の考えと動きを理由付けていたのを読んでから映画を見たからかも知れないが(これは傑作だから(と思う)お勧めしたいが、なにせ角川文庫から出版されているので今は入手不能にちがいない。書籍を大事にしない出版社だからな....)。

 が、なんにせよタイタニック(とその最後)が主人公であることは、実際の監督のコメントからも明らかである。悲恋の映画としてもまあまあできていたこともあろうが、真直ぐに正確(最後の最後シーンはほんとうに正確かどうかは調べようもない。ボートに乗れなかった人たちで生き延びた人はほとんどいないからである)に事を映像化し悲劇をきちんと描いたから、大変なヒット作になったのではないかと考える。興行収入は36×106ドル/weekだった(1/19日現在)。マチネで3ドルから4.5ドルくらい、正規で7.5ドル位の入場料だから平均5ドルで入ったとすると7×106人が一週間に全米で見たことになる。平均すると毎日100万人以上の人が見たことになるから、ことは尋常ではない。かなりのヒット作なのである(日本ではどうか分からないが)。


 さて今回以下で述べるのは、大多数の人が驚きだったことであろう沈降途中の船体破断と、映画そのものについての感想である。


 前者は、前述のロバートバラードが調べた結果明らかになった事実である(海底を探索中にまず最初に発見されたのは丸い円筒形のボイラーだった)。生存者のメモでは船尾が持ち上がり180度向きを変えたとあった。が、なにせ暗い夜の事だし記録を残したひとはそれほどいなかったので、信頼されず(仮説として扱われたようだ)したがって船体が破断したなどということは海底の残骸が調査されるまでは考えられてはいなかった。深海調査艇で調べたところ海底には石炭が広範囲に散らばり、2つに別れてしまった船体が向きを変えてかつ距離をあけて沈んでいたことがわかった。沈降途中で船体が破断したとしか考えられない状態だったのである。これらの事実から得られた結果が、映画においてCGで示されていた沈没過程なのである。ということで、Raise the Titanicは大嘘になってしまった。余談だがヤマトの第1作も大嘘である。船体は第2副砲(後部副砲と後部艦橋との間)弾薬庫火災(急降下爆撃による直撃に因る。強いって豪語していたがこいつもたいしたことはなかったのだった)、および船体横転時にこの弾薬庫の砲弾などの 誘爆によって船体が破断したこと(横38mもある船体で最も太いところ!!がである)と、横転したためか艦橋が船体からブッ飛んでいってしまったからだ。艦橋などの構造物の製作はプラモデルと同様であとから据え付けるようになっている。したがってどーも比較的簡単にぶっとんでしまうらしい。フッドが撃沈された時は 砲塔が相当の高度(おお、砲塔が飛んでるっていえるほどだったらしい)までふっとんだらしい。大和も同様なので残念ながら"傾斜復元、船体おこせ"というシーンは再現不可能である。船体はあるが、艦橋はとおく離れた箇所で転がっているのだから。武蔵はどうか。こっちは艦橋に直撃を喰らい(よく当たったもんだ)第一艦橋はめちゃめちゃになったので、こっちも不可である(なんてこった)。

 話を元に戻すが、船の船体自身の強度はそれほど強いものではない。たとえば1937年だったか、大平洋三陸沖で第三艦隊事件と言うものが起きた。台風の中で演習していたところ、ある軍艦の艦橋から前部がもげてしまったのを初めとして、艦隊の各軍艦に被害がでた(甲板や船体にしわがよったとか...)という事件である。大平洋で戦うために作ったのに、台風で壊れてしまうのでは...ということで秘密になった(ここらへんは日本人的発想→大本営発表へとエスカレートする。現在の政府、各企業などの発表と同様)。結局、装備をたくさん載せて速力をあげるために船体を軽くして弱くしてしまったのが原因だった。この後転覆してしまう軍艦が現れたから、大変な騒ぎになったらしい。設計も問題だっただろう。アメリカの軍人と違って技術や技術者に対して日本の軍人は謙虚ではなかったから。しかしそれだけではなく、日本製の鋼材はアメリカ、イギリスなどの鋼と比較してかなり弱いことも原因だったんではないかと私は考えている。太平洋戦争中のアメリカの軍艦はなかなか沈まなかった(日本のと比較して)。舷側に窓がなかったことも原因のひとつだろう(これは住まいに対しての考え方の相違にも似ている。アメリカやイギリスの民家の窓は小さく、部屋の中は昼間でも暗い(これのほうが落ち付くらしい)。日本は窓は開放的で大きい。日光を重要視している)。が、鋼板強度もずいぶん日本は劣っていたのではないか。強度があれば日本の軍艦ももうすこし粘れたのではないか(これはあくまで推論→考証の必要あり。ただし日本が開発した強度の強いジュラルミン(アルミの合金)はアメリカを数年先を行っており零戦から採用された(アメリカはB29などから)が、アメリカやイギリスに現存するそのころの戦闘機は飛行可能なのに日本の古い戦闘機などは腐食などによって弱くなっており修理してもほとんど再度飛行はできない。これはやはり材料工学の遅れの一端を示すものではないか)。船体強度で考えると、最近でも日本海で船体破断沈没したロシア船があった。船体は波の間に置かれると、しなってしまう。航行することはこれをくり返し、荷重がかかることになるから、船体の構造はだんだん弱くなってくるわけだ。

 この繰り返し荷重というものと窓ってやつはけっこう問題になる。丸いからいいじゃないかといってもことは簡単ではない。たとえばイギリスのコメットという世界最初の与圧式キャビンをもった、ジェット旅客機があった。これが2度原因不明の墜落をおこした。詳細に調べたら四角形状であった客室の窓の四隅から、ひびが走り機体がばらばらになったことが判明した。機体が地上から(一気圧状態)高空に上がり低圧状態下で飛行する。このとき、新幹線でもトンネルに入る時に感じるように(みしみしいうでしょ。あれあれ)与圧室全体が縮んだり、伸びたりして繰り返し荷重がかかるのだ。これのくり返しがひびを走らせた直接原因である。最近でもハワイ付近で、飛行中に屋根が(!!)もげた737があったが、これも客室窓のラインから上部がもげていた。

 タイタニックの場合、できるだけ沈まないようにとそのころ最高の技術をもって防水隔壁を用意していた。が中途半端に防水隔壁があったおかげで、沈降する過程で船首側と、船尾側に極端な重量のアンバランスが生じた。およそ船の重量を排水量と同様(客船なので排水量トンは、重量トンとは一致しない。軍艦で使われるトンは重量のトンと単位は同じ)と考え、約3万トンとしよう(いま手許にデータがないので正確かどうか…)。その三分の一が浮き上がってしまったとしよう。船体断面を30×30mとする。板厚が10cmだとした場合、断面面積は12Fとなる。とすると約800トン/Fの引っぱり応力が働く。現在よくある鋼板の引張強度は60kg/cm2程度である。これでも600トン/Fだ。まして今から80年以上前なのでこれほど強度はないからもげてしまうのも当然である(実際にはモーメントを考えなければならないから上記の計算以上に本物は弱かったと考えてよい)。この計算はとても荒いものなので参考程度に考えていただきたいのだが、実際に破断した箇所は映画でもよくでてきた3〜4階分吹き抜けの円形階段があった箇所なのである。強度部材が少なくなっていたところであるので、船体外壁のみで強度を保ったと仮定しても妥当だと考える。あとからよく考えれば船尾が高く持ち上がったとの目撃証言から、船体が破断したと推測できたはずなのだが。

 さてタイタニックの設計者が、映画の中で"もっと強い船を作れば...."という台詞があったがやっぱりどこかには穴があるもの。隔壁は機能したが結果として沈没をさけることはできなかった。隔壁で仕切られたパートが満水になって、次のパートに流れ込んでしまったからだ。隔壁があってもあるだけではダメだということで、大和型の戦艦では左舷右舷への注排水装置を用意していた(戦艦vs戦艦の戦いでは片側を曝しながら主砲を撃ち合うはずだから)。しかし、前後への注排水ができなかったため、航空機の攻撃を受けた武蔵は船首から簡単に沈んでしまっている。アメリカの戦艦(アイオワクラスなど)には前後への注排水が可能になっていた。もっとも、タイタニックが沈んだあと、WW1のころイギリスの客船(またか...)ルシタニアがアイルランド沿岸でUboatに撃沈されたことがある。タイタニックと同程度の大きさであり二重船底+防水隔壁つきで"沈まない"(こいつもだ....簡単に沈むやつに限って....)と言われたはずなのだが、船首に一発の魚雷をくらっただけでたった18分で沈んでいる。途中どうも石炭が誘爆したらしい(そう、石炭は爆発する(爆轟というのが正しい)のである。粉が巻きあがって空気と混ざってしまうと生じうる。小麦や木材の粉でも同様)。そのため船体側壁や防水隔壁が船体の低いところで破壊されたのが致命傷であったらしい(タイタニックの調査の場合も同様なのだが、船体が破損したところを先頭にして沈むので穴があいた部分が海底で明確になることはまずない)。したがって、タイタニックが沈没するまでに2時間以上かかったことということは、タイタニックの隔壁はそれなりに機能していたことを意味する(でもルシタニアではタイタニックと同程度の人数は助かった。傾斜しつつ沈んだから左舷のボートはまるで使えなかったようなのだが。死者は300人程少なかった。ちなみに18分で航行中だったから、やっぱり機関室やボイラ室の人は助からなかっただろう....)。もっとお粗末な話は日本海軍最後の航空母艦、信濃の例である。早急に実戦配備したかったから(といっても重油はもうほとんどなかったし、護衛の船もなし。着艦フックをつけた紫電改(紫電改改?)もできていない。流星改はあったかもしれないが発着艦できるパイロットがほとんど底をついていたはず。どうするつもりだったんだろう...)、東京湾での航行テスト(このときたった一枚しか現存しない信濃自身の写真が撮られている。右舷真横から撮影したものだ。したがって左舷の形状はほとんどわかっていない)を行ったのちただちに佐世保に向けて出航した。しかし隔壁のテスト(実際に艦内に水を注水して傾斜させる)をしていなかったし、乗り組み員も大和、武蔵のように余裕をもって完熟訓練をしたわけではなかったので、潜水艦からの数発の魚雷をくらって簡単に沈んでしまった。ここまでくると笑い話だが。

 誘爆で話がそれるが、TWA800便の墜落原因は燃料タンクの爆発に因るものと結論されたらしい。これは日本ではほとんどニュースにならなかったようだが大変ショッキングな話である。燃料タンクの爆発は十分に考えられるけれども、十分な対策が練られているとだれもが(そう、ボーイング以外は)考えていたのだった。しかし、解析によると747は胴体中央部主翼との結合部にある燃料タンクが爆発、747の機首部分(機首の膨らんでるところね)が空中で分離する(こいつが最初の花火になった)。その後機首なしの機体はしばらく飛行し下降中に再度爆発炎上、空中分解した(こいつが大花火となった)とのことである。夜、墜落したのがニューヨーク沿岸だったこともあり、多数の目撃証言があったが、一度めの花火がミサイルの航跡のように見えたらしく撃墜されたのではないかとの疑いももたれていた。アメリカの公聴会において、公聴会座長Jim Hallこの人は National Transportation Safety Board (NTSB)の座長でもある人なのだが、

"What should I tell people when they ask me should I be flying the 747? If you gentlemen can tell me what you have been doing, I'd like to know."

と、繰り返しFAA(アメリカ連邦航空局、事実上世界の民間航空界を統括している)とボーイングの技術者達に対してなぜ危険をさけるような対策を講じていなかったのか詰め寄っていた。(この問題は自動車でも存在している。ダイハツアプローズ初期生産型が燃料吸入口から火を吹いた問題があったし、その昔ラルフネーダが指摘した様に自動車後部を激しくヒットされた場合、燃料タンクが爆発炎上することが多々ある→これは燃料が満載の場合よりも空に近い場合の時がより危険である)

 現在FAAから勧告も改善命令もでていないから、民間航空機すべてに同様の爆発の可能性があり改善されていないことを意味する(旅客機に乗る時は気をつけようね)。が、TWA800については疑問もある。なぜ主要な主翼近くの燃料タンクが満タンでなかったのかということだ。機体のバランスを考えると主翼根元にある燃料タンクをいっぱいにすれば重心に近いからトリムバランスはとりやすい。大平洋路線よりは短いとは言え、ニューヨークからパリの飛行だから多量の燃料は載せなければならないはずなのだ。だから主翼近くの燃料タンクはいっぱいになっているのが、当然ではないのか? しかし、ニューヨーク離陸後15分ほどで燃料タンク内の気体は可燃限界に達していた(ある程度蒸発した燃料と酸素の量がバランスしないと爆発、燃焼できないことが知られている。これば可燃限界と呼ばれている)。水素は特に限界が低いので(少量でも燃えやすいってこと)危険なのだ(破壊力という点では密度が高いLPガスなどの方が、強力になる場合が多い)。可燃状態に持っていくには、なにかの原因で加熱されて気体状態の燃料がなければならないのだ。急速に多量の燃料を加熱できるものは近くにないはずだから、燃料は少なくなくてはならないはずだ。離陸直後なのに空っぽに近い燃料タンクとはいかに? これについての解答は発見できていない。


 話はようやく映画に戻る。初めてロバートバラードの本を読んだ時、大変な沈没だったのだとその事実に衝撃を受けた。海底のあちこちに、ボイラー、石炭、船体やその一部であったものが散乱している。海底への衝突で船体は全体に潰れてしまってもいた。船のなかにただ水がはいって沈んだわけではなかった。多数の人が知恵をしぼって図面を引き、完成したばかりなのに多数の人を道連れに自らめちゃくちゃになって沈んでいったのだった。というわけで映画を見る上でタイタニックの最後をどう映像化するかどこまで映像化するかが、一番の注目点であった。結論を言えばとても納得のいくものであった。初期に脱出したボートには、定員の1/3以下しか乗っていなかった。2等以下の人はほとんど助かっていない。沈むにつれて後部は持ち上がりはじめ船体が途中から破断する。最終的には船体はほぼ垂直ちかくまで持ち上がる(船底はどうもこの時点では船体最強の強度部材であるキールがあるのでかろうじてくっついていたらしい。そのため船尾は完全に水没した部分に引っ張られてあそこまで持ち上がってしまったのだ)。ロバートバラードの本では全くふれられていないが、この状態ではたしかに人は滑り落ちるしものはくだけていく。まだ乗客の2/3以上は乗っていたのだから、惨状は今回の映像以上だったかも知れない。映画ではまったくでてこなかったが(予算の都合上だろう)左舷でも同様の状態だったはずだ。煙突の倒壊も実際に生じたことである。現在の船と違いこのころはただの板状の円筒でしかないから傾けば簡単に倒れる。ルシタニアも煙突は残っていない(この点もRaise the Tit anicはおおうそである)。船体内部にある装飾品も、家具も固定されていないから動き、倒れくだけていく。すごいいきおいで冷たい水が船室や廊下を流れていっただろう。氷山が大量に浮かんでいた海域だったから、例年以上にこの海域の水は冷たく、水に入れば数分で息絶えていく(氷の張ったプールで泳いだことがある。17℃の水温では20分は泳げたが0℃近くでは数分も耐えられなかった)。船が沈んだあとには残骸と死屍累々、海ゆかばの世界になったのだった。このとき波はきわめて穏やかだったと言われているから、まさに映像のとおりだったろう。ルシタニア沈没後の海面のスケッチが残されているが、まったくあの映像と同じであった。

 というわけで、いままで行われ調べられて来たタイタニック沈没についての、最後の2時間ほどの間に起きたことを調べた結果を再現したのがこの映画の映像なのである。あとは論理的な積み重ねで詳細を描いたに過ぎない。人々はどう動いたか、どう動くか? 船体内部ではどう水が入ってきたか? 実際に残っている設計図を元に刻々と変化する船の内部を再現したようだ。映画化前にCGで沈没過程を描いた本が出版されている(アメリカにおいて)。がその映像にはほとんど人陰はないし(CGで書くのはたいへんだもんな)、あきらかにCGであって現実に近い映像はそこにはなかった。したがって、Titanicの映像は現実の沈没の記録映画に限り無く近いものとしてみることができるのである。その事実が激しく凄まじいものであったから、たかだか14mileのところに(昼間なら見える距離だ)貨物船(だったけ?)カパラチアがいて、船員が寝てなければタイタニックの信号弾が見えて、沈没前に救助を開始できたはずの事実は描かれなかった。タイタニックが沈没時に通信で発した現在位置が、実際の位置とかなり違っていたことも描かれていない(それゆえタイタニックは長い間行方不明になっており、再度発見するには大変な努力が必要だったのである)。ただただ沈没したこと自体が描かれればよかったのだ。大部分の登場人物(海面に投げ出された人のことね)は沈没後せいぜい10分程度でこの世の人では無くなっていたからだし、それでこの映画は事実上終ったからである。

 タイタニックの悲劇は、1950年代にA night to rememberという映画で描かれたことがあった。人間的なミスが積み重なって悲劇が起きた点を重視して描かれたものである。タイタニックにまつわる大部分の書物は、タイタニックについての物理的な調査が行われる前は特に、この点を中心にして描かれている。最後の2時間についてほとんど解らなかったから、沈没前後のエピソードを中心にしてまとめるしかなかったのだろう。しかし、キャメロンのTitanicがある以上もうほとんど顧みられることはないだろう。結局は沈没して多数の人数が失われたこと自体が最大の悲劇的要素であり、それは氷山にぶつかったことによる浸水に対して打ち勝てなかった技術の敗北の結果なのだ。この映画は、タイタニックという船と、乗り合わせた人々についての、その、彼らの悲劇的な最後についての、最終調査報告書なのである。

Tetsuo "Ted" Hiraiwa


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