The Counterattack of Alpha-Ralpha Express

Rapid #2 "Melon soda and chiri dogs"

両谷承


 本当はなかったはずのもの、存在出来る筈のないものはいくつでもある。奇跡なんて云う言葉はいろんな人間に好き勝手に踏み荒らされて汚辱にまみれたおかげですっかり埃まみれになってしまったけれど、何かしらそう云うものを持たない表現に多分ぼくたちは惹かれたりしない。

 Blankey Jet City。今になってぼくは、このバンド名の潔さと美しさに強く打たれる。この名前のもとでしか、この3人は同じ時間を過ごすことなど出来なかったのではないか、と根拠の薄弱な思いを感じるほどに。  失われることがはっきりした時まで、ぼくはそこに奇跡を見ていたことに気付かなかった。そこにあること、そこにあるものを美しいと感じていることを、なにかしら所与のものと感じていた。たぶん、ぼくは何かを忘れてしまったのだ。だから驚きはしなかった。ある種の悲しみを感じるにも、随分な時間が掛かってしまった。

 バンドのマジック、と云うものについて以前ここにも書いたことがある。ひとつの表現に複数の人間が、それぞれの衝動を保ったままにかかわり合う。例えば同じ目的に向けられていたにしても、そこに生まれてくるものは誰かひとりの意図を反映したものではない。もちろんひとつの方向に収束しない表現は、表現として全うされていない。でも、そのことに必要なのはその中のひとりのイニシアティブでもなければ、音楽の外に位置するような何かしらの(邪な、とまでは云わないにしろ)意図でもない。  幾つもの意図と力が重なって、それぞれの個人がもっているものの単なる集積を超えるものを生み出す瞬間。それこそを、ぼくはロック・アンド・ロールに求め続けていた。  解散に当たって、バンドの誰かが「音楽性の相違」と云ったと聞く。ぼくはこの発言を(たとえ本当にメンバーの誰かの口から出たものであるにしても、あるいは冗談だとしても)信じない。  はじめから、このバンドにそんな安易な(とまでは云わないけれど、少なくとも傍目に分かりやすい)一致点なぞない。だからこそ彼らは、明らかに同時代の誰とも違う音楽を作り得たのではないか。

 錬金術、と云う言葉を使うのは、あまりにも陳腐すぎるけれども。ひとつひとつの意志と表現に対する渇望が、撓められないまま同じ方向に進む、そんな現象。

 あり得ないことだったのだ。これはありふれた奇跡だけれども、世間に氾濫する「仕事のできる」プロデューサーたちによって生み出された化学調味料まみれの音楽の類似品には決して訪れない種類のものであることははっきりしている。そう、本当は、とうの昔に失われていても何も不思議はないはずのもの。

 解散の噂なんか、慣れっこになるほど昔から流れていた。その度にぼくは、なるほどな、と思っていた。バンドの中でも互いに馴れ合いを許さないようなエッジの立った雰囲気。それでも辛うじて彼らをひとつのバンドにとどめていたもの。

 誰もが「これが最後になるんじゃないか」と云う気分の中で暴走していた、代々木公園のフリーコンサート(ぼくは柵を破壊してしまったような若い連中から距離を置くことにして、うだるような暑さの中で後ろの方に陣取って自分のクラブの看板を背負ってビールを呑んでいたけれど)。その直後に発表された「SKUNK」。

「ある日プラチナブロンドがウッドベースにこう聴いた/いったいオレ達いつまでこんなこと続けるのか?と/二段ベッドの上で彼は肩をすくめてる/だけど最後に一言 彼はこうささやいた/この細く美しいワイヤーが切れるまでと/この美しいワイヤーが切れるまでと・・・・・・」(Dynamite Pussy Cats/SKUNK)

 今になれば分かることだけれど、彼らはそんなもので結び付けられていたんじゃなかった。そのせいで「こんなこと」を「続けて」いたんじゃなかった。安易な結びつきを簡単に飛び越えてしまうような、生理的な嫌悪感をもよおすほどにほどに力強いもの。土屋昌巳のプロデュースを離れて初めて生み出されたアルバム、「Love Flash Fever」。

「あの細く美しいワイヤーは/初めから無かったよ/きっと神様のイタズラ」(ガソリンの揺れかた/Love Flash Fever)

 オーケイ。失われてしまったってことは、それが今までここにあったってことさ。そのことを喜ぶことにしようぜ。なにしろ、初めからそれが「無かった」としても、なんの不思議もないんだからさ。なにしろおれたちはそれが本当にあったことを知ってるんだ。

「いつか今のことが懐かしく感じるのかもしれないね/僕の大好きなレコードに ゆっくりと針がおりてゆく」(15才/SKUNK)

 まあどうせ、Blankey市長が引退しただけの話さ。やつは時折は結構上手くやったりもしてみせたけれど、とんまなことだっていっぱいやったさ。おれたちはまあ、支持して来た方だとは思うんだけれど、やつとしちゃできることはみんなやったつもりになっているらしいしさ。  だからって、おれたちがJet Cityを出ていかなけりゃいけない、なんて決まりがある訳でもないじゃない? この街に何があるのか、かつて何があったのかなんてことは別に忘れなくてもいいんだからさ。


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