大学改革について




現在の大学制度は根本的な改革を必要としているのではないだろうか。

過熱した受験戦争。
入ってしまえば遊んでいても卒業できるなまぬるい卒業認定。
出た大学の名前がものをいう就職制度。

どれもこれも間違っている。

もともと、大学は学問・研究の場だったはずだ。何を知りたいのか、何を身に付けたいのか、何を研究したいのか、明確な目的意識のない者はそもそも行くべきではないのだ。

また、大学のカリキュラムも自由がなさすぎる。どう考えても必要とは思えない教科でも卒業に必要だからというだけでいやいや履修しなくてはならない。本当に聴きたい講座だけを選んで学べる場を提供するいうのが本来あるべき姿ではないだろうか。

そこで私は大胆な提案をしたい。

大学から「卒業」という制度をなくしてしまうのだ。

○○大学卒業という肩書きはこれで崩壊する。
大学は研究・講義・実験の場所と機材を提供し、金の流れを管理する機関になる。
教授は「自分はこういう内容の講義をします。それにはかくかくしかじかの予備知識が必要です。場所は○○大学、時間は○曜日の何時から何時まで。受講費用は○○円」という講座案内をネットワーク上に掲示する。
生徒は掲示された講座案内を見てどの講義を受講するか決め、教授にメールで申し込む。
教授は生徒として認めるか否か、自分独自の方法で決めて良い。「来る者は拒まず」という姿勢で何人でも受け入れるのも良し。実習が必要だとか、レポートを見る時間が惜しいとかで30人が限界だという講座なら、テストをしてふるいに掛けるもよし、抽選で決めるもよし、自薦書を出させて選んでも良い。

講義は大学の教室で行っても良いし、ネット上で放送大学のようなスタイルで行っても良い。

単位の取得はレポートの提出や試験・口頭試問などをしてその教授が認定する。

就職試験では自分が取得した単位の一覧を提出させ、事務処理能力などの簡単な適性試験と「あなたはうちの会社で何ができますか?」という質問だけすればすむ。各々が身に付けた知識や技能だけが就職活動でものをいうことになるのだ。

ただし、医学部だけは例外と考えてもいい。医者など特段の知識や技能が要求される職種では必要な履修内容を洗練して、実技も含めた徹底的な資格審査試験を行う必要があるが、必要な技術を伝えるには徒弟制度のような現在のあり方のほうが適切と思えるからだ。


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