鳥羽城



所在地     鳥羽市鳥羽3丁目
築城年代    文禄3年(1594年)
築城者     九鬼義隆
主要城主    九鬼氏,稲垣氏等
城郭様式    平山城(海城)

鳥羽の地は保元の頃から橘氏の所領であった。
永禄十一年(1568)九鬼義隆は橘宗忠と対戦してこれをくだし、宗忠の娘
を妻として所領を継いだ。義隆は鳥羽に城を築き、以後、織田信長・豊臣秀吉の
水軍の将として活躍した。義隆の嫡子守隆は、関ケ原の戦いで徳川方につき、五
万五千石の大名となった。
守隆の死後、寛永十年(1633)家督争いが起こり、久隆は摂津国、隆秀は
丹波国に移された。
九鬼氏にかわって、寛永十年に内藤忠重が城主となり、鳥羽城を修築して本丸
の周囲を石垣で堅め、三層の天守や大書院を建てて近世城郭とした。内藤氏のあ
とは土井利益・松平乗邑・板倉重治・松平光滋とかわり、享保十年(1725)
に稲垣照賢が三万石で城主となり以後八代つづいて明治維新を迎えた。
鳥羽城は水軍の本拠地として、海に面して築かれ、東北中央に大手門が海に面
し、外堀に海水を流入させていた。また、船の出入りのため4ケ所に水門も設け
られており、陸側には藤江口門・不動門等があった。現在は小学校運動場となっ
た本丸の周囲に石垣がみられる。