田峯城



所在地    北設楽郡設楽町田峯鑑冶沢
築城年代  文明3年(1471)
築城者   菅沼定成
主要城主  菅沼氏
城郭様式  山城

菅沼氏は南設楽郡作手村菅沼に起こった豪族で、菅沼定成の時に田峯に城郭
を構えた。以後、田峯菅沼氏は定信・定忠・定広と今川氏に属したが、定継の
ときに松平清康と織田氏に気脈を通じた。
桶狭間合戦後の永禄四年(1561)定継の干定忠は徳川家康の摩下に入っ
た。しかし、元亀二年(1571)甲斐の武田信玄の勢力が三河に伸ぴてくる
と武田方に属した。
長篠の合戦が起こり武田氏の勢力が三河から駆逐されると奥平信昌の所領と
なったが、天正十八年(1590)に信昌が関東に移ると廃城となった。
城跡は標高五百メートルの田峯台地にあり、東西二百五十メートル、南北百
五十メートルの規模で、背後に寒狭川の絶壁がめぐっている。