西尾城


西尾城本丸跡


別名 鶴城
所在地    西尾市錦城町
築城年代   承久3年(1221)
築城者    足利義氏
主要城主   足利氏、吉良氏、牧野氏、酒井氏、本多氏等
城郭様式   平山城

承久3年に三河守護足利義氏が築城した。その後、義氏は長男長氏に吉良西条城
(西尾城)を3男義継に吉良東条を支配させ、自らは次男泰氏とともに下野国足利
に帰った。以後、長氏の子孫は吉良氏と称し、14代三百余年西尾を支配し、戦国
時代を迎えた。永禄4年(1561)徳川方の酒井正親が今川方の吉良義諦を降し
西条城に入城し、西尾城と改めた。
天正十八年(1590)、徳川家康の江戸入封とともに西尾城主酒井重忠も武蔵
国川越に移り、かわって田中吉政が岡崎城と兼領して入城した。田中吉政時代に本
城の拡張を行い、三層の天守を二の丸に移築、三の丸の増築を行った。
城郭は田中氏から井伊直好の時代(1655)にかけて完成し、西南の隅に本丸、
北に二の丸を置いて、東南の姫丸から喰違門を経て北の丸と結んでいた。
明和元年(1764)に大給松平乗祐が6万石で入封し明治まで続き、三河では
古田藩に次ぐ雄藩であった。
また、西尾城は総構という武家屋敷から町屋までの城下町の外周を外濠で囲む設
計であった。
現在、本丸跡には御剣八幡宮および西尾神社があり、野面積みの石垣と濠の一部
が残っており、近くに「西尾資科館」が建っている。

西尾城天守閣模型