アジア旅行記

【中国-三峡下り編】 '96/08/10〜21            作成日:'96/09/22


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【予定外で宜昌に到着】 '96/08/13〜14
◆さあ神農渓(巴東)だ! えっ? 違う?? 宜昌???   '96/08/13
 巫山を出発し、さあ次の巴東で下船だ。ガイドにいつごろ着くかを聞くと宜昌到着
の2時間前くらい、だから3時ごろかなと言う。早い目に切符を持ってくるとのこと。
船に乗ってから、切符と引き換えにベットの札をもらいます。下船の際にはこの札と
切符を再交換します。今回はツアーなので全部ガイドがやってくれることになってい
ます。つまり、自分では切符を持っていないわけです。
 のんびりしていると「巴東出降りる人は準備をして下さい」てなアナウンスがある。
まだ大分早いのになんて思いながらも一応パッキングをする。小三峡でデイパックを
濡らしてしまったので、ギリギリまで荷物を広げていた。部屋でボーッとしていたが
到着する感じはない。前方のデッキにいると小さな子供が「巴東についた」なんて言っ
ている。「着いたか」と思っていたが、その街は通り過ぎていく。「あれっ?」と思っ
ていたら、ガイドが着た。
 ガイドいわく「あなたの持っているチケットは宜昌までのもので、途中の巴東で降
りるのはもったいないから宜昌まで行ったらどうか?」「神農渓に行きたいので宜昌
まで行くと戻るのが面倒だから降りますよ」と言うと「実は巴東には止まらなかった」
と言う。「なに???」どういうことだ!昨日からずっと確認していたのにどういう
ことだ。分かっていたら巫山で降りたのに。怒り心頭だが怒ってみても船は戻らない。
「じゃあ、次の穆歸で降りるのはどうか?」とガイドがそう言うので、「そうする」
と告げる。しばらくして戻ってきて「この船は穆歸には止まらない」と言う。結局、
宜昌まで行くしかない。「宜昌から巴東までは陸路で2時間くらいだからそんなに時
間は無駄にならない」などとガイドが言い訳をしていた。(ちなみに大うそです。)
 相部屋の他のツアーのガイドと話をしていたら、別のもう一人のガイドが「どこの
ガイド?」と聞き、相部屋のガイドが「東方之旅だよ」と言うと、「ああ、あそこか」
巫山から宜昌へとありそうな話だ、てな顔をする。どう
も三流のツアーに参加していたみたい。
これより前にも、「外国人は別料金なの
で、あと200元払って欲しい」と言わ
れた。絶対そんなことはない。旅行社で
「内賓」(中国人)は660元だが、お
まえは「外賓」(外国人)なので880
元と言われ、その額を支払っている。散々
抗議をして、あきらめさせていた。重慶
でタクシーの運ちゃんに連れていかれた
ままと、手を抜いたのがいけなかったの
か?
 何にしても「クソッタレ」である。


◆話し好きな大学教授
 ブチブチ言っていても事態は変わらない。せっかく三峡を下っているのだからと気
持ちを切り替え、デッキで風景を楽しむことにする。三峡ダムの近くまで来たころ、
おばさんが写真を撮ってくれないかとカメラを渡される。撮ってあげると、おばさん
も暇なのか話し掛けてきた。大学の教授だそうで、研修会が近くであり、ちょうど夏
休みなので巫山に1泊して来たらしい。「北の方から来たんでしょう?」なんて言わ
れたので「いやいや日本人何ですよ」というと、「おや、日本人なまりがないね」と
“お褒めのお言葉”。そう、私は中国語が得意なのです。えっへん!(どうでもいい
ね、そんなこと。)
 でも、その後、話をしていてちょっと発音を間違えると「違う」といってレッスン
をやらされた。国語の先生とのことで厳しい。まあ、いいか。でも自分でも「言い間
違えた」なんて思っているところを突っ込まれると、やっぱり「旅行に楽しみに来て
いるのだから、勘弁してよ」てな気分になる。
三峡ダム工事


◆葛州[土貝]を通って夜の宜昌へ
 長江唯一のダム「葛州[土貝]」に到着。このダムをなかなか通過できない。船を5〜6
隻まとめて降ろしていくのだが、私の乗った船は“幸いな”ことに1隻目。他の船が
来るまでしばらく待つしかない。
葛州ダム1 葛州ダム2 葛州ダム3 葛州ダム4

葛州ダム5 葛州ダム6 葛州ダム7
 “幸い”と言うのは半分は皮肉だが、半分は本当である。一番先頭でダムを越えて
いくのでどうやってダムを通り抜けるのかが良く分かる。ダムの通り抜ける部分は2
重構造になっていて、上流から下流に行く際には、最初、下流側の水門が閉じている。
船が入ると上流側の水門を閉め、続いて、その部分の水を抜いていく。下流側と同じ
高さになると、下流側の水門を開くのである。ダムの上にはそれを見物している人達
がいる。確かに珍しい“見せ物”である。
 ダムを通過したころにはだいぶ暗くなり、宜昌に着いたときにはもう夜になってい
た。さて、どこに泊まろうかな?なんて思っていたとき、ちょうど別のツアーの“頼
れる”ガイドさんがいたので、「どこか知らない?」と聞くと、しばらく考えて「東
xin大酒店」を教えてくれた。
 船から降りたことろで、例の北京から来た親子にあう。「じゃあ気をつけて」なん
て言いながら別れる。まずは船の切符売り場に行き、神農架行きのツアーがあるかを
聞いてみる。ここではないとのこと。まあ、明日手に入れればいいや。と、そこへ小
三峡で一緒に別のボートに乗るはめになった重慶の警察官に出会う。ボートで話をし
ていたときは陸路で帰ると言っていたが、船で帰ることにしたらしい。と、言うのは
白帝城へのチケットを船の上で売っていたのに気付かず、悔しい思いをしたので、帰
りも船にして今度は行ってくるとのこと。
 彼と別れ、タクシーでホテルへ。200元弱のホテルと聞いていたのでボロいかと
思ったが、結構きれい。もっと高いのでは、と心配したが、180元であった。部屋
もきれい。船で2泊したのでホテルはくつろげてよい。


◆神農架に向けてチケットを手配   '96/08/14
 今日は久々にゆっくり寝れた。でも、体が早起きモードになっているので、7時半
に起きる。日本へ帰る飛行機のリコンファームの電話をかけ、出かける。まずはレセ
プションで神農架へのツアーがないか聞く。ツアーはなく、1人の場合1600元に
なってしまうとのこと。こりゃ問題外。
 手持ちの人民元が無くなってきたので銀行へ行く。道を聞きながら行ったのだが、
普通の人は外貨両替などしないので、あっちだ、こっちだと、結局たらい回し。だい
ぶ歩いて中国銀行を2件ハシゴしてようやく両替する。今日は朝食を取っていなかっ
たのでお腹が空いてきた。ちょうど銀行の近くにパン屋さんがあったのでパンを買う。
初めて中国に来た87年のころは固いカステラみたいなものしか売っていなかったが、
まともなパンだった。大きな進歩(?)だなんて思いパンをほうばりながらホテルへ
向かって歩く。
 途中、来るときには気付かなかった博物館を見つけ、見学していく。(5元)雨な
ど降っていないのに中では何個所か雨漏りしていた。どうなってるの?博物館を過ぎ
てずっと歩いていき、そこでようやく「変だ」と気付いた。そう、道を間違えたのだ。
来るとき博物館に気付かなかったのではなく、なかったのだ。ぐるっと回ってホテル
へ戻る。
 ホテルの1Fにある旅行社で神農架へのツアーがないかをきく。やはり、ないとの
返事。でも、まず興山に行き、そこで探せばあるはずと教えてくれた。すぐ近くにあ
るバスターミナルに明日のバスのチケットを買いに行く。なんと、興山まで5時間か
かる。昼間は暑いだろうからと始発の6時20分のチケットを手に入れる。


◆三游洞と黄陵廟へ
三游洞 昼御飯を食べて、バス
で三游洞へ向かう。よう
やく観光を始める。向こ
うからバスが来るが途中
で拾っていいものかどう
かと思っているうちに通
り過ぎてしまった。後で
分かったがやっぱりバス
停以外で手を上げて拾っ
てもいいようだ。
 3〜40分バスにゆら
れて三游洞へ到着。早い
話が公園。それほど面白
渡し舟くなかった。さてここから黄陵廟へ行く
バスはあるかな?と思い、バス停近くの
飲み物屋さんで尋ねる。三峡行きのに乗
れば行けるよ、とのこと。手を上げてバ
スを捕まえ出発。このときすでに4時前。
遠くても1時間かな、なんて思っていた
が、走れど走れど到着しない。地図によ
ると長江の南側なのだが、今いるのは北
側。昨日船から見ていたが三峡ダムの近
くまで橋などない。まさかね。でも、そ
のまさかだった。ほとんど三峡ダムの近
くまで来てしまった。でも、橋を渡るの
ではなく、渡し舟で川を渡った。
 川を渡ってすぐのところが黄陵廟。も
黄陵廟う6時。なんと2時間もかかった。なん
でもいいけど、これで今日は休みとか、
参観時間終りなんて事だと悲惨。大丈夫。
開いていた。壁に料金が書いてあり、中
国人は10元、外国人は倍。知らんぷり
して10元を出す。おじさんが案内して
くれる。建物の中の柱に以前の洪水の後
が残っている。三峡ダムはこの洪水の時
の水位を参考にして設計したとのこと。
ところで実は参観時間を過ぎており、も
う鍵を懸けたところもあったが、宜昌に
泊まってるし明日出発なのでもう来れな
いと言うと開けて案内してくれた。
 どこからきたの?と聞かれ、追加料金
を請求されるのは嫌なのでなんて答えようかなと少し考えたが、うそは良くないので
正直に日本人と答える。でも追加料金は取られなかった。私が帰るとすぐに門が閉まっ
た。残業させてしまってごめんなさい。
 黄陵廟のすぐ前に船着き場がある。バスにゆられて帰るのはしんどいので船がある
かな?と思って聞くと、次は21時だという。選択の余地はない。バスにする。
 晩飯時なので先に食べたかったが残念ながら近くに店がない。渡し舟の所へ戻ると、
ちょうど向こう岸に行く舟が泊まっておりバスがいたので、それに乗せてもらう。待
ち時間ほとんど無し。でもお腹空いた。
宜昌の露店 また2時間ゆられて宜昌へ
戻る。下り坂が続くところで
はエンジンを止め走っていた。
そのためブレーキを良く使う
ので、一度止まってブレーキ
に水をかけ冷やしていた。事
故っちゃやだよ。ホテルの近
くの火車站に着いたときはも
う8時50分。露店が出てい
たのでそこで材料を選んで晩
御飯にする。魚と野菜炒め。
魚は塩をふりすぎて辛い。で
も美味しかった。
 今日はのんびりしようと思っ
ていたのに思い掛けなく4時間以上バスにゆられて、疲れてしまった。すぐに寝よう
かとも思ったが、洗濯をしておかないと後で困るのでガンパル。明日6時20分のバ
スに乗るというのに、もう12時。早く寝よう。



◆宿情報(宜昌)
・東xin大酒店:xinは“金”の下に2つの“金”を書く
 火車站の東側、市汽車客運站の西側。1泊180元。夜の8時ごろ予約もせずに行っ
たが部屋を取れた。悪くない。

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