アジア旅行記

【中国-三峡下り編】 '96/08/10〜21            作成日:'96/10/27


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【神農架、神農渓をめざして】 '96/08/16〜17
◆神農架へ向け出発  '96/08/16
パンク 8:00に迎えにくるとのことだったが、
7:30ごろ運ちゃんがくる。急いでパッキ
ング。まず、チェックアウト。ガイドさ
んが朝御飯を食べに行こうというのでホ
テルの食堂かと思いきや、街角の食堂へ
食べに出た。包子と麺。麺は韓国の冷め
んを温かくしたような感じ。って分から
ないですね。麺が糸コンニャクみたいな
感じ。これも辛く、朝から汗ダラダラに
なってしまう。あまりに辛くてギブアップ。
 車(サンタナ)に乗ってさあ出発。と
思うと橋を渡ったところで母子を乗せる。
なんじゃらほい?と思っていると、運ちゃ
んの家族。折角なので一緒に行くんだそ
うだ。客の意向を聞かずに話が決まっているのはさすが。“これはディスカウント対
象だぞ”とも思ったが、まあ、細かいことは気にしないことにしよう。
 運ちゃんの子供(女の子)がビスケットをくれる。7才だそうだ。好きな教科は何
?と聞くと算数だって。ガイドさんも学生のころ数学が得意だったと言っていた。日
本の子供で算数と言う答えはあんまり無いんじゃないかな?
 手持ちの人民元が少なくなっていたので途中、中国銀行に立寄り換金を試みるが田
舎の支店では無理だった。女の子が寒そうにしている。まだ標高300mとのことだが、
かなり涼しい。車の窓を閉めてあげたいが、そうするとスモークが貼ってあるので外
が見えない。勝手に便乗しているのだから我慢してもらおう!
 まずは今日行くうち一番高い高いところを目指す。入口で入山料を払う際に、外国
人だと分かると高くなるから降りては行けないと注意される。結果は、なんと運転手、
ガイドの分も払う必要があるので+90元だとのこと。参った。
 入口を越えてしばらく行くとその先は舗装していない。なんと前輪がパンクしてし
まった。タイヤを交換している間、辺りをうろついてみる。この辺りは原生林だとの
こと。すでに2000mまできているらしい。心なしか太陽がきつく感じる。


◆みんな大丈夫?
神農頂 目的地に到着。2900mの地点だそうだ。
ガイドさんがしきりに「高山病になって
しんどくなったらすぐに言ってね」と気
づかってくれる。でも何ともない。2800
mといっても、周りも同じように高いの
で“高い”と言う感じがない。これは少
し残念。奇岩のある辺りを歩く。奥まで
は行かない。以前ツアー客を連れてきた
とき、ある人が迷子になり、4時間探し
回ったらしい。行って見たい気もするが、
この後の予定もあるのであきらめる。
 戻る途中で瞭望台、風景ya(土へんに
亜)に立寄る。車を降りて瞭望台に歩い
て登る時、ガイドさんと女の子が“疲れ
た〜”てな顔をしていた。ガイドさんは
風邪気味だそうで、女の子は車酔い。逆
にこっちが気を使ってあげないと。瞭望
台から最高峰の神農頂(3105.4m)を望むことができる。
 風景yaからの風景はなかなかのもの。切り立った岩肌が続き、下からは霧が斜面を
這い上がってくる。雲がなければ向こうに巴東が見えるので以前は巴東yaと呼ばれて
いたらしい。
 その後は“野人”の資料館と小動物園へ。神農架で野人を見かけた人の証言などを
集めた資料館。野人とは、さしずめ雪男といったところか。最初は原始時代の原人の
ことかと思いきや、ごく最近の話。はっきり言ってまゆつば物。旅行中出会った中国
人旅行者も“そんなのいないよ”と言っていた。ガイドさんは結構まじめに説明して
くれたけど。小動物園には金糸猴もいた。最後の檻に子熊がいたが、首輪に短い鎖を
つながれていて可哀想だった。
 なんだか良く分からないけど、大木のある所に立寄り、これで神農架とはお別れ。


◆巴東へ。平陽[土貝]で大歓迎
平陽への道 興山まであと8kmの地点で巴東に向か
う道と二股に別れる。女の子がしんどそ
うだったので、一旦興山に行ってもいい
よ、というが、母子はここで車を降りた。
休憩してから三輪バイクか何かで戻るの
だろう。その方が楽かもね。女の子は車
酔いでもうヘロヘロ。朝の8時から夕方
3時頃までほとんど車に乗ってるのだか
ら、そりゃ、しんどいわ。
 運ちゃん、ガイドさんと共に巴東を目
指す。二股に別れてから道が未舗装にな
る。バスも通っているはずなので、その
うち舗装道路になるだろうと思ったのは
甘かった。なんとずっと未舗装のままだっ
た。車は土ぼこりを上げ右へ左へカーブしながら山を越えていく。そんな道を2時間
以上ゆられ続ける。さすがにみんな無口になる。
 巴東は長江沿いの街なので、河はいつになったら見えてくるのかな?なんて思って
いた。小さな村に入ってガイドさんが“そこを右、それからここを左”と運ちゃんに
ナビを始める。河はまだ見えないのに車は止まる。到着らしい。平陽[土貝]という小さな
村。今日はここの招待所が宿。ガイドさん(と言っても肩書は興山の旅行社の部長!)
が副村長兼招待所の所長とよく来たねなんて挨拶を交わしている。宿泊費(夕食、朝
食込み)+神農渓の川下りで280元をガイドさんに支払う。所長が部屋に案内して
くれる。そして「この娘がお世話をさせて頂きますので、何なりとお申し付け下さい」
とのこと。恐縮してしまう。
招待所での夕食 ガイドさんと運ちゃんはこれからまた
2時間の道のりを帰らないといけないの
ですぐに帰りたかったみたいだが、所長
に折角だからと一緒に晩御飯を食べるこ
とになる。6時ごろに招待所の所長、副
所長、興山の旅行社の部長(ガイドさん)
と言った錚々たるメンバーで晩餐。結構
な料理が並ぶ。いやはやVIP待遇
(?)。所長が私にビールを注いで曰く
「我々土家族(少数民族)では客人をも
てなす意味で、まず酒を勧めるが、客人
はそれを飲み干すのが習わしだ。」いや
はや、まいった。下戸の私にはつらいが、
この状況では逃げられない。立ち上がっ
平陽の招待所前でて「大変な歓迎を受け光栄に存じます。
みなさんの健康を祈念して、乾杯」なん
てことを言いながら、所長と2人でコッ
プになみなみと注がれたビールを一気に
飲み干す。空きっ腹でこれをやるので、
一気に酔いが回り、ほんの2〜3分もす
ると中国語で喋ろうとしても言葉が出な
くなってくる。幸いなことにビール攻撃
はこの1回だったのでよかった。
 夕食後、表に出てみんなで記念写真を
撮る。ガイドさんと運ちゃんは興山へと
車を出発させる。気をつけてね!
 “晩餐会”で同席だった女の人が村を
案内してくれる。ぐるっと回るのに10
分程度だったと思う。招待所に戻ると、
みんなが外で夕涼みをしている。私もそこで夕涼みをする。みんなと話をしていると、
なんと、相手はこの村の村長!これもすごい。日本人は沢山来ますか?と聞くと、今
年も2〜3回来たとのこと。もしかして私が初めて?なんて事も考えていたが、いや
〜日本人ってどこへでも行ってるのね。
 部屋の明かりはとても暗い。なんと、トイレの明かりが一番明るい。クーラーはう
るさいくせに全然涼しくない。招待所の人に言ってクーラーを止めてもらう。招待所
の人は「電圧が上がってくれば静かになる」と言うが、上がらなかったらたまらない。
やっぱり止めてもらう。ベットの毛布がフカフカで暑くて寝苦しい。


◆あんた誰?  '96/08/17
 はて、今日は何時に出発何だろう?外も明るくなって来た。6時半に起きだし荷物
を整理し始める。誰かがノックをする。昨日の“お側付”の女の子が朝御飯を呼びに
でも来たのかな?なんて思いながら部屋のドアを開けると、ヒゲモジャのおじさんが
立っている。「中へ入っていいか?」と聞いてくる。一体誰何だ?非常に怪しい感じ
がしたが、こんな場所で何かあるとも考えにくかったので部屋に入れてやる。
 すると名刺を差し出し、「昨晩10時前に戻ってきたのだが、すでに部屋に戻って
休んでおられたので挨拶に来るのを遠慮させてもらいました。」なんてことを言いだ
す。なんと、ここの招待所の部長だった。しかし、わざわざ挨拶に来るなんてのは想
像もしていなかったので驚き。
 カメラを持って外へ出てみる。昨日村を案内してくれた曽小姐に会うと「朝は忙し
いので申し訳ないけど案内できない」と言う。そんなの期待していなかったので、こ
れも驚いてしまう。
 朝食のチケットを買い食堂へ。そしたら、「雅座(特別室)に座って待ってて」と
言われ、待っていると朝食を持ってきてくれた。マントウ1つ、包子2つ、お粥にザー
サイだ。他の人のを見ると包子は1つだ。う〜ん、何でもかんでも特別扱い(?)。
土家族の伝統舞踊うれしいような、ちょっと肩が凝るような。
 パッキングを済ませたころ、外がにぎ
やかになってきた。招待所の前で土家族
の伝統舞踊が始まった。出演は招待所の
若い従業員みんな。なるほど、忙しいと
いうのは、これもあるんだな。踊りが終
わると突然バスがクラクションを鳴らす。
見ていた客がみんな一目散にバスに乗り
込む。何事?と思いながら、今日の川下
りのガイドを見つけ、私も同じようにバ
スに乗るのかを聞く。急いで荷物を取っ
てきてバスに乗り込む。せかされて招待
所を後にする。



◆神農渓の漂流
 未舗装の道路を進んでいく。小三峡の時のように下流で船に乗り、船で上流に行き
折り返してくるのかと思っていたら、どんどん山の中へ入っていく。下の方にバスが
何台か止まっているところがある。乗り込んだバスもそこへ向かう。そこでバスを降
り、さらに川原まで長い急な階段を降りる。カゴ屋さんもいたが歩いて降りる。
神農渓漂流 船にエンジンは付いておらず、まさに
流れにまかせた漂流である。でも、のん
びりした感じでとてもよい。ガイドさん
が両側にそびえ立つ岩場などの説明をし
てくれる。上の方を見たいが、小舟には
布でできた日よけの屋根がある。みんな
が、これじゃ景色が見えないから外して
くれとせがむ。隣のおばさんもそうだそ
うだと一緒にせがんでいる。ガイドさん
は“暑いよ”と念をおし、日よけを取る。
見晴らしはとても良くなったが確かにあ
つい。すると隣のおばさんがいきなり傘
を取りだし狭い小舟の上でさすではない
か。え〜い、どこまでわがままなんだ!
さすがにガイドさんが“傘はささないで
下さい”とすかさず注意してくれる。
 ガイドさんがこの地方の民謡を歌った
り、風習などをいろいろと紹介してくれ
る。“土家族の人はとてももてなし好き
で、客人は酒を勧められたら必ず飲まな
くてはいけない”なんて話を聞き、昨日
招待所についたときのもてなしを思いだ
して苦笑した。話のうまいガイドさんで、
みんなの笑いを誘っていたが、さすがに
聞き取れないところが多く、みんなと同
じように笑うことはできなかったが、そ
の雰囲気で十分楽しめた。長江のすぐ近
くまで下ったところで川下りは終り。もっ
と大きな船に乗り換え巴東に向かう。



◆旅行社情報(平陽[土貝])
・巴東県神舟旅行社
 興山の旅行社のガイドさんに連れてきてもらいました。平陽[土貝]と言う小さな村の旅
行社です。ここで神農渓の漂流の手配をし、併設の招待所に1泊しました。どうも神
農渓のツアーの実質的な起点になっている(巴東や宜昌からのツアーも一旦立寄る)
ようです。漂流のツアー(ガイド付)と宿泊(夕食、朝食込み)で280元でした。
込み込みで払ってしまったので、それぞれがいくらなのかはわかりません。
 旅行社の所長に、沢山の日本人にも来て欲しいから宣伝してくれ、と言付かってい
ます。訪れた時には歓迎してくれるでしょう。交通が不便なのと、村自体にはこれと
言った観光資源がないのが難点ですが。

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