アジア旅行記

【中国-三峡下り編】 '96/08/10〜21            作成日:'96/10/27


アジア旅行記の索引ページに戻る
三峡下りの索引へ戻る

【関羽の居城・荊州】 '96/08/18
◆沙市へ着いたはいいが。
第三碼頭 朝3時半に時計を鳴らし起きる。部屋
の中は真っ暗。良く見えない中、船を降
りる準備をする。降りたら碼頭の待合室
で明るくなるまで休んでいよう。
 定刻の4時に到着。こんな時間なのに
三輪タクシーが沢山いる。さて、待合室
はどこかな?と辺りをうろつくが、なっ、
なんと見つからない!どうするんだ!ぐ
るっと一回りするが何の収穫もない。玄
関が明るい建物の前の階段のところでデ
イパックを抱いて寝る。待合室の長いす
に寝るくらいは予想していたが、野宿状
態とは。
 身の危険はないか、荷物が取られない
か、なんて考えると寝れない。でも、体を休めないと後がつらい。コンクリートの上
なのでお尻が痛くなってきた。横になってしまえば楽だろうが、さすがにそこまで開
き直れなかった。夏なのに風が吹くと少しひんやりする。ますますつらい。早く夜が
明けないかな〜。
 6時になると少し明るくなってきた。それと供に辺りの屋台が開店準備をしたり、
お年寄りが集まって太極拳か何かを始めている。もはや寝ている雰囲気ではない。起
きて(?)昨日の日記をつける。ずっとコンクリートのお相手をしていたお尻が痛い
と訴える。少し歩く。近くのビルの前にある大きな時刻表のような物が目に付く。は
て、と思って近づくと船の時刻表。その横には、待合室が。こんな近くにあったんだ。
扉は開いているが、中は真っ暗。もっと早く発見していれば。
 職員のお姉さんに武漢まで何時間かかるか聞く。「si-liu个小時」??4〜6時間
なのだろうか?訛りがあり発音が聞き取れない。何回か聞き直すと怒りだしそうになっ
た。あきらめて退散する。窓口が開いたので切符を買おうとするが、夜の船は夕方4
時から発売とのこと。どれもこれも順調じゃない。


◆荷物を背負って動きだす
市場の入口 とりあえず、道端の屋台で朝飯(麺)
を食べる。切符売り場の近くの売店で荊
沙行きのバスがどこから乗るのかを聞く
が「???」てな顔をしている。後で分
かったが、この辺一帯を荊沙あるいは沙
市と呼んでいるようだ。行きたいのは関
羽の居城である荊州城である。その店で
地図を買う。店のおじさんにオート三輪
を貸し切ったら?と言われる(40元/
3時間)が、夜の船まで“たっぷり”時
間があるし、のんびりまわりたかったの
で、自分で行くことにする。じゃあ、船
の待合室に荷物を預けたら?と言われ、
一旦は足を運んだが、袋はデイパック1
松葉で蒸した包子つしか持っておらず、全部預けると不便
だけど、小分けもできなかったし、預け
る窓口はさっき怒りそうになったお姉さ
んだったので、全部持っていくことにした。
 少し歩いたところに市場があった。入っ
て行くと松葉を下に敷いて蒸した包子を
売っていた。さっき朝飯を食べたとこだ
が、美味しそうだったので買ってしまっ
た。好き勝手にうろちょろして、ところ
で今どこ?と地図を見ると碼頭からだい
ぶ歩いていた。バス通りに向かって進む。
 中国銀行を発見。換金できる、と思っ
たのも束の間。今日はだめだよ、だって。
そう、今日は日曜日。窓口が開いている
こと自体すごい。


◆関羽の居城・荊州
荊州東門 バスに乗って荊州城の東門へ。バスの
切符売りのおばさんがしかめっ面で何か
言っている。何だろう?と思っていると、
他の乗客がウェスト・バックのチャック
が開いていると教えてくれる。実は親切
な切符売りのおばさんだった。
 東門の外側には「荊州城」とある。来
た来たとちょっと感動する。東門に登ろ
うと切符売り場に行くと壁に、外賓10
元、内賓5元とある。10元出し当たり
前のような顔をしておつりを待つ。細か
いのないか?と聞かれ、ないと答えると
5元おつりが来た。しめしめ。
 バスに乗って次の所へと思うが、バス
停が良くわからない。観察しているとみんな手を上げて止めている。どこでも止めら
れるのかな?
 玄妙観と言うところに行ったが、ここはつまらなかった。


◆荊州博物館
関羽像 続いて荊州博物館へ。土器、青銅器、漆器などが並
んでいる。雨も降っていないのに、なぜか雨漏り(?)
していた。展示品おじゃんになるぞ。
 向こうの方でガンガンという音がする。工事でもし
ているのかな?と思うと男の職員が喋りながら中国人
が湯呑み代わりに良く使っているコーヒーの空き瓶み
たいなのを窓のさんでガンガンたたいている。何やっ
てんだ、と思って通り過ぎるとガシャンと音がする。
振り向くと空き瓶が粉々になっていた。当たり前の結
末だと思うのだが、あの職員は何を考えていたのだろ
う?
 こんなものかと思いながら建物の裏手に出る。する
と「古屍」なる標識がある。それにそって行くと珍品
館があった。折角だからと入ってみる。入ってすぐに
大きな木棺がある。梯子がかかっていて中が覗けるよ
うになっている。じかに手で触れる状態だが、保存を
考えると最悪じゃないのかな?
 2階に上がると先に来ている人が部屋の真ん中の所
で下を覗いている。何があるのかな?と見ると、木棺
の主がいた。「古屍」とは彼のこと。発見されたとき、
木棺のおかげで乾燥からも腐敗からも守られ、弾力のある非常にいい状態だったとの
こと。いまでは手術で内蔵と脳が取りだされ、体とともにホルマリン漬けになって、
展示されている。それをみんなで覗いていたわけだ。不気味だったが、興味深く、博
物館より見ごたえがあった。でも、学術調査と言えば聞こえはいいが、墓があばかれ
ると悲惨だな。
 博物館の出口に向かう途中、三国志にまつわる展示をした小さな建物(祠?)がい
くつかあった。こちらも興味深かった。
 出口の近くにろう人形館があり入ったが、思いっきりつまらなかった。


◆久しぶりの日本語
魚釣りのおじいさん 博物館の向かいの食堂で遅めの昼飯を
食べ、西門へ行く。城壁の外の池で何人
かの人が釣りをしていた。バスに乗って
関廟に向かう。中では大きな関羽がドー
ンと座っていた。
 暑いなあ、なんて思っていると、誰か
が“アツイ”と言ったような気がした。
そんなわけないね。しかし、また聞こえ
たのでそっちを見ると関羽の像の裏から
おばさんが出てきた。1週間ぶりで日本
語を使う。やっぱり日本語で話ができるっ
て言うのは、いいねえ。




◆武漢への切符を手に入れる
 碼頭に戻り武漢への切符を手に入れる。次の日の明け方の船だと思っていたが、今
晩10時の船だった。ホテルに泊まろうと思っていたがやめ。さらに武漢までは4〜
6時間(si4-liu4个小時)ではなく16時間(shi2-liu4个小時)であることが判明。
思いのほかの長旅。
 街の方に戻り、行きたかった散髪をしようと探す。朝歩いていたときは何軒か目に
したのに、いざ探してみると見つからない。市場の中でぽつんと1軒あったが、なん
となく気後れしてパスする。しばらく行くと3軒並んでいるところがあったので、そ
の内の1軒に入る。(10元)何日かぶりにお湯で頭も洗えスッキリした。
 店屋でコーラを飲みながら、絵はがきをせっせと書く。ところがポストがなかなか
見つからない。地図で郵便局を探し、出しに行く。郵便局の前のポストの横に座り切
手を貼る。なんと切手がかなり大きい。書いたところが少し隠れる。書き直さなくては。
 碼頭に向かって行き、店がなくなりそうな辺りの食堂に入り夕食。あっさりした魚、
肉付のいい蛙、それと勧められた苦瓜。うまかった。苦瓜を除いて。苦瓜は初めてだっ
たが、ほんとに苦かった。ギブアップ。店の人と話をしながらのんびり食事をし、9
時ごろ碼頭に向かう。


◆暗やみの中、船を待つ
売店のおじさん 碼頭で今朝の売店のおじさんに出会っ
た。どこを見てきた?なんて聞かれたの
で話をしていると、店の人が椅子を持っ
てきた。先に座っていた別のおじさんが
22時の船だろ?と聞いてくる。同じ船
に乗るらしい。船が来るまでおじさんと
話をする。岳陽の工場に26年勤めてい
る42才の保全マンだった。今日は出張
で部品の買い付けに来ていたとのこと。
 1時間遅れで船が来る。今まで乗った
中で一番大きな船。ベットを確保できた
のはいいが、船が大きすぎてどこだか分
からない。おじさんが一緒に探してくれ
た。明日の朝は時間を気にしなくてよい。

アジア旅行記の索引ページに戻る
三峡下りの索引へ戻る