99年7月の猫時間通信


●99.07.19 -- Mac portable for consumerと「浸透」

先月「もう6月も終わりですね。あっという間に過ぎ去って、 びっくり」などと戯けたことを書いていたら、今月も もう下旬に突入していて、なんだかなぁ。(苦笑)
まだ梅雨はあけていません。降るとびしょぬれになる ほど降り、晴れるとごんごん暑い、というデジタルな 気候推移ですね。けっこう風邪引きさんが多いようです。 私も気をつけないと。

もうすぐ(7/20)、Mac World Expo 1999 NewYork が開幕 します。ここで、昨年から何かうわさが流れるたびに 大騒ぎになった(とは言っても、大騒ぎするのは インターネット上が中心なんだけど)、噂の コンシューマー向けポータブルのマックが発表 される、と噂されています。
発表前からこれほど騒がれるマシンも珍しい ですが、皆さん「持って歩けるMacintosh」に 飢えているんですねぇ。私はPowerBook2400c (2kg弱のB5サイズマシン)を、ハードディスクだけ 4BGに増強して使っていますが、特に大きな不具合も 感じてなくて、淡々とした日常の道具として、 溶け込んでいます(ちなみに、持って歩くのは たま〜に、です)。

そう、この「溶け込む」ということ。これが 大事に思うんですわ、特に最近。
僕はこんなにいい選択眼を持っているから、 こんなにいいマシンを買って、こんなにいい アプリケーションとユーティリティを使って、 いつでもどこでもモバイルで仕事ができて、 遊びもできて、これ一台ですべてが完結して云々・・・ とかいう話を聞くと「うるせぇよ」とか言いたくなっちまう。
そりゃ、仕事をする上で、いい道具を選ぶ のも基本であることは、よっくわかります。 効率に直接響きますからね。でも、たとえば、 会社で17inchのディスプレイを見ていると、 かなり疲れます。私個人の感覚なのですが、 大きなディスプレイは、疲れも大きいように 思うんです。なんとなく感じる圧迫感。 目の前に光る壁があるのと、同じですからね。
最近、液晶ディスプレイが売れているのも、 机上面積が有効になるだけでなく、やはり 圧迫感が減るからではないでしょうか。 ブツの大きさと、生活への溶け込み具合って、 実はけっこう重要な相関があるように 思います。
溶け込まずに妙に主張するもの、というのは、 私はいやです。あまり使いたくありません。

あと、ちょっと知り合いに会う機会が あって、少し時間が空いたので、 メールを眺めたり、電子新聞を読んだり しようと思っていると「ねぇねぇ、何しているの、何 使ってるの、それどういうマシン? あ、そういば今度こういうの買おうと 思ってるんだけど、実は、この間困った ことがあって・・・」
これもうるせぇよ、といいたいんだが、 知人相手だといきなり怒鳴るのも大人げ ないし、仕方なく相手をしていると、 いつのまにかいろんな人が話に加わって、 私は単に鉛の塊を抱えて喫茶店に行き、 のどが乾くほどしゃべってコーヒーの おかわりをして帰宅する、というしゃれ になんない事態が、本当にあったりします。 電子メールが普及したもんで、メールと Webのためにコンピューターを手にする人が 増える。そして、なんとなく使えるけど、 なんとなくわかんない部分があって、自分より 詳しい人がいると質問を浴びせ掛ける。
メールが最近はやってる、それはいいよ。 でも、相手の文房具を見て、よほど変わった ものを使っているならともかく、いきなり 「あ、ノートだ、何書いてんの、見せて」 といきなり覗き込んだりするかな。 「わざわざメールでやりとりする」 という意識があって、「あ、なんか面白い ことしてそう、見せて見せて」となる部分が あるのかもしれない。生活に溶け込んでいないん でしょうね、やっぱり。
私にとって、メールは便利な手紙で、 ほんとに普通に生活に入ってしまっている。 また、コンピューター上でWebから落とした長文を 読むときには、本を読むのと同じ。特に、 T-Timeというすばらしいソフトに出会って からは。 だから、いちいちあえて、そのことだけを 話題にするのはうっとうしい。早く浸透し きって、ちょっとしたマシンを出しても 「ねぇねぇ、それ・・・」とうるさく言われない 世の中になってほしいもんです。

●99.07.22 -- 「神童」

「神童」という漫画があります。実は連載中から 噂を聞いて、とっても気になってはいたのだけど、 週刊漫画アクションを購読していないし、この 「神童」が置いてある漫画喫茶になかなか行く 機会もなくて、長い間放ってありました。それに、 あまり増刷がかかっていないようで、単行本を ひょいと買える機会もあまりなかったし。
それがなんだか、お国の出した賞をもらうわ、 手塚治虫賞(グランプリではなく優秀賞)をもらうわ で、どうしてもってんで一度漫画喫茶で読みました。
これは傑作。買わなければ!
増刷がかかっていたそうだけど、やはり そこそこの本屋だと全部を揃いで買えなくて、 この間やっと買い揃えました。

話は端的に言って、音楽の神童をとりまく 物語です。音大受験を目指して浪人している 青年が、ある日突然出会った少女。野球が好きで 素行のなっちゃいないその少女が、たまたま 青年の家についてきて弾いたピアノの音色が、 とんでもない・・・
というところから始まって、青年の音大受験、 少女の成長を巡って話が進んでいく、全4巻の 漫画。

この手の、主人公の成長物語というのは、 漫画というジャンルの王道ではあります。 それに、すごく才能のある者が、実は ほかのことに興味がある(ここではピアノの 天才が、実は野球が大好き)のに、ある 段階で音楽を自然に選ぶ方向へ進み、 という点でも、従来の少年漫画・少女漫画の 王道と同じような設定になってはいます。
しかし、違う。従来の漫画とは、決定的に 違う。漫画では非常に表現しにくい音楽を、 正面からとらえようとしているため、本来 漫画では非常に間接的な形でしか表現できない ものをどう表出するか、という部分に すごくエネルギーがこめられています。そして、 そこに生じる音と思いが、ある種の重みを 伴って伝わってきます。
それは、絵から出る波動といってもいいかもしれない。 結果として、ストーリーの枠組みだけを綴ると まるで類型的な成長物語なのに、音のディテール の濃さから伝わる振動が、すべてを新しい 印象にしているように思えます。
なんとなく読み進めていっても、自然に 頭に残るような形になっている。同じ手塚治虫賞でも、 グランプリは浦沢直樹氏の「MONSTER」が とりましたが、優秀賞の「神童」のほうが、 私には圧倒的に伝わるものの大きな作品に 感じられます。
(それに、「MONSTER」はまだ連載中ですしねぇ。)

各エピソードで演奏される音楽の選曲が、 各巻の巻末に一覧表で出ています。 それはなかなかセンスのよい選曲です。 少女の家が借金のかたにスタンウェイを 持っていかれてしまう時に、ラヴェルの 「亡き王女のためのパヴァーヌ」を 弾くなんて、なかなか泣かせるし、 怒った少女がプロコフィエフの「戦争 ソナタ」を弾くくだりも、まさしく そうだよな、と思わせる。そして、 この少女の衝撃的なメジャーデビューで 取り上げるのがモーツァルトのピアノ 協奏曲20番というのは、類型的だけど 話の運びの必然性と結びついて、感動的 です(ベートーヴェン以降のピアノ協奏曲 では、こうすっきりはいかないだろう)。
作者は相当の音楽好き、というより、 実は作者自身が音楽の英才教育を受けた ことがあって、そのときの様々な思い がこめられているのではないか、という 邪推をしたくなるくらいです。もしそうなら、 漫画を描くことと、音楽を表現する ことの共通点と違いをがっちりと正面から 受け止めたから、このような作品になった のではないか。
いずれにせよ、さそう氏の作品を私は いくらか読んでいますが(全部読んでは いないので、断言はできないが)、 この作品である種の頂点を極めつつある のかもしれません。

もう一度言いますが、傑作です。


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