祇園百合子 ぎおんゆりこ 生年未詳〜宝暦七(1757)

出自未詳。祇園梶子の養女となり、養母が京都祇園に営んでいた茶店を継いだ。享保十二年(1727)、上洛中の江戸の武士徳山某との間に娘をもうける。この子が町子、のち池大雅に嫁した玉瀾である。江戸へ帰る徳山某に同行を誘われるが断り、茶店を営みながら女手一つで娘を育てた。母と同じく和歌を好み、家集『佐遊李葉(さゆりば)』三巻(続々群書類従十四・女人和歌大系三所収)に歌を残す。
 
以下には『佐遊李葉』より五首を抄出した。 
 
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春雨

さびしさもいかでいとはむ春雨にひもとく花のさかり待たれて

【通釈】春雨の降る寂しげな趣も、どうして厭おうか。この雨に濡れて、紐をとくように蕾がひらく桜の盛りが待たれて。

【補記】春雨は桜の開花を促すと考えられた。

【参考歌】壬生忠岑「忠岑集」「夫木和歌抄」
春雨のほどふる事も時にあへばひもとく花のつまとなりけり

花袂

そこはかと行き交ふ人も咲く花のたもとをかざす春ののどけさ

【通釈】これといった理由もなく行き交っている人々も、咲きほころびる花の下、美しい着物の袖をふりかざす、春の日ののどけさよ。

【語釈】◇そこはかと 「そこはかとなく」の意で用いているのであろう。◇花のたもと 下記参考歌などに由り、蕾の開いた花を「花の袂」と言いなしたのであろう。「花のように美しい袂」の意ともなり、「行き交ふ人」たちの姿を髣髴させる。◇かざす 袖を振りかざす。目立つように振る。「挿頭(かざ)す(髪に飾る)」意も掛けるか。

【補記】古歌に詠まれた「花の袂」という語から発想し、この語の両様の意を巧みに重ねて、平和な春の日の情景を歌い上げた。

【参考歌】藤原顕季「堀河百首」「新勅撰集」
霞しく木の芽はるさめふるごとに花のたもとはほころびにけり

水郷納涼

夕波の立ちもかへらで涼しさのここを瀬にせむ河づらの里

【通釈】夕方になったが、夕波が立ち返るようにすぐに帰りはしないで、ここを涼むのに恰好の場所としよう。この川べりの里を。

【語釈】◇瀬にせむ 涼む場所にしよう。「せ」は「立つ瀬がない」などと言う時の「せ」と同じで、それをする場所のこと。

【補記】「夕波の」は「立ち」あるいは「立ちかへり」の枕詞のように用いたものであるが、夕方になったことをほのめかしてもいる。

【参考歌】西行「新古今集」
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむら立

寄橋恋

うつつにもわたらまほしく思ひ寝に見し夜のままの夢の浮橋

【通釈】あの人に逢いたいと思いつつ寝入って見た夜の夢――あの夜のままに、夢の浮橋を現実にも渡りたいものだ。

【語釈】◇夢の浮橋 浮橋のようにはかない、夢の中の通い路。「浮橋」とは、水面に筏や舟を並べ、その間に板を渡して橋の代りとしたもの。

【補記】「うつつにもわたらまほしく」思っているのは現在のことで、夢の浮橋を「思ひ寝に見し夜」は過去のことであるが、現在と過去を「思ひ」の一語で強引に結びつけてしまった。無理な語法ではあるが、それがかえって夢と現実をめぐる不合理な願望をよく表現しているようにも思われる。

【参考歌】藤原定家「新古今集」
春の夜の夢の浮橋とだえして峯にわかるる横雲の空
  後崇光院「沙玉集」
面影は見しよのままのうつつにてちぎりは絶ゆる夢の浮橋

世を憂しと思ふ頃

憂きながらいつまでかくは世の中にすみの衣の身をもかへなで

【通釈】いやだ、つらいと思いながら、いつまでこうして世の中に住み続けるのか、墨染の衣を着る身に我が身を変えることもせずに。

【補記】「すみ」に「住み」「墨」を掛け、遂げられぬ出家の願望を詠んだ歌。やはりやや強引な語法が一首の魅力となっている。作者は江戸の武士徳山某との間に一女をもうけたが、江戸へ帰る男と別れ、祇園の茶店の女将(おかみ)としての、そしてまた母としての生涯を全うした。

【参考歌】藤原俊成「新古今集」
憂きながら久しくぞ世をすぎにけるあはれやかけし住吉の松


公開日:平成20年01月28日
最終更新日:平成27年05月08日