湯原王 ゆはらのおおきみ 生没年未詳

志貴皇子の子。兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいる。壱志濃王の父。
叙位・任官の記事は史書に見えない。万葉集に十九首の短歌を載せるが、歌の排列からすると、いずれも天平初年〜八年頃の作と見られる。天平前期の代表的な歌人の一人。

  4首  6首 相聞 6首 計16首

湯原王の七夕(しちせき)の歌二首

牽牛(ひこほし)の思ひますらむ心より見る我苦し夜の更けゆけば(万8-1544)

【通釈】彦星の別れを惜しんでおられる心よりも、二星を見まもる私の方がつらい。夜が次第に更けてゆくと。

【補記】天界の恋人たちを思いやる地上の人。夜が更けると、牽牛織女の別れの時が近づくので「苦し」と言った。

【他出】「拾遺集」題しらず 湯原王
ひこぼしの思ひますらん事よりも見る我苦し夜のふけゆけば

 

織女(たなばた)の袖つぐ宵の(あかとき)は川瀬の(たづ)は鳴かずともよし(万8-1545)

【通釈】織姫が彦星と袖を連ねて寝る夜の明け方ばかりは、天の川の川瀬の鶴は夜明けを告げて鳴かなくてもよい。

【補記】一首目で牽牛を、二首目で織女を詠む。

湯原王の鳴く鹿の歌一首

秋萩の散りの(まが)ひに呼び立てて鳴くなる鹿の声の遥けさ(万8-1550)

【通釈】秋萩の散り乱れる中、妻を呼び立てて鳴く鹿の声が遥かに聞こえることよ。

【主な派生歌】
夏山の木末(こぬれ)の繁に霍公鳥鳴きとよむなる声の遥けさ(*大伴家持[万葉])
千年ふとわが聞くなへに蘆たづの鳴きわたるなる声の遥けさ(紀貫之[新千載])
あはぢ島吹きこす秋の浪風にたぐふ牡鹿の声のはるけさ(藤原家隆)

湯原王の蟋蟀(こほろぎ)の歌一首

夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも(万8-1552)

【通釈】月の出ている夕暮、心がしおれてしまいそうな程にあわれ深く、白露の置いているこの庭に秋の虫が鳴くことだ。

【補記】「こほろぎ」は秋鳴く虫の総称で、松虫や鈴虫なども含んだらしい。

【他出】「玉葉集」題しらず 湯原王
夕づく夜心もしのにしら露の置くこの庭にきりぎりす鳴く

湯原王の吉野にて作る歌一首

吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして(万3-375)

【通釈】吉野の菜摘の川の淀んだあたりで鴨が鳴いている。山陰のあたりで、ここから姿は見えないのだけれども

【補記】「夏実の川」は吉野宮滝東方、菜摘の地を流れる吉野川。

【他出】古今和歌六帖、五代集歌枕、和歌初学抄、新古今集、歌枕名寄、夫木和歌抄

【主な派生歌】
なつみ川かはおとたえて氷る夜に山かげさむく鴨ぞ鳴くなる(伏見院[新後撰])
春もなほなつみのかはのあさ氷まだ消えやらず山かげにして(西音[玉葉])
わきて猶こほりやすらん大井河さむる嵐の山陰にして(基嗣[風雅])
なつみ川こほりかねたる早きせをうきねの床と鴨ぞ鳴くなる(宗良親王)
なつみ川山陰にして見し雪ののこるがさくか岸の卯花(正徹)
すむ鴨ぞ猶たちさらぬなつみ川山陰にしてなくほたるかな(木下長嘯子)

湯原王の宴の席の歌二首

蜻蛉羽(あきづは)の袖振る妹を玉くしげ奥に思ふを見たまへ()が君(万3-376)

【通釈】とんぼの羽のように透き通った美しい袖を振って舞うあの子を、私は心の奥底からいとしく思っているのです、よく御覧になって下さい、我が君よ。

【補記】湯原王主催の宴で、舞姫を称え、賓客への挨拶とした歌であろう。

 

青山の嶺の白雲朝に()に常に見れどもめづらし()が君(万3-377)

【通釈】青い山の峰にかかる白雲のように、毎朝毎日いつ見ても見飽きることがありません、我が君は。

【補記】これも宴に招待した賓客に捧げた歌。

湯原王の月の歌二首

(あめ)にます月読壮士(つくよみをとこ)(まひ)はせむ今宵の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ(万6-985)

【通釈】天におられる月読壮士よ、お供えをしよう。今宵の長さは、夜を五百夜つなげた程にしてほしい。いつまでも月を賞美していたいから。

【補記】月見の宴などで披露した歌か。次の一首と共に女の立場で詠んで宴席に艶を添える。「月読壮士」は月の神、月読命。

 

()しきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる(万6-986)

【通釈】ああ、程近い里にいるあなたが来るというしるしのように、遍く月が照っている。

【補記】「おほのびに」の原文は「大能備尓」で、語義未詳。「あまねく」の意とする説にしばらく従う。

湯原王の打酒の歌一首

焼大刀(やきたち)のかど打ち放ち大夫(ますらを)寿()豊御酒(とよみき)(あれ)酔ひにけり(万6-989)

【通釈】焼き鍛えた大刀の角を打ち合わせ、ますらおの祝うこの美酒に、私はすっかり酔ってしまった。

【補記】題詞の「打酒(だしゅ/ちょうしゅ)」は酒を酌んで飲むこと。漢土の俗語的用法と言う。「打ち放ち」は未詳。大刀の鎬を互いに打ち合わせることか。呪(まじない)の儀式であったか。

相聞

湯原王の娘子に贈る歌 (四首)

目には見て手には取らえぬ月の内の(かつら)のごとき妹をいかにせむ(万4-632)

【通釈】目には見えても手に取ることの出来ない、月に生えている桂の木のようなあなたを、どうしたらよいのだろう。

【補記】「楓」の用字は原文のまま。新撰字鏡に楓をカツラと訓む。月に桂が生えているとは、唐渡来の伝説。彼の地では桂花(金木犀の類)を指したらしいが、日本では落葉高木の桂とも混同された。なお、湯原王と娘子の贈答歌は万葉集巻四の0631番歌〜0642番歌を参照。

【他出】古今和歌六帖、和歌童蒙抄、伊勢物語、新勅撰集

 

草枕旅には妻は()たれども櫛笥(くしげ)の内の珠をこそ思へ(万4-635)

【通釈】旅にまで妻は連れて来ていますが、櫛笥に収めた玉のように大切にあなたのことを思っているのです。

【補記】「娘子」の「家にして見れど飽かぬを草枕旅にも夫(つま)のあるが羨(とも)しさ」に応じた歌。

 

()しけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ()らむ月も経なくに(万4-640)

【通釈】ああ愛しくてたまらない。あなたは近くの里にいるのに、それを私は雲のかなたのように遥かに恋い慕っているのだろうか。逢ってから一月も経っていないのに。

【語釈】◇居らむ 動詞「をる」の未然形に助動詞「む」が付いたものであるが、ここでは「居るらむ」の意で用いる。現在推量の助動詞「らむ」はそもそも「あら-む」から来ている語らしく、「をり」はもともと「ゐあり」から転じた語であるから、「あら-む」で「ある-らむ」の意を代用するのと同じく、「をら-む」で「をる-らむ」の意を代用し得るものと考えられる。

【補記】「娘子」の報贈歌は「絶ゆと言はば侘しみせむと焼大刀(やきたち)の諂(へつか)ふことは辛(から)しや吾君(わぎみ)」。

 

玉にぬき()たず(たば)らむ秋萩の(うれ)わわら葉に置ける白露(万8-1618)

【通釈】数珠として緒に通して、消えないまま頂きましょう。秋萩の枝先の破れた葉に置いた白露を。

【補記】「わわら葉に」は不詳。取りあえず「末のわわけたる葉をいふ」とする萬葉集古義の説に拠った。

湯原王の歌一首

吾妹子(わぎもこ)に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄さむと()が恋ひそめし(万4-642)

【通釈】あなたに恋して心が乱れたら、糸車に掛けて縒り合わせればよい――そう思って恋し始めたのです。

【補記】「くるべき」は糸を繰る道具。

湯原王の歌一首

月読(つくよみ)の光に来ませあしひきの山き(へな)りて遠からなくに(万4-670)

【通釈】月の光をたよりにいらっしゃい。山を隔てて遠いというわけではないのだから。

【語釈】◇山き隔(へな)りて 旧訓は「山を隔てて」。原文「山隔而」とする本が多いが、元暦校本・類聚古集・紀州本などの古写本は「山隔而」とある。

【補記】女の立場で詠んだ歌。作者不詳の「和する歌」は、「月読の光はきよく照らせれど惑(まと)へる心思ひあへなくに」。

【他出】古今和歌六帖、綺語抄、袖中抄

【主な派生歌】
月よみの光を待ちてかへりませ山路は栗のいがの多きに(*良寛)


更新日:平成15年11月09日
最終更新日:平成19年09月08日