紀利貞 きのとしさだ 生年未詳〜元慶五年(881)

貞守の子。貞観十七年(875)、少内記。元慶三年(879)、大内記。同年、従五位下。同四年、弾正少弼。同五年、阿波介に任ぜられたが、同年没した(『古今和歌集目録』)。在原業平と親交があったらしい。古今集に歌四首を載せる。

卯月に咲ける桜を見てよめる

あはれてふことをあまたにやらじとや春におくれてひとり咲くらむ(古今136)

【通釈】素晴らしいという評判を他の桜にはやるまい――独り占めしよう――そう思ってか、この花は春におくれて独り咲いているのだろうか。

【語釈】◇あはれてふ このアハレは讃美・賛嘆の意。◇あまた 他の多くの桜。

【補記】陰暦四月、すなわち初夏に咲いている桜の花を見て詠んだという歌。桜にも意思があるものとして、ひとり遅く咲いている理由を推し量ってみせた。

【他出】如意宝集、奥義抄、和歌童蒙抄、隆源口伝、定家八代抄、色葉和難集、歌林良材

【主な派生歌】
あはれをもあまたにやらぬ花の香の山もほのかに残る三日月(藤原定家)
花は春散りにし峰にあはれてふことをあまたにやらぬ白雲(飛鳥井雅経)
吹き結ぶ嵐も露もあはれてふことをあまたに秋は来にけり(頓阿)
あはれてふことのちぐさは霜枯れてあまたにやらぬ白菊の花(契沖)

貞辰親王(さだときのみこ)の家にて、藤原清生(きよふ)近江(あふみ)(すけ)にまかりける時に、むまのはなむけしける夜、よめる

今日わかれ明日はあふみと思へども夜や更けぬらむ袖の露けき(古今369)

【通釈】今日別れ、明日は近江にあるあなた――その名のとおりすぐに「逢ふ身」とは思うものの、夜が更けたのでしょうか、私の袖は露っぽいことです。

【語釈】◇むまのはなむけ 送別の宴。◇あふみ 地名「近江」と「逢ふ身」の掛詞。近江までは一日の行程なので、「明日はあふみ」という。「すぐに逢える身」の意を掛ける。◇露けき 涙を暗示する。

【補記】藤原清生(系譜・生没年未詳)が近江国の介(次官)として赴任するに際し、貞辰親王(清和天皇の第七皇子。874〜929)の家で送別の宴を催した夜に詠んだという歌。赴任先の「あふみ」に掛けて、京から程近いことを慰めとしつつ、別れの悲しみを婉曲に歌っている。恋歌めかしているのは当時の常套。

【主な派生歌】
けふ別れ明日はと人を思ふだに見ぬ間は袖のかわくものかは(宗良親王)
さだめなき世にや惜しまむ今日別れ明日はあふみの別れなりとも(花山院師兼)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年07月30日