藤原部等母麻呂 ふじわらべのともまろ 生没年未詳

武蔵国埼玉郡の人。上丁。妻は物部刀自売。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣された。

 

足柄の御坂に()して袖振らば(いは)なる妹はさやに見もかも(万20-4423)

【通釈】足柄の峠に立って袖を振れば、家にいる妻ははっきりと見てくれるだろうか。

【補記】「足柄の御坂」は足柄峠。相模国の西境であり、狹い意味での東国への出入口であった。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日