伝不詳。車持氏は車持部の伴造氏族。姓はもと君。天武十三年(684)、朝臣を賜る。
元正・聖武朝に歌人として活動。万葉集巻六に八首を載せる(0913・0914、0931・0932、0950〜0953)。歌はすべて行幸に従駕しての作と見られ、笠金村・山部赤人と共に、いわゆる宮廷歌人的な役割を担う歌人だったか。
車持朝臣千年の作る歌一首 并せて短歌
うまこり あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見くだせば 川の瀬ごとに 明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなり 紐解かぬ 旅にしあれば
反歌一首
滝の
或本の反歌に曰く
千鳥鳴くみ吉野川の
茜さす日並べなくに
右、年月不審。但し歌類を以て此の次に載す。或本に云く、養老七年五月、芳野離宮に幸す時に作ると。
【通釈】[長歌] むしょうに心惹かれつつ、噂にばかり聞いていた吉野の、美しい木々が林立するその山から見下ろすと、川の瀬という瀬に、夜が明ければ朝霧が立ち、夕方になれば河鹿の鳴き声が聞える。妻を都に残しての旅であるから、自分独りで清らかな川原を見るのは残念なことだ。
[反歌] 急流のほとりに聳える三船山の眺めは、恐れ多いほど素晴らしいけれども、私は一日だって一時だって妻を忘れることはない。
[或本反歌一] 千鳥の鳴く吉野川の川音のように、やむ時もなく思われるあなたよ。
[或本反歌二] 旅に出てまだ日数は経っていないのに、私のあの方への思いは、吉野川の霧となって立ちのぼる。
【語釈】[長歌]◇うまこり 美味い煮こごり。ここでは「あやにともしく」の枕詞として用いる。◇鳴る神の 「音に聞く」の枕詞。「鳴る神」は雷。◇真木立つ山 杉檜類の美林がある山。◇紐解かぬ旅 妻が出掛けの時に結んでくれた衣の紐を解くことはしない旅。妻を伴わない孤独な旅。
[反歌]◇三船の山 吉野宮滝と吉野川をはさんで東南にある三船山。山裾を激流が下るので「滝の上の」を枕詞のように冠した。
【補記】左注に養老七年(723)五月の(元正天皇の)吉野行幸の時に作る歌とある。万葉集巻六に、同じ時に作られた笠金村の歌に続いて載せられている。金村の歌と同じく吉野の清らかな風景を讃美しているが、「神柄」「国柄」を誉め讃え、皇統の強固さを歌い上げた金村の作に対し、千年の歌は都に残して来た家族への思いに重心があり(その点は次の「或る本の反歌」についても同じ)、金村の長反歌のパブリックな性格に対し、千年の歌のプライベートな性格が際立つ。「プライベート」と言っても、作者個人の私的感情ということではなく、行幸に従駕した官人たちが共有する感情を代表して述べているのであるが。なお「或本の反歌」一首目は、「思ほゆる君」とあるので、女の立場で詠まれている。
【他出】[反歌] 五代集歌枕、歌枕名寄
[或本反歌一] 五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄
[或本反歌二] 綺語抄、五代集歌枕、歌枕名寄
車持朝臣千年の作る歌一首 并せて短歌
いさなとり
反歌一首
白波の千重に来寄する
【通釈】[長歌] 浜辺が清いので、ゆらゆら靡きながら生えている美しい海藻に、朝凪の時は千重の波が打ち寄せ、夕凪の時は五百重(いおえ)の波が打ち寄せる。その浜辺に寄せる波のようにますます繁く、月毎に日毎に眺めても満足できまいが、まして今だけで見飽きることなどあろうか。白波の花が咲きめぐる、住吉の浜は。
[反歌] 白波が千重に繰り返し寄せる住吉の赤土の断崖――その美しい色に染まって行こう。
【語釈】[長歌]◇いさなとり 「浜」の枕詞。
[反歌]◇住吉の岸 「岸」は切り立った崖。かつて住吉の海岸は赤土の露出する断崖をなしていたらしい。万葉集巻七には「めづらしき人を我ぎ家に住吉の岸の埴生を見むよしもがも」という歌があり、当時からその風光が愛でられたいたと判る。◇埴生 赤土のとれる所。古くは土で衣を染める染色法があった。原文は「黄土粉」。
【補記】神亀二年(725)十月の聖武天皇の難波行幸の時に笠金村が作った長反歌の直後に載せられており、同じ時の作かと推測される。おそらく聖武天皇の住吉遊覧に同行した際に作られた、同地の風光を讃美した歌。
【他出】[反歌] 五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄
【参考歌】清江娘子「万葉集」巻一
草枕旅ゆく君と知らませば岸の黄土(はにふ)に匂はさましを
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月30日