藤原親隆 ふじわらのちかたか 康和元〜永万元(1099-1165)

右大臣定方の裔。大蔵卿為房の息子。母は法橋隆尊の娘(忠通の乳母)。
保安四年(1123)、叙爵。伊予守・春宮亮などを経て、保元三年(1158)五月、従三位。同年の二条天皇即位後、正三位に昇叙される。永暦二年(1161)、参議。長寛元年(1163)、出家。法名は大覚。
関白内大臣忠通歌合・中宮亮顕輔歌合・木工権頭為忠家百首・久安百首などに出詠。家集『親隆集』は久安百首詠を一冊にしたもの。金葉集初出。勅撰入集十六首。

百首の歌奉りける時、月の歌とてよめる

播磨潟すまの月よめ空さえて絵島が崎に雪ふりにけり(千載989)

【通釈】ここ播磨潟、須磨の上空の月は空につめたく澄んで、その光は、海の向う、絵島が崎に雪のように真っ白に降りそそいでいるのだった。

【語釈】◇播磨潟 播磨地方(兵庫県南西部)の遠浅の海。神戸市須磨区以西、明石市あたりまでの沿海か。◇すま 須磨。今の神戸市須磨区南部。◇月よめ 月読。月のこと。◇絵島が崎 淡路島の北端。◇雪ふりにけり 冴え冴えと澄んだ月光を雪に喩えている。

【補記】崇徳院が召し、久安六年(1150)に完成した久安百首。

【他出】歌枕名寄、六華集

法性寺入道前関白太政大臣家歌合に

鶉鳴く交野(かたの)にたてるはじ紅葉散りぬばかりに秋風ぞ吹く(新古539)

【通釈】鶉の鳴き声がする交野に、紅葉した櫨(はぜ)の木が立っていて――その葉が散ってしまうほどに秋風が吹いている。

櫨の木 鎌倉市二階堂にて
紅葉したハゼノキ

【語釈】◇交野 大阪府枚方市あたり。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。◇はじ紅葉 「はじ」は櫨(はぜ)。ウルシ科の落葉高木。秋、楓などに先立って色づくが、紅葉した葉は脆く散りやすい。◇散りぬばかりに 散ってしまう程に。「ぬ」は完了の助動詞。「ほど」の意で用いる副助詞「ばかり」には終止形が接続する。

【補記】保安二年(1121)九月十二日、当時関白内大臣であった藤原忠通の家で開催された歌合に出詠した歌。題は「野風」。交野の原野で秋の鷹狩をする人が、野中に櫨の木の紅葉を見つけたが、野を渡る風の激しさに今にも散りそうだと見守っている。

【他出】定家八代抄、和漢兼作集、歌枕名寄


更新日:平成16年11月19日
最終更新日:平成18年03月07日