藤原忠行 ふじわらのただゆき 生年未詳〜延喜六(?-906)

近江守有貞の子。母は大納言紀名虎の娘。三十六歌仙の元真は甥。
仁和三年(887)、土佐掾。寛平二年(890)、従五位下。延喜六年(906)、若狭守となったが、同年卒去した。古今集・後撰集に各一首を残す。後撰集の歌からは、紀友則との交友が知られる。

題しらず

君といへば見まれ見ずまれ富士の()のめづらしげなくもゆる我が恋(古今680)

【通釈】あなたのこととなると、人に見られようが見られまいが、噴煙をあげる富士山のように、いつもいつも、珍しい様子もなく燃える我が恋だことよ。

【語釈】見まれ見ずまれ 「見もあれ、見ずもあれ」の約転。

【補記】当時、富士は活火山で、噴煙を絶えず上げていた。「こひ」は「ひ(火)」を含むので、恋心を富士の煙にかこつけたのである。

【他出】新撰和歌、友則集、宗于集、定家八代抄

【主な派生歌】
いつとなく心そらなる我が恋や富士の高嶺にかかる白雲(*相模[後拾遺])
よしや人見まれ見ずまれ今はただめづらしげなき恋の煙を(後嵯峨院)
月影を見まれ見ずまれ秋といへばめづらしげなく落つる涙か(宗尊親王)
花の色は見まれ見ずまれ分けゆかむ霞める山に風にほふなり(宗良親王)


最終更新日:平成16年07月29日