宮川松堅 みやがわしょうけん 寛永九〜享保十一(1632-1726) 号:松亭軒など

京都の人。名は正行、また貞行。通称、字兵衛。松堅は出家後の号。享保十一年二月二十三日没。九十五歳。
幼少より松永貞徳に入門し、俳諧師・歌人・歌学者として活動する。和歌は和田以悦・木瀬三之らにも学んだ。貞徳門を中心として同時代の歌人の代表作を集めた『倭謌五十人一首』を編纂した。歌学書に『さざれいし』がある。

「倭謌五十人一首」 近世和歌撰集集成1・新日本古典文学大系67「近世歌文集 上」

夕立

知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立(倭謌五十人一首)

【通釈】知っているのも知らないのも一緒に雨宿りした人々が、もう止みそうだと別れの挨拶を交わす――その言葉も言い終わらないうちに、夕立はすっかり晴れてしまった。

【補記】夕立そのものの情趣というより、夕立をめぐる世態風俗に感興の中心がある。俳諧味があり、近世的な特色の見える作と言える。『倭謌五十人一首』は松堅が一門の歌人五十人の歌一首ずつを選んだ秀歌選であるが、門弟内海顕糺の編になる貞徳・松堅らの歌百三十首が追補されている。掲出歌はその中の一首である。

田家雨

さびしさを人に見よとは結ばじを雨の夕べの小山田のいほ(倭謌五十人一首)

【通釈】寂しい風情を人に見せようと作ったわけではあるまいに、雨の降る夕べに見る山田の庵はしみじみとした趣がある。

【語釈】◇小山田のいほ 山の田のほとりに建てた粗末な小屋。農具を収めたり、見張り番が泊ったりするのに用いた。「小山田」の「小(を)」は特に意味のない接頭辞。

【補記】「田家雨」は中世から見える題であるが、参考歌として掲げた天智天皇詠に決定的な影響を受けている。と言うより、天智天皇詠から生まれた歌題と言うべきであろう。語句の上ではその痕跡が消されているが、掲出歌の「さびしさ」もまた参考歌と無縁ではあり得ない。

【参考歌】天智天皇「後撰集」「百人一首」
秋の田の仮庵のいほの苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ


公開日:平成19年12月22日
最終更新日:平成19年12月22日