藤原輔尹 ふじわらのすけただ 生没年未詳(?-1021?)

従五位上尾張守興方の息子。大納言懐忠(かねただ)の養子(従五位下正家の猶子ともいう)。秀才・大学助・式部丞・右少弁・左少弁を経て、寛弘二年(1005)頃、山城守。同六年三月、大和守。従四位下木工頭に至る。
永観二年(984)八月十五日の花山天皇御会に詠進。長保三年(1001)十月九日、東三条院(円融院女御、藤原詮子)四十賀御屏風歌に詠進。同五年五月十五日、左大臣道長歌合に参加。寛仁元年(1017)十二月四日、太政大臣道長大饗料四尺屏風歌に詠進。実方能因など歌人と交流があった。『本朝麗藻』『和漢兼作集』などにも作を残す和漢兼才の人。家集『輔尹集』がある。拾遺集初出(ただし「藤原佐忠朝臣」と同一人物の場合)。

長月のつごもりの日、秋を惜しむといふ題を

荻の葉のそよとつげしはいつなれや晦日(みそか)のすぐる夜半の秋風(輔尹集)

【通釈】風が荻の葉にそよそよと音をたて、「そよ(秋だよ)」と告げたのはいつのことだったろう。もう秋も終わる九月最後の夜、吹き過ぎてゆく秋風が―。

【補記】女の立場にたって詠んだ恋の歌ととることもできる。その場合、次のように意訳できよう。「荻の葉がそよそよと音をたてるように、あの人が私のもとを訪れて『そよ(そう、私だよ)』と答えたのはいつのことだったかしら。秋も今日で終わりの九月最後の晩、風が吹き過ぎてゆく。――あの人の心も《飽き》てしまって、私の心を過ぎていったのでしょう」。

【語釈】◇そよ 葉がそよぐ擬音語「そよ」を掛詞として用いるのは、「世のつねの秋風ならば荻の葉にそよとばかりの音はしてまし」(安法女)など例が多い。「そよ」はたとえば、「誰々か?」と問うたのに対し「そうよ(私よ)」などと答える場合に使う。

九月ばかり、月のおもしろきに、ものなどいひて、女の隠れたるに帰りて

もろともに出でずは憂しと契りしをいかがなりにし山の端の月(輔尹集)

【通釈】「一緒に出よう、そうしなかったら厭だよ」と約束したのに、どうしてしまったのだろう、(あのひとは)山の端に沈む月のように隠れてしまって。

【補記】後十五番歌合に橘為義の歌「君待つと…」と合わされている。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日