清水谷実業 しみずだにさねなり 慶安元〜宝永六(1648-1709)

右大臣三条西実条の母方の孫。堀親昌の子。母は清水谷実任女。母方の叔父三条西公勝の養子となる。二十五歳の時、公勝の実子で清水谷家(西園寺家の一門)を継いだ公栄の養嗣子となり、清水谷家を嗣ぐ。子に清水谷雅季・小倉有季らがいる。
元禄二年(1689)、権大納言となり、宝永元年(1704)、正二位に至る。元禄元年(1688)、霊元院から和歌てにをは伝授(古今伝授の第一段階)を受け、中院通茂・武者小路実陰とともに霊元院歌壇の中心的な歌人の一人として活躍した。宝永六年(1709)九月十日、没。門下には北村季吟・香川宣阿などがいる。
元禄十五年(1702)の百首歌、宝永二年(1705)の百首歌(『宝永仙洞着到百首』)、宝永七年(1710)の『新明題和歌集』などに歌を残す。家集『清水谷二卿歌集』がある(国立国会図書館)。他の著書に寛文十二年(1672)の『高雄紀行』など。
以下には『新明題和歌集』(新編国歌大観六・近世和歌撰集集成二に収録)・『宝永仙洞着到百首』(『和歌文学選』に抄出)・『部類現葉和歌集』(近世和歌撰集集成二に収録)より計五首を抜萃した。

暮春水

ながれゆく音ぞさびしき花鳥の春もとまらぬ庭のやり水(宝永仙洞着到百首)

【通釈】流れてゆく音の寂しいことよ。花と鳥に親しんだ春も、とどまることなく去ってゆく、庭の遣り水の――。

【補記】宝永二年(1705)、霊元院が廷臣に詠進させた百首歌。梅・桜などの花を眺め、鶯など鳥の声を楽しんだ春との別れを、庭の遣り水の流れ行くのに寄せて惜しんだ。

【参考歌】順徳院「紫禁和歌集」
花鳥のにほひも声もとどまらず今宵ばかりの春のわかれに
  平宗宣「玉葉集」
とどまらぬ別れのみかは花鳥のなごりにつけて惜しき春かな

蛍知夜

草の上に見し夕露は暮るる夜を風の蛍の待ちえてや散る(新明題和歌集)

【通釈】草の上に見た夕露は、暮れてゆく夜、風に舞い飛ぶ蛍が飲むのを待ち得て散るだろうか。

【補記】蛍は草葉の上に溜まった夜露を飲む。夕方に見た露が、夜になって蛍の飲む前に散りはしないかと危ぶんでいるのである。夏歌。題「蛍知夜」は和漢朗詠集に見える許渾の詩「蒹葭水暗蛍知夜(蒹葭(けんか)水暗うして蛍夜を知る)」から。『新明題和歌集』は宝永七年(1710)刊の類題和歌集。

江荻

荻の葉にひかりを花とみだれちる露や玉江の波の夕風(宝永仙洞着到百首)

【通釈】荻の葉において、光を花とばかり散り乱れる露よ、玉江に立つ波の夕風に。

【語釈】◇玉江 摂津国の歌枕(但し越前にも同名の歌枕がある)。今の大阪市高槻市あたり。蘆の名所。河内平野を満たしていた湖の名残である三島江の一部を言ったらしいことは、「三島江の玉江の蘆のくらき夜にかげもさはらずゆく蛍かな」(源資平集)などから判る。普通名詞としては「美しい入江」の意になる。「露の玉」の意が掛かる。

【補記】宝永二年(1705)の百首歌。秋歌。寂しげな景として詠まれることが多かった水辺の荻を、光る露の玉で飾り、名ぐわしき歌枕を舞台に華麗に歌い上げた。

【参考歌】源忠「古今集」
秋来れど月の桂のみやはなる光を花と散らすばかりを

篠霜

垣根にもおく霜さやぐ笹の葉のみ山はさぞな雪の朝風(新明題和歌集)

【通釈】垣根の篠竹にも霜が置いてさやさや鳴っている――「笹の葉のみ山もさやに」と歌われた深山ではさぞ凄まじい音を立てていることだろう、雪混じりの今朝の風で。

【語釈】◇さぞな さぞかしであろう。

【補記】冬歌。自邸の垣根の篠竹を見て、深山の篠原のありさまは如何にと想像を馳せる。凛々たる「篠霜」の本意を巧みに捉えた。

【本歌】柿本人麻呂「万葉集」巻二
ささの葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば
【参考歌】津守国基「風雅集」
みよし野やすず吹く音はうづもれて槙の葉はらふ雪の朝風
  後水尾院「新明題和歌集」
都だに間なく時なくふる雪にみ山はさぞなつもり果つべき

閑中燈

壁に見る我が影をのみともし火に向かふもさびし蓬生(よもぎふ)の宿(部類現葉和歌集)

【通釈】壁に映して見る自分の影ばかりを友として、灯火に向かっているのも寂しいことよ。蓬の生えたあばら家にあって。

【語釈】◇ともし火 「友」の意が掛かる。

【補記】雑歌。「閑中燈(閑中灯)」は中世から好まれた歌題。『部類現葉和歌集』は享保二十年(1735)刊の類題和歌集。


公開日:平成21年11月22日
最終更新日:平成21年11月22日