藤原実国 ふじわらのさねくに 保延六〜寿永二(1140-1183)

太政大臣実行の孫。内大臣公教の子。左大臣実房の兄。母は家の女房。子には公時・公清ほかがいる。妻の藤原家成女は、藤原重家室と姉妹。
久安三年(1147)叙爵し、保元四年(1159)、蔵人頭。左衛門督などを歴任し、権大納言正二位に至る。寿永二年(1183)一月二日、四十四歳で薨ず。
縁戚関係のあった六条藤家と歌壇的にも深いつながりを持った。永万二年(1166)の中宮亮重家朝臣家歌合、嘉応二年(1170)十月の住吉社歌合・建春門院北面歌合、承安二年(1172)十二月の広田社歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合などに出詠。また嘉応二年(1170)五月、自邸で歌合を主催し(実国家歌合)、判者に六条藤家の清輔を招いた。
家集『実国集』がある。千載集初出。高倉天皇の笛の師。『古今著聞集』に歌人としての逸話を残している。

落花の心をよめる

あかなくに袖につつめば散る花をうれしと思ふになりぬべきかな(千載91)

【通釈】いくら愛(め)でても愛で足りない思いがするのに、散ってしまう桜の花――惜しいので、散ってくるのを袖に包んだ。こんなことをしていると、まるで落花を嬉しがっているように見えてしまうかなあ。

【補記】歌意に即して語順を改めれば、「あかなくに散る花を、袖につつめば、散る花をうれしと思ふになりぬべきかな、あかなく思ふに」。
【語釈】◇あかなくに 満足しないのに。第三句の「散る」に掛かる。

女のもとにつかはしける

恋ひ死なば我ゆゑとだに思ひ出でよさこそはつらき心なりとも(千載774)

【通釈】私が恋い死にをしたら、せめて「あの人が死んだのはわたしのせいだ」とだけでも思い出してください。そのようにつれない心であっても。

【語釈】◇つらき心 相手の女の、私に対する冷淡な心。

【参考歌】清原深養父「古今集」
恋ひ死なばたが名はたたじ世の中のつねなき物と言ひはなすとも


最終更新日:平成15年01月21日