安倍沙美麻呂 あべのさみまろ 生年未詳〜天平宝字二(758)

右大臣御主人(みうし)の孫。広庭の子。氏は阿倍、名は佐美麻呂・沙弥麻呂とも書く。
天平九年(737)九月、従五位下。翌年閏七月、少納言。天平十四年(742)八月、紫香楽村行幸の際、塩焼王らと共に前次第司。この時左中弁。天平勝宝七歳(755)三月頃、難波で兵部少輔大伴家持と共に防人を閲兵。この時紫微大弼。三月三日、勅使兵部使人らの飲宴で歌を詠む(万葉20-4433)。天平勝宝九歳(757)五月、藤原仲麻呂の紫微内相就任と同じ日、従四位下に昇叙。同年八月、参議。翌天平宝字二年(758)四月、卒去。中務卿従四位下。万葉集に歌一首を残す。

三月三日、防人を検校する勅使、また兵部の使人等、(とも)に集ひて飲宴(うたげ)する歌

朝な()な上がる雲雀になりてしか都に行きて早還り来む(万20-4433)

【通釈】いつも朝になれば空へ舞い上がるヒバリになりたい。恋しい家族のいる都へ飛んでいって、すぐにまた帰って来よう。

【補記】天平勝宝七歳(755)三月三日、難波へ防人検閲の公務に派遣されていた作者が、兵部省の役人らと宴を催した際の歌。


最終更新日:平成15年12月27日