北条貞時 ほうじょうさだとき 文永八〜応長元(1271-1311) 通称:最勝園寺殿

執権時宗の嫡男。母は安達義景女。高時の父。
弘安七年(1284)、父が早世したため、十四歳で執権の地位を継ぐ。翌年、霜月騒動が起こり、安達泰盛ら御家人を滅ぼした御内人平頼綱が幕政を壟断、強権を奮うに至ったが、永仁元年(1293)四月、その頼綱を討って実権を奪還した。永仁の徳政令などを発布し改革を計るが成功せず、幕府の内紛を抑えることもできないまま、正安三年(1301)八月、執権の座を師時に譲って出家した。法名は崇演。出家後も実権は握り続けたが、応長元年(1311)十月二十六日、四十一歳で死去した。
和歌を好み、自邸でたびたび歌会・歌合を催した。正応五年(1292)には三島社十首和歌を京極為兼等に勧進した。為相為守ら在鎌倉の御子左家歌人との親交が窺われる。新後撰集初出。勅撰入集計二十五首。

竹間鶯といふ事を

窓ちかき竹の葉風も春めきてちよの声あるやどの鶯(玉葉52)

【通釈】窓近く生える竹の葉を吹く風も春らしくのどかで、「ちよ、ちよ」と長久の春を言祝(ことほ)ぐかの声で鳴く我が家の鶯よ。

【補記】鶯の鳴き声(チョッ、チョッと鳴く、いわゆる笹鳴き)に「千代」を掛ける。また「よ」は「節(よ)」と掛詞になり、竹の縁語。冷泉為相撰『柳風和歌抄』によれば、自邸の十首歌会での作。

【参考歌】伏見院「続千載集」
玉しきの庭の呉竹いくちよもかはらぬ春のうぐひすの声

題しらず

あかで猶むすびやせまし月影も涼しくうつる山の井の水(新後撰246)

【通釈】満足できずに、もっと掌に掬おうか、どうしようか。月の光も涼しげに映っている山の清水を。

【補記】夏歌。冷たい水をもっと飲みたいのだが、掌で水面の月影を乱すことを躊躇っている気持。

【本歌】紀貫之「古今集」
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな

題しらず

夕まぐれ山もとくらき霧の上にこゑたてて来る秋の初雁(続後拾遺313)

【通釈】夕方の薄暮の中、山裾を暗く覆う霧の上に、声をあげて渡ってくる秋の初雁よ。

【補記】霧と雁の取り合せは常套だが、「山もとくらき霧の上」「こゑたてて来る」など表現に新味がある。

対月聞鹿といふことを

山ふかみたえだえかよふ鹿の()に木のまの月もあはれそひけり(続千載408)

【通釈】山の奥深く、途切れ途切れに届く鹿の鳴き声――時あたかも月の光が木の間を漏れてきて、秋らしい情趣を添えてくれたことだ。

【補記】秋の情趣を代表する風物である鹿と月を、奥山を背景にして巧みに取り合わせた。

暁霧といふことを

空まではたちものぼらで有明の月におよばぬ峰の秋霧(玉葉721)

【通釈】夜明け、山頂あたりに湧きあがる秋霧――しかし空まで立ちのぼることはなく、有明の月に届かずに滞っている。

【補記】秋歌。暁のほの明るい空に、霧と有明の月を配した、一幅の淡彩画。

【参考歌】藤原家隆「続後撰集」
朝日さす高嶺のみ雪そらはれてたちもおよばぬ富士の河霧

恋歌中に

逢ふまでのしるべぞいまはたどらるる心のかよふ道はあれども(新後撰886)

【通釈】どうやってあの人との逢瀬を遂げたのか、そこまでの道しるべが今になって思い返されることだ。心の通う道は夢の中にあるのだけれども、現実に逢うことは難い

【補記】「逢不逢恋」(一度逢ってのち逢い難くなった恋)の心であろう。


最終更新日:平成15年03月01日