応神天皇 おうじんてんのう 別名:誉田別命(ほむだわけのみこと)

西暦四世紀末の大王。仲哀天皇と神功皇后の間の第四子。母后の朝鮮征伐後、筑紫で生まれる。神功三年、皇太子に立てられ、同六十九年、母后の崩後、即位。景行天皇の曾孫仲姫を皇后とする。在位中は朝鮮半島からの文物技術の導入、大和・河内地方の開発などを進めた。四十年、末子宇治稚郎子を日継と定める。四十一年、崩御。陵は大阪府羽曳野市の誉田山古墳に比定されている。
応神天皇御製と伝わる歌は古事記に五首、日本書紀に四首ある。以下には古事記の全五首、日本書紀の二首を掲げる。

ある時、天皇、近淡海あふみの国に越えでます時、宇遅野うぢのの上に御立たして、葛野かづのみさけまして歌はしけらく

千葉の 葛野かづのを見れば 百千ももちる 家庭やにはも見ゆ 国のも見ゆ

【通釈】葉がたくさん繁る葛(かづら)の名に因む、葛野を見渡すと、豊かに満ち足りた民の家々が見えるよ。山々に囲まれた、住みよい平原の土地が見えるよ。

【語釈】◇千葉(ちば) 葛野の枕詞。「葉がたくさん繁る」という意を籠めた讃め詞であろう。◇葛野 京都府宇治市の西。◇国の秀 国のすぐれた所。具体的には山に囲まれた平坦な広い土地を言う。

【補記】古事記中巻。日本書紀巻第十にも同じ歌が載っている。

【主な派生歌】
国見山かすみきらひて遥々に海原も見ゆ国のほも見ゆ(鹿持雅澄)

大御饗おほみあへを献る時に、そのむすめ矢河枝比売やかはえひめに大御酒盞さかづきを取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌よみしたまはく

この蟹や いづくの蟹 百伝ももづたふ 角鹿つぬがの蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅いちぢ島 島にき 鳰鳥みほどりの かづき息き しなだゆふ 佐佐那美道ささなみぢを すくすくと 我がませばや 木幡こはたの道に 遇はしし嬢子をとめ 後方うしろでは 小蓼をだてろかも 歯並はなみは 椎菱しひひしなす 櫟井いちひゐの 丸邇坂わにさを 初土はつには はだ赤らけみ 底土しはには にぐろき故 三栗みつぐりの その中つを 頭著かぶつく 真火まひには当てず まよき に書き垂れ はしし をみな かもがと が見し児ら かくもがと が見し児に うたたけだに 向かひるかも いるかも

【通釈】「そこ行く蟹さん、どちらの蟹さん?」「遠い遠い、敦賀の蟹だよ」「横歩きして、どちらへお行き?」「伊知遅島、美島に着いたら、カイツブリみたいに一息ついて、楽浪(ささなみ)へ向かう道を、どんどん俺が歩いて行ったら、木幡の道で、出逢ったお嬢さん。後ろ姿はすらりとして楯のよう。歯並びは真っ白で粒揃い、椎か菱の実のよう。櫟井の丸邇坂の赤土を掘るだろ、初め出て来る土は色が赤っぽくて、底の方の土は黒っぽいので、真ん中の良い土を、頭を突くように、直火にはあてずに炙(あぶ)って、黛を作って眉を描いて、濃く切れ長に描いて、俺様とばったり出逢った美女よ。ああもしたいと思って、俺様が見たお嬢さん、こうもしたいと思って、俺様が見たお嬢さんと、いま楽しい宴の席で、向かい合っているんだよ、寄り添っているんだよ」。

【語釈】◇角鹿(つぬが) 今の福井県の敦賀。◇伊知遅(いちぢ)島・美島 不詳。◇鳰鳥(みほどり) 「かづき」の枕詞的修飾句。鳰鳥は「にほどり」とも。カイツブリのこと。◇しなだゆふ 不詳。「ささなみ」の枕詞的修飾句か。◇佐佐那美道 楽浪(ささなみ)へ行く道。琵琶湖の西を通る。◇木幡(こはた) 京都府の宇治に地名が残る。◇櫟井(いちひゐ) 今の奈良県天理市の櫟本(いちのもと)にあたるという。◇丸邇坂(わにさ) 原文は「和邇佐」。坂あるいは峠の名か。天理市に和邇の地名が残る。◇三栗(みつぐり) 「中」の枕詞。◇うたたけだに 難解。原文は「宇多多氣陀邇」。「うたた」は「うつつ」に通う語か。

【補記】古事記中巻。近江国行幸の時、応神天皇は木幡村(山城国宇治郡)で美しい少女に出逢った。名を問うと、宮主矢河枝比売(やかわえひめ)と名乗った。天皇は「明日帰って来たら、お前の家を訪ねよう」と言った。比売が家に戻って父にこの話をすると、父はその人が天皇であると察知し、家を飾って饗宴の席を設けた。翌日、天皇は約束通り矢河枝比売の家を訪問した。比売が盃を献ると、天皇はそれを受け取る前にこの歌を詠んだ、という。その後、二人は結婚し、宇治若郎子をもうけた。

天皇豊明とよのあかり聞こしす日、髪長比売に大御酒の柏を取らしめて、その太子に賜ひき。ここに御歌よみしたまはく

いざ子ども 野蒜のびる摘みに ひる摘みに 我が行く道の 香ぐはし 花橘は つ枝には 鳥枯らし 下枝しづえには 人取り枯らし 三栗みつぐりの 中つの ほつもり 赤ら嬢子をとめを いざささば らしな

【通釈】さあみんな、野蒜を摘みに、蒜を摘みに行こう。俺たちが行く道の、かぐわしい橘の花は、上の方の枝は、鳥がいて枯らしてしまうし、下の方の枝は、人が取って枯らしてしまうから、真ん中の枝の、まだ熟しない実がいい。その実みたいに顔色の美しいお嬢さんを、さあ一緒に寝ようと誘えば、よいだろうよ。

【語釈】◇野蒜 蒜(ひる)は和名抄によれば葷(薫)草。野生の香草の類。アサツキ・ノビルなど。◇三栗の 「中」の枕詞。◇ほつもり 難解語。宣長古事記伝が「ふほみつぼまり」の約で、「わづかになり初たる橘ノ實の状」のこととするのに従った。◇いざささば 難解語。「いざさす」を「人を誘(いざな)ひ起(たつ)る」の意とする宣長説に従った。

【補記】古事記中巻。応神天皇は日向国の髪長姫の噂を聞いて召し上げようとした。ところが、皇太子の大雀命が難波の港に着いた姫を見てその美しさに感じ入り、建内大臣に「あの姫は、私に賜わるよう、天皇にお願いしてくれ」と頼んだ。大臣からこの話を聞いた天皇は、饗宴の時、上の歌を詠んで息子に姫を与えることを許したという。日本書紀にもよく似た歌が載る。

また御歌よみしたまはく

たまる 依網よさみの池の 堰杙ゐぐひ打ちが さしけるらに ぬなは繰り へけくらに 我が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき

【通釈】水が溜まっている依羅の池の、杙を打って堰関(いぜき)を支えているように、標識になる杙を打ってあるのを知らずに、池の蓴菜(じゅんさい)を手繰って手を延ばすように、縄を延ばして囲っているとも知らずに、俺のものになる前に、あの娘が息子の心を占めていたとは。俺の心はすごく愚かだったとわかって、今になって悔しいよ。

【補記】古事記中巻。杙を挿すのも、縄を延(は)えるのも、占有権を主張することを意味した。息子が髪長姫を自分のものにしたがっているのを知らずにいた、ということの譬えとして言っている。

秦のみやつこおや漢直あやのあたへの祖、また酒をむことを知れる人、名は仁穂にほ、亦の名は須須許理すすこりら、まゐ渡り来つ。かれ須須許理、大御酒みきを醸みて献りき。ここに天皇、この献れる大御酒みきにうらげて、御歌よみしたまはく

須須許理すすこりが みし御酒みきに われひにけり 事和酒咲酒ことなぐしゑぐし われ酔ひにけり

【通釈】須須許理が醸造してくれた酒に、俺は酔っちまったよ。心慰める酒、心楽しい酒に、酔っちまったよ。

【語釈】◇うらげ 「すゞろに心おもしろく、浮キ立ツを云と聞こゆ」(古事記伝)。◇事和酒咲酒 コトナグシはコトナグクシの約で、憂鬱なことなどを慰めてくれる酒の意。ヱグシは飲めば微笑まずにいられない酒の意であろう。クシはクスリなどと同根の語で、霊妙なもの。ここでは酒のこと。

【補記】古事記中巻。

四月うづきに、兄媛えひめ、大津より船発ちしてまかりぬ。天皇、高台たかどのしまして、兄媛が船をみそなはして、御歌よみしたまはく

淡路島あはぢしま いやふた並び 小豆島あづきしま いやふた並び よろしき 島々しましま か た去れあらちし 吉備きびなるいもを あひ見つるもの 

【通釈】淡路島が、仲良く並んでいるよ、小豆島と、ふたつ仲良く並んでいるよ、どれも結構な島だなあ。それにしても誰が遠く連れ去ってしまったのだ、吉備の生れの妻を、仲良く一緒に住んでいたのに。

【補記】日本書紀巻第十。天皇が難波の大隅宮にいた時、高殿に登って眺望していると、妃の兄媛が西の方を眺めながら溜息をついている。どうしたのかと天皇が問うと、媛は「吉備の国の両親が恋しくて、西の方を眺めるたびに悲しくなるのです。どうか、しばらく実家に帰してください」と言う。天皇は媛の親を思う情に感心し、帰郷を許した。淡路の海人を水夫としてあてがい、大津から船出させた。兄媛を乗せた船が出航するのを高殿から眺めながら、天皇の詠んだのが、上の歌であるという。

初め枯野からのの船を鹽の薪にして焼きし日に、余りのもえくひあり。則ちその燃えざることをあやしびて献る。天皇、あやしびて琴に作らしむ。その、さやかにして遠くきこゆ。この時に、天皇、御歌みうたよみたまはく

枯野からのを しほに焼き が余り 琴に造り くや 由良ゆらの 門中となかの 海石いくりに 触れ立つ なづの木の さやさや 

【通釈】枯野を焼いて塩を作り、その焼け余りの材で琴を造り、弾いてみるや、由良の瀬戸の暗礁に、ゆらゆら揺れて立つ、水に濡れた木のように、冴え冴えとした音をたてて鳴ったよ。

【語釈】◇由良の門 紀伊半島と淡路島の間の海峡。◇海石(いくり) 海中の岩。◇なづの木 「《ナヅはナヅサヒのナヅ》水につかっている植物」(岩波古語辞典)。

【補記】日本書紀巻第十。伊豆の国から献上された高速官船「枯野」が朽ちてしまったので、天皇はなんとかこの名を後世に伝えたいと思った。群卿は協議して、枯野の船材を薪として塩を焼くことにした。焼け残った余りの材から、天皇は琴を造らせた。弾いてみると冴えた音色を出したので、上の歌を詠んだという。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月03日