二条為忠 にじょうためただ 延慶二〜応安六(1309-1373)

中納言為藤の子。為明の弟。母は不詳。摂関家二条道平の猶子となったらしい(続後拾遺集)。遊義門院左兵衛局と呼ばれた娘は、後醍醐天皇の寵愛を得て一女を生んだという(前田家本帝王系図)。御子左家系図
応長二年(1312)正月、叙爵。元応二年(1320)、左少将。嘉暦三年(1328)、左中将。観応元年(1350)六月には従三位に叙せられたが、同二年(1351)、兄為明とほぼ時を同じくして吉野朝に参仕、その後延文四年(1359)または同五年頃まで南朝に仕えた。参議・中納言を歴任。帰京後、北朝でも台閣に列し、貞治元年(1362)七月には参議、同六年四月には従二位、同年十二月には権中納言に至った。応安元年(1368)、同職を辞退し、散位のまま同六年十二月に薨去。六十四歳(一説に六十五歳)。
正中二年(1325)の二条家月次歌会、康永三年(1344)閏二月の仙洞歌会、正平八年(1353)の南朝千首歌、貞治六年(1637)三月の新玉津島社歌合、同年三月二十九日の中殿御会、応安二年(1369)の内裏和歌、同四年九月十三日の仙洞歌会などに出詠。貞和百首作者。北朝に帰参しながら、新葉集にも歌を採られている(四十首)。風雅集初出。

題しらず

夏と秋とゆきあひの早稲のほのぼのとあくる門田の風ぞ身にしむ(新葉248)

【通釈】夏と秋とが行き合う頃の早稲(わせ)がほのぼのと香りながら明けてゆく朝――門田を渡る風の涼しさが身に染みることだ。

【補記】早稲の香と風の涼しさに秋の到来を感じ取る。上二句は「早稲の」から「のぼのと」を導く序であるとともに、門田の有様の描写ともなっている。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
夏と秋と行きかふ空のかよひぢはかたへすずしき風やふくらむ
  藤原顕隆「金葉集」
山里の門田の稲のほのぼのとあくるもしらず月を見るかな

【参考歌】作者不明「万葉集」巻十
娘女らに行きあひの早稲を刈る時になりにけらしも萩の花咲く

天野行宮にてよみ侍りける歌中に

君すめば峰にも尾にも家居してみ山ながらの都なりけり(新葉1205)

【通釈】大君がお住まいなので、臣下達は峰にも尾根にも住居を構えて、この深山(みやま)がそっくり都なのであった。

【補記】「天野行宮」は、大阪府河内長野市の天野山金剛寺に置かれた仮宮。正平九年(1354)より六年間、後村上天皇が行宮とした。

【参考歌】平行盛「平家物語」(時忠作とする本もあり)
君すめばここも雲ゐの月なれどなほ恋しきは宮こなりけり
  源頼武「南朝歌合」
君すめばやへたつ雲も九重のみかきが原と花さきにけり


最終更新日:平成15年05月10日