大江宗秀 おおえのむねひで 文永二〜嘉暦二(1265-1327)

羽前国長井荘を本拠とする長井氏の出。大江匡房の裔、関東執権広元の玄孫にあたる。宮内権大輔時秀の息子。兄弟に貞広がいる。北条実時の娘を娶り、貞秀をもうける。子孫には歌人が多く出た。
関東評定衆。甲斐守・宮内大輔・掃部頭を歴任し、正五位下に至る。
京極派の武家歌人。正応四年(1291)〜永仁四年(1296)頃、京極為兼冷泉為相らが出詠した歌合に参加している。新後撰集初出。

夏河

夕闇の鵜川のかがり下し過ぎてあらぬ蛍ぞまた燃えてゆく(玉葉381)

【通釈】夕闇の川を鵜飼船の篝火が下って行ったあと、今度は篝火ならぬ蛍が燃えて飛んでゆく。

【補記】「鵜川」は鵜飼をする川。鵜を用いて魚を獲る漁は夏の風物詩。

納涼の心を

岩根つたふ水のひびきは底にありてすずしさ高き松風の山(玉葉432)

【通釈】岩根を伝って流れる水の響は谷底にあって涼しげだが、見上げるように聳え立つ山の松風の音と響き合って、いっそう涼やかなことだ。

【補記】谷底の水の音と山頂の松風の音が呼応し合い、いわば高低差大きく涼感を合奏する。それを「涼しさ高き」と言いなした、特異な感覚表現。

【参考歌】日野俊光「俊光集」
夕ぐれはさらでもさすがすずしきに松風たかき山のしたかげ

霧中雁を

峰こゆる声はあまたに聞く雁も霧のひまゆく数ぞすくなき(玉葉599)

【通釈】峰を越えてゆくその声はたくさんいるように聞こえるが、霧の切れ間に飛んで行く雁の姿はわずかしか見えない。

【参考歌】「他阿上人集」
いくつらぞ霧のひまゆく初雁のしげき声きく数は知られず
  冷泉為相「藤谷集」
霧のうへにあまた聞きつる声よりもみればすくなき雁の一つら

旅歌の中に

わけくだる麓の道にかへりみればまた跡ふかき峰の白雲(玉葉1214)

【通釈】雲を分けるようにして下って来た峰を、麓の道から振り返ってみれば、私の通った跡は再び白雲に深く閉ざされている。

【補記】行先の山々に重なる白雲を詠むのが旅歌の常套であるが、掲出歌は峰を越えた後で顧みた白雲の重なりを感慨深く詠んで清新。


最終更新日:平成15年02月18日