桜井基佐 さくらいもとすけ 生没年未詳 通称:中務丞・弥次郎・弥三郎 法号:永仙

生国は摂津・越中・下総など諸説ある。康正三年(1457)九月七日の「武家歌合」に正徹心敬らと共に出席しており、正徹一門の歌人であったと見られる。主に連歌師として活動し、初め心敬の、のち宗祇の門に入ったかと言う。文明〜明応頃、宗祇らと共に連歌会に出座。晩年は山城に住した。永正六年(1509)十二月の連歌会が判明する最終事蹟。家集『基佐集』、句集『基佐句集』がある。

「基佐集」群書類従263・私家集大成6・新編国歌大観8

荻声驚夢

さびしさの種をぞうゑし宵々に夢おどろかす庭の荻原集外三十六歌仙

【通釈】秋風に蕭条と葉音を立てる荻叢に、夜ごと夢を破られる。庭に植えたのは外ならぬ寂しさの種だったのだ。

【補記】「荻原」は荻の茂みを指す歌語。「原」すなわち「広い平らな地」の意は無い。

花に寄する恋

花を見ておもひ忘るる時あれど立ちされば又おもふ君かな(基佐集)

【通釈】桜の花を見て、恋しい思いを忘れる時はあるけれど、木のもとを立ち去れば、また恋しく思うあなたであるなあ。

【補記】例えば同題の西行の歌「花をみる心はよそにへだたりて身につきたるは君がおもかげ」(山家集)は桜の花にも浮気しない一途な恋心を詠むが、対して掲出歌は、花を見ている間だけは恋人を忘れることができると言う。心の弱さ柔らかさを率直に歌って、かえって人への思いの深さがしみじみと感じられる。


最終更新日:平成17年07月25日