花山院師継 かざんいんもろつぐ 貞応元〜弘安四(1222-1281) 号:花山院内大臣

摂政師実の曾孫。右大臣忠経の子。母は権中納言藤原宗行の娘。内大臣師信の父。子孫には師賢・家賢・長親と歌人が輩出した。
侍従・右少将などを経て、嘉禎三年(1237)七月、右中将。仁治三年(1242)十二月、蔵人頭。寛元三年(1245)六月、従三位に叙せられる。同五年十二月、参議に任ぜられる。宝治二年(1248)八月、皇后宮権大夫を兼ねる(のち大夫)。建長二年(1250)五月、権中納言。同七年六月、権大納言。弘長二年(1262)七月、皇后宮大夫を兼ねる(文永四年八月まで)。文永五年(1268)八月、世仁親王(のちの後宇多天皇)が立太子すると、春宮大夫を兼ねる。同八年(1271)三月二十七日、内大臣に就任。建治元年(1275)十二月八日、上表して職を辞す。弘安四年(1281)四月九日、薨。六十歳。最終官位は正二位。
宝治元年(1247)の十首歌合、同二年の宝治百首、建長三年(1251)九月の影供歌合、文永二年(1265)の白河殿七百首などに出詠。続後撰集初出。勅撰入集三十三首。古今集筆写本を残す。日記『妙槐記』(花内記・妙光寺大臣記とも)がある。

百首歌に

庭のおもはつもりもやらずかつ消えて空にのみふる春のあは雪(続拾遺11)

【通釈】庭の地面では積もりきらないうちに次々と消えて、空にのみ降っている、春の淡雪。

【補記】弘安元年(1278)頃亀山院が召した弘安百首か。

【参考歌】藤原蔭基「後撰集」
かつきえて空にみだるるあは雪は物思ふ人の心なりけり

【主な派生歌】
山風の吹きまく空にかつきえて庭までふらぬ春のあは雪(冷泉為相)
かつきえて庭には跡もなかりけり空にみだるる春のあは雪(*後村上院[新葉])

宝治元年九月十首歌合に、社頭祝

神風や五十鈴の川の磯の宮常世の波の音ぞのどけき(続古今698)

【通釈】五十鈴川の磯の宮――太古から変わらずに流れ続ける波の音がのどかである。

【語釈】◇神風や 「いすずの川」の枕詞として用いる。伊勢にかかる枕詞であった「神風(かむかぜ)の」の転であろう。◇五十鈴(いすず)の川 伊勢内宮を流れる五十鈴川。歌枕紀行参照。◇磯の宮 伊勢内宮の起源となった宮。垂仁紀に倭姫命が「斎宮を五十鈴の川上に興(た)つ、是を磯宮と謂ふ」とある。◇常世(とこよ)の波 「太古より変わらず流れつづける川の波」ほどの意で用いるが、やはり垂仁紀の「この神風の伊勢の国は、常世の浪のしき浪のよする国なり」を踏まえ、「常世」の語には我が国の永久不滅たることへの祝意が籠もる。


公開日:平成14年08月31日